天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 21
生きる人・生かされる人 三村 隆範
すべての人は,生かされている。
生きている人は,ほんのわずかだ。
多くの人は,「生かされている」と思って,あるいは,そう言って納得している。
しかし,私は生きているのだ!という。
死んだ人が,「私は生きている」と言っているのを聞いたことはない。
ましてや,石や木が…,犬や猫が…。「生かされている…」と言うのも生きている人間が言うことである。もっと生きていることを自覚して生きていることを謳歌して(喜び)生きて居たいものです。
生きていることは,そのままが喜びであり,そのままで喜べるのです。生きている人には,自覚があり,生きていると感じるからこそ喜ぶことができるのです。もし生きていないのであれば喜ぶ事はないでしょう。だから私は,自分のしたいことをして喜びを謳歌して暮らしていこうと思っています。それこそが人間に与えられた力です。人は人らしく生かされていこうと思います。
若かった私は,それなりに生きて,それなりに,何かに向かって生きてきましたが,つき詰まる所,何をしていたのかわからぬままにウロウロとさまよっていたのです。ですから何をしているのかわからぬままに生きてきたのですから,それは,生きていたというより生かされて来たのです。
目前のことは,その時々に判断して生きているのですが,いったい何をしようとして,そうしてきたのか…?わからなかったのです。
わけのわからぬまま,喜怒哀楽の渦に巻かれ,巻かれていることも自覚せぬまま,ただ苦しさや悩み,迷いだけが心の底にどっかりと居座っている事だけは,自覚されることでした。
まったく,仏教でいう所の「無始よりこのかた無明(明らかでない)の世界をさまよっているのです。」
もちろん,浮いたり沈んだりしているのかも知れませんが,阿波踊りで謳うように
わたしの心も浮いてきた
エライヤチャ エライヤチャ
よい よい よい よい
と生きて暮らしていきたいものです。
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