横田さんからの手紙
               松林 幸二郎

 真冬がこの東スイスにも舞い戻った雪の日,めぐみさんのお母さん,横田早紀江さんから,新刊2冊に添えて手紙が届きました。スイス ブルーリボンの祈りの会の代表を引き受けたのを機に,署名とともに横田さん御夫妻にお送りしたスイスの会員の寄せ書きへの礼状でした。
 “何と不思議な人生を親子共々歩む事でしょうか。まるで小説を読んでいるようです。幸も禍も全て主からいただくものでありますなら,ひとつひとつに大きい意味があることでしょうと思います。”
 横田さんの美しい文字で書かれた心情溢れる文章には,想像もできない過酷な悲しみと苦しみを30年も背負ってこられた母親のものとは信じられない優しさと確信に溢れていて深く感動させられました。
 1989年の春から夏にかけて,私達家族は新潟県の佐渡ケ島に家族で住んでいました。娘達を家内が連れて,畑野から6kmほど西にいった真野町の海岸で遊ばせていました。佐渡の子どもはファミコンの普及に伴い自然のなかで遊ぶ事がなくなったので,元気に砂浜を走り回る娘達の姿が珍しくて,通りがかった老婆が不思議そうに眺め声をかけてきたそうです。娘達が遊んでいた海岸のほんの近くで,19才の曽我ひとみさんが11年前の1978年8月12日,母親のミヨシさん(当時46才)ともども北朝鮮工作員に拉致され,北朝鮮に運ばれていたことなど,夢想だにしなかったことでした。ひとみさんが拉致される前年の11月15日,やはり新潟で横田夫妻の長女めぐみさんが下校途中に拉致され,猿ぐつわをかまされ,目隠しをされ,足を結わえられ,袋の中に詰め込まれて,北朝鮮に運ばれていきます。“鉄の扉をひっかき,彼女の爪は血だらけで,嘔吐した汚物にまみれていた”と,脱北した元工作員の安明進氏は証言しています。北朝鮮に拉致された人々を厳しい監視下で収容する“招待所”で,ひとみさんとめぐみさんは出会いますが,めぐみさんは曽我ひとみさんを姉のように慕い,2人が布団の下で,会いたくても会えぬ親や故郷を想い“ふるさと”を歌ったそうです。私は,横田さんさんから贈られた著書のなかで,この箇所を読んだとき,涙がでて止まりませんでした。ヨーロッパに住む私たちは自由意志で祖国を離れた訳ですから,自由を奪われている被害者の同胞とは比べ物にはなりませんが,肉親に会おうと思ってもすぐに会えない何万キロと離れた異文化のなかに住む私たちにとっても,全く無縁とはいえず,少しですが,めぐみさん達の掻きむしられるような望郷の念が理解出来るのです。
 曽我ひとみさんは24年後帰国を果たしましたが,その間,娘と妻の帰りを待ちわびていた父親は,僅か7ヶ月ともに生活をしたのみで他界されます。多くの拉致被害者の親達は高齢化しております。娘や息子を一目でも会わせ抱きしめさせてあげたいと切に願い祈る日々です。

すべての思いを家族に 44
透明な心の定規
      田上 豊

 感謝 =有り難い謝意を表す。
 今が何時までも続くと思っていると,今が何時までも良くなると考えている。
 自分が文句を言いながら生活をしていると,運命が悪くなるのです。
 少し良くなっても未だ足りないと文句を言っている。何時まで経っても文句を言っているのです。感謝が出来ず文句を探しているのです。運が良くなるはずが在りません。
 私達は感謝の言葉を言いつづけるのです。
 今,感謝出来る人は何時でも何処でも感謝できる,感謝を探していると運命が良くなるのです。
 自然の法則は透明で真っ直ぐです。大自然から見ますと普通の人の定規は必ず何処かが歪み曲がり捻れて居るのであります。これを他人が直してやろうとしますと険悪な雰囲気になります。
 人はこの自然の法則の定規と出会うと,私達は拒否するのです。
 自分が曲がって捻れている自分を見直す事は大の苦手なのです。人は自分の考え方や思いを何時も定規のように真っ直ぐなつもりなのです。自分でそう思っているだけです。そのような内は批判や愚痴を学べないのです。
 人の欠点を見たり批判したり,愚痴っても自分の品性は上がらないのです。
 私達はこの曲がった定規で大切な物を計り拒否したり,蹴り飛ばしたりしているのです。この曲がった定規を変えるのです。常識,これらは時代と共に変化しているのです。自分の考え方が固定化しているのは自分だけなのです。
 高い階段の広場で,私達は下から登ってくる人を見ては「右足から先に上がれ」と言ったり,「煩悩を捨てろ,利己的な物も捨てろ」と言っているのに,「手すりに掴まれ」とか,ああのこうのと言っているのです。
 どちらの足からでも上に上がれば良いのです。それを上から見てどうのこうのと言うよりは,自分が少しでも早く一人で一歩でも上がれば品性完成に近づくのです。
 大自然の法則摂理から学んで,それを応用し,実用(幸福)に結び付けなければ,単なる知識や理論に終わるのです。
 どうしても実用に結びつかないものは空論になるのです。

想うこと       西山 欣子

 今頃ど〜してるかなぁ・・・。
 日々の生活の中,ふとそんなことを想う人が何人かいる。そんな人のひとりkakkoさんから届いたメルマガ「しっぽみたいに」

 3/29
自分のことは乗り越えられるけれど
大好きな人が悲しい思いをしていると思うのは
もっともっとつらいよね
どんなにどんなに心配でも
大好きな人の悲しみを
心からわかることなんてたぶんできない
代わって悲しむことももちろんできない
ただ,ただできるのは想うことだけなんだろうか

 そうなんですよねぇ。
 たとえ大好きな友人や家族でも,結局はひとりひとり。。。
 できることは,自分のことを精一杯頑張りつつさりげない笑顔で想うことしかないのかなぁ。
 そんなこと想いながら,ぼ〜〜っと雨をながめた1日でした。
 ぼんやり,好きなモノを創る時間ができたこの週末。
 おかげで,口内炎も肩こりもすっかり解消,体力回復。。。
 さて,明日からまたがんばろ。

阿波のさざ波    大西 時子

 私の居住します丈六は,古くから渋野,八多,多家良,飯谷町と並び多家良地区と総称されています。
 昨年暮れにこの飯谷町地元の方たちによる村おこし行事「飯谷桜祭(4/1〜4/13)」が企画され私達「天の渦女連」も4月13日最終日のイベントに参加させていただくこととなりました。
 「阿波古事記研究会」が母胎となったこの連は,阿波踊りの原点に立ち返りやや特異なコンセプトを標榜したユニークな踊り連です。
 プロの規制も強制もなくただただ私達が意識下では,常に歓びのさざ波の上で生き続けているように,それぞれが波の頭となって歓びを踊りついでいこうという思いを基盤に活動しているものです。
 そんな中で大きく立ち上がった波の思いがありました。「お芝居をしよう!」賛同する8人の仲間がキャスト及びスタッフを兼ねました。
 やがて脚本が仕上がり推敲が重ねられ小道具・大道具の作製と並行して手探りのお稽古の日々が始まりました。やや若きも混ぜれば平均年齢58才。週一度の合同練習日以外は個々人の寸暇を惜しんでのセリフの暗記や演技の確認。
 熟年の気概は重ねる毎にお稽古の舞台に反映されてきます。「やろう」の一石を投じた波,「しよう,しよう」と波紋を広げた波々。
 素晴らしいことではないでしょうか。
 劇団名は古事記にまつわる史跡の残る初舞台の地,多家良にちなみ「多家良塚劇団♪」。
 お芝居の演目は
 「天岩戸の物語/阿波踊りここから始まる」
 旗揚げ公演は「飯谷桜祭り」これも町を支える熟年の皆さんが積年の智慧を結集して手作りした村おこしイベント会場。ここでも大きな波のうねりがあり数ヶ月をかけて準備が進められてきました。
 過疎の進む地方のまだまだ元気なパワーが炸裂した一瞬でした。高齢化社会へとますます加速する今日,熟年のピュアな思いと活動が失速するかに見える国の活力の一端を担える力を持ち合わせていることの証左となりました。
 お芝居を導入部に渦女連の元気な阿波踊りが炸裂しイベントのフィナーレを飾りました。
 どんな時にも楽しいアイデアを具現化していく精神的柔軟さこそ人生の道場で深く学んだ大人の有り様だと感じさせられたことでした。