不便でちょうどいい    石渡 修司

 機能性を追及したくなります。公団住宅は「安さ」がセールスポイントでした。建築コストを下げることに力を集中しました。そのため,「安かろう悪かろう」と酷評もされました。壁や床を薄くしたため,階上階下・隣室の騒音問題が起こり,ピアノ殺人事件にまで発展したこともありました。ダイニングキッチンなるものを造り上げたのも,公団の設計者たちの知恵です。それまでは,台所と食堂は別々でした。それを一緒にしてしまったのです。これは画期的なことでした。しかし,これは安さの追求というより,機能性の追及から出てきたアイデアでした。このレイアウトはその後も発展し続け,現在は対面式のキッチンが登場しています。
 お風呂とトイレを一か所に集めてしまおうとしました。工事費を下げることができ,機能性も上がると考えたからです。それで,浴室にトイレが設置されたのです。まあ,あまり同時に使うチャンスはないと考えたのでしょうか,カーテンで一応,仕切られてはいました。単身者には不自由はなかったでしょうが,家族用住宅の場合,同時に使用するには,やはり抵抗感がありました。
 機能性が追及されると,論理さや合理さで判断されます。ところが,人は機械的,論理的な応答をするものではなく,超論理的な感情で応答をし,感情が満たされることを願っています。便利さではなく,自分がどう扱われているかが大事なのです。
 不便なくらいで丁度いいのです。不便な分,誰か人が補わなければならなくなります。相手を満足させるようにしなければなりません。そこに人と人との関係が生まれます。現代に求められているのは,人間関係の回復にあります。不便さが人間関係の回復に役立ちます。不便さをいとわず,上手に使っていきたいと思います。

おかあさん(*^-^*)    2008.01.15
               西山 欣子

 ある保育園での打ち合わせ終了後。
 園庭に出ると,元気に遊ぶ子どもたちが口々に話しかけてくれました。
 ・・・・で,そんな中のひとこと。
 「だれのおかあさん??」
 うふふ・・・うれしかったですよ〜。
 おかあさんですよっ! おかあさん・・・。
 子どもは正直ですからね〜〜。
 もしかして,きみたちのおかあさんは私の子どもくらいな年齢かもなのに・・・。
 ホントによかったですよぉ,
 おばあちゃんじゃなくて・・・。
 そんなこんなで,ちっちゃなデキゴトで大きな喜びを感じてしまったことでした。

生かされていることに感謝
              武市 千恵子

 何年前からでしょう。
 父から阿波風に原稿を書いて投稿するといいよと勧められていました。その度書こうと思っていたものの今のままで筆をとることはありませんでした。
 それが今日1月15日。初めてペンを執ります。
 私は今日まで本当にいろんな経験をさせていただきました。産まれた瞬間から大病をし,3歳には大きな火傷を負いました。他にも様々な出来事があり,振り返ると両親ほか周りの人たちに心配ばかりかける子でした。
 でもそんな私をここまで導いてくださった神様,ご先祖様,そしてこの世に生んでくれた両親に心から感謝します。
 経験ほど自分の力と変わるものはありません。どんなことでも経験をさせてもらったことに感謝です。
 今は私も経営者となりスタッフやお客様,業者の皆様に支えられ毎日を楽しませてもらっています。
 今,当たり前のことをさせていただくことがどれだけありがたいか,多くの人から『気づき』を与えてくださいました。
 昨年から私の波動が大きく変化しているのを感じ,昨日松山にて自分の探して求めていた答えに出逢うことができました。そして今自宅に帰ってきたら父からの手紙。
 神様の仕業としか言いようがありません。ことある事に父は手紙でメッセージをくれました。
 その中でも18歳の誕生日にくれた手紙は私の宝物です。それが30歳を目前にひかえる私にとって素敵なプレゼントをいただきました。今回の手紙にもそのときと同じ内容の言葉がありました。父と母の娘として選んでくれて私は幸せ者です。ドキドキ☆ワクワクの2008年を過ごさせていただくためにも,毎月投稿していこうと思っています。

十 分 の 会      大西 時子

 瞬くうちに睦月も半ばが消化され,お正月気分の抜けた私達も再び日常という言う椅子にぴたりと腰を落着けました。
 年明け間もない日曜日,とてもユニークな会が発足し,第一回目の昼食付きのその集まりに賄い婦(?)兼参加者としてお誘いいただきました。
 参加条件は「10分間のスピーチを許諾できる者」でした。発表順位がくじ引きで決定され,それぞれの皆さんのなかの最も大切で最も最前線の思いが壇上にて話されました。
 私の中にあって未だ形に出来ないけれど自らを揺るがす熱い思い,それを整理,認識し言葉として発する。これはとてもエキサイティングなことでした。
 「私の中から言葉が創り出されるのではなく,言霊によって自らが創られる」某作家の言葉です。言葉に出す大切さ,それによる波及力は大きく,更に踏み出す一歩の力が普く人に与えられた創造の種を花開かせるということなのかもしれません。
 入念な資料作りをされて壇上に立たれた方,板書にて熱弁を奮われた方,10分の枠では括りきれない思いがはみ出て昼食の席を活気あるものとしました。
 誰からともなくこの会の名前が「十分(じっぷん)の会」と名付けられました。とても含みのあるいいネーミングです。ご出席の皆さん,それぞれの解釈の中で納得いく命名となったようです。
 私は「我足るを知る」をもって十分=充分 との認識のもとに次回の開催を心待ちに皆さんとお分かれしました。
 言葉,更に行動が心を強くして自らの中にある闇を消す。私の中に足りなかったものそれは素直な自己表現と力強い一歩々であったことを自らの発表により心にとどめました。
 心の琴線が快い響きでかき鳴らされましたこの会このご縁に心から感謝いたします。