天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 20
指 示 待ち 人間 三村 隆範
生きものに「指示待ち」は無い。
しかし,なぜかしら人間だけが「指示待ち人間」になってしまうようです。
牛や馬は「指示待ち」を待っているのではなく,ムチで叩かれ命令されるから動き出すのです。
人間は,指示を待つということをするのです。
もちろん,牛や馬でもムチで叩かれても動かないときがありますが,人間は逆に,ある指示がはいってしまうと,今度は頑(かたく)なにそれを守ろうとするのです。
つまり「指示待ち」は,形を変え,たとえ間違っていることでも,教えられた(指示された)通り話す,というような形も取ります。本人は,それが正しいと思っているのですから,気が付くのに大変な時間と労力,あるいは試練を必要とします。
人間は,学ぶ事にたけているので人に教えてもらうことに努力するようになります。知ると楽に物事を処理する事ができるので,ますます学び始めるのですが,知ると今度は教えられた通り処理して,自分で考えなくなってきます。するとなぜ,そうしているのかわからないまま教えられた通りするようになるのです。たとえ教えられた事が間違っていても教えられた通りするようになってしまうのです。
その上に,大きな組織や利害が絡んでくるとますます間違ったことでも教え(指示)られた通りするようになるのです。
人間は,考える動物です。もし,人間に考えが無いなら,喜怒哀楽もないでしょう。苦しみも哀しみも無いでしょう。
しかし,人間には,喜んでいたいという心があります。願わくば,いつも喜んでいたいとも思っています。けれども,いつも喜んで生活できるかというとそうではありません。
人間には,自由意志がありますが,喜怒哀楽のある生活を続けようとするなら,そのままの暮らしが続くでしょう。
もし,神様の「いつも喜んでいなさい。」という命令を守って生きるならバラ色の人生は,あなたの手の中にあります。
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