心をひらく        三木 信夫

 最近,娘家族が住んでいるマンションを訪れると,エレベーターの中に「朝・夕挨拶をしましょう」という張り紙がしてありました。そのマンションは四百戸超の家族が住んでいる大型のもので,今迄はエレベーターに乗り合わせても言葉すらかけずに各階で乗降していました。しかし今回はエレベーターに乗り合わすと「今晩は」「お早うございます」「こんにちは」と挨拶をされるようになりました。基本的にエレベーターに乗り合わせた方達は,階こそ違えお隣さんなのです。乗り合わせても挨拶があると,エレベーターの密室の中がほっとした温かみのあるものに変わります。挨拶がいかに人間として生きるために大切かをこの自治会は気づいたのです。挨拶とは「心をひらいて相手に近づくもの」で,人として基本的なものです。しかし知らない他の人に心をひらくことはなかなか出来ないものです。なんとなく警戒したり,疑ったりする心がはたらき,素直に気持ちよく「こんにちは」と言える人は少ないものです。「他に対して心をひらく」事が出来る誠実な世の中であってほしいものです。

               天羽 達郎

 大学の同級生が死んだ。山形県出身の優秀な奴で日本のレントゲン検査の指導的存在だった。特に大腸のレ線写真は見事だった。国立癌研究所病院の副院長までやった。その彼が癌で死んだ。料理が趣味で毎年鰹を送ると自分で捌いた。「着いたよ」と毎回電話をくれた。今年からはもうその必要はなくなった。

 この夏は鰹を送る要はなし
     うまし待ちわぶ友逝きたれば

眉丈山(びじょうさん)    天香具山神社宮司 橘 豊咲

 去る4月4日,阿波徳島の眉山(びざん)を題材にしたドラマが関西テレビで放映されたので,能登羽咋市の眉丈山を想い出しました。奈良時代歌人であった大伴家持(おおとものやかもち)が越中守(えっちゅうのかみ)として任官となり,京の都より国府の所在地の,今の高岡あたりに居を構えていたと思われる。現在民営のJR七尾線羽咋駅の一つ手前の,敷波(しきなみ)駅付近から5里余りの七尾(ななお)駅より,約数百m御祓川(みそぎがわ)河口の両側あたりが,七尾南湾であって,一帯が七尾港で,陥没して邑知地溝帯(おおちちこうたい)となって海峡となり,往時は完全な島であったが,今は能登半島と言われる所以である。千里浜(ちりはま)海岸の湾曲した個所が羽咋川の河口で,七尾南湾へ船が往き来したことに間違い無い。
 能登半島全域が亜熱帯植物の北限に当たり,椎椨(しいたぶ)椿が繁殖している現在でも,植物を観察しながら観光する人が少なく無い。奈良時代以前に大地震が起きて地殻変動で海峡が隆起したものと考えられるのであるが,僅かな高度の隆起で,一見したところ地溝帯であることが判然としている。その東側は,加賀,越中の一部を併せて石動(せきどう)山脈と言って,源平の戦のあった倶利伽羅谷(くりからだに)と言うJRの駅が加賀であって,次は石動(いするぎ)駅が越中で,石動山脈の境である。海抜200mから400mで,高低があっても,地溝帯に面した方向の石動山頂から低い峯が七つ続いているので七尾と言って,七尾城跡に続いているのである。石動山頂付近には百単位の寺院が建ち並んで,現在,神仏混合の名残りで,神社が一社,寺院の跡が判然としているのである。謙信が七尾城を攻略する以前に,僧兵との交誼があって策謀したようである。加賀の一向宗と寺院との交誼のあった事は論を持たない。村上元三の以前に発刊の時代小説を読破したことが想い出される。然るに地溝帯の西側には,眉丈(びじょう)山脈と言って,百数十mから三百mの山の低地が続いている。
 「子甫路(しおじ)から直(ただ)越え来れば羽咋の海,朝凪(な)ぎしたり竿梶(さおかじ)もがも」の家持の歌がある。家持が越中守に任官して,能登一ノ宮気多(けた)神社に奉告のため,船に乗り参拝した折りの心境を歌ったものである。

付記 次号掲載予定について。
 眉丈山に朱鷺(とき)数羽が棲息(せいそく)していたこと
 地溝帯の巾(はば)は約四km
 邑知潟(おおちがた)は淡水海水が混じっている
 邑知潟に大蛇の番(つがい)が居て大国命が退治したと言うこと
 能登一ノ宮周辺の上空をUFOが旋回して幼児拉致(らち)の事について
 鎌(かま)の宮について

屈原をたずねて(29)       山田 善仁

 「楚辞」に目を通して想うに,日本の「古事記」「日本書紀」には,なる程と思わせるものが多い。
 天地開闢(かいびゃく)は世界共通で有り,歴史を記す時,そこを出発点にしなければ,その国の「史」の権威格付けが保たれない。
 歴史学者は語る。神話や伝説については,古い時代とされているもの程新しいと言う奇妙な法則が有る。
 人間(時の権力者)がずる賢くなって,何やら面白い話をでっち上げても,時代の新しい所はぎっしりと詰まって,容易く挿入でき無い。そこで新しい話は古い時代に持って行く。一番古い時代の前はガラ空きなので,そこへ継ぎ足せば良いわけで有る。故に読人はそれ等を差し引いて読まなければ,正史といえども本当の事は見えて来ない。
 万物の生命の誕生には陰と陽とが関わり,この思想は世界的で有るが,特にインド,中国に於いて発達する。
 自然神として日,月,星,山,川,海が有り,雨,雲,風,樹,岩,竜(蛇),鳥等々も天帝の化身で有ったり,また乗物でも有る。
 虹(霓)は神が往き来する橋で,雨がもたらし,雨は雷がもたらし(インカでは鳥が雨を運ぶ),雷は雲がもたらし,雲は竜から生まれる。竜(蛇)を操るのは巫で有り,雨乞いで有る。そして雲を起こす国が,出雲の国で有り,竜神を司る国で有る。
 因に古代朝鮮読みに依ると,ツモ,ツマ,ツルの「ツ」は「円,四囲」の義を表し,地形が盆地で有ったり,または三方が山で囲まれ,一方が川か海に面している地方を地名にして,出雲(イヅモ),投馬国(ツマ),舞鶴(マイヅル)等は音借字で表している。
 須佐之男命が八俣(やまた)の大蛇(おろち)を退治し,その中から草薙(くさなぎ)の大刀(天叢雲(あめのむらくも)の剣(つるぎ))が出たのは,竜神を祀(まつ)る出雲の国を滅して,天に司える象徴である剣を手に入れ,出雲の国の実権を握ったのが本根ではないだろうか。
 邪馬壹国の卑弥呼の卑弥は,古代朝鮮読みで「ビミ,ベミ」を表し,蛇の訓は「ビミ,ベミ」で,ビミのミ(巳)は名詞化する時の接尾語であり,語根「ビ,ベ」は「光,腹」「孕(はら)む」の義が有る。「呼」は古代の新羅人が男女の名前に添尾される美称,尊称である。そして「呼」は「日」の訓「ハィ」を表し,「太陽,光」の意から「繁栄」を象徴し,卑弥呼とは「光明姫」「蛇姫」を表している。
 古代朝鮮読みで邪馬壹国とは,「邪」は「旧,浅」,「馬」は「南」,「壹」は「基,址」。すると「旧,南,基」で「古い南部にある中心国」となる。と言う事は,200年前の「漢,光武帝」に朝貢した奴国が想い出される。
 古代朝鮮「駕洛国記」などには,南方の竜城,竜国から異人がやって来て,一方は新羅の金氏の祖先となり,他方は伽耶国始祖,首露王の王后となる神話を記す。現在済州島では,蛇(女神)が守護神だとして祀られている。