スクープ 多家良塚劇団  鎌田 尚之

 昨夜は,多家良塚劇団の練習日。私が行ったときには,全員が集合していた。なみがしらさんが舞台装置をこしらえてそれらしくなってきた。
 練習にも熱が入り,演出の先生の駄目出しにもめげず練習を寒いと思って着込んでいったら,背中や額から汗が背中のは冷や汗か。これも結構運動になるなと感じた練習でした。
 他の皆さんを見渡すと皆さん汗をかかれていた。それだけ練習に熱が入ったのか。トヨさんは,うずめを冷やかし触りまくるシーンでは,実生活そのままの名演技です。
 さて本番はどうなるんでしょうか。


高速夜行バス     石渡 修司

 孫誕生の報せで,急遽,横浜に行くことにしました。費用も時間も節約したいので,高速夜行バスにしました。日曜日ということもあってでしょうか,徳島で車内はほぼ埋まっていました。鳴門を出ると,車内の明かりが消され,足元の明かりだけになりました。窓には厚いカーテンが掛かっていて外から光も入ってきません。ほとんど暗くなった車内は車の走る音以外何もしません。運転手からのアナウンスも最後になり,安眠できる態勢になりました。そのような中,わたしは眠れぬまま考えました。
 確かに,夜行バスは便利である。眠っている間に体を運んでくれるわけだから,これほど時間を有効に活用していることはない。眠っているという,何もしていない時間を使って目的地まで運んでしまう,すばらしいアイデアではないか。時間が貴重になればなるほど,これは有効な手段だ。しかし,あまりにもうまい話だと,そこに何か胡散臭いものを感じてしまいます。
 朝の新聞のスポーツ欄を見て,贔屓のチームが勝ったか負けたかをチェックし,勝って喜び,負けて悔しい思いをする。テレビも見ず,ラジオも聞かず,結果だけで一喜一憂している自分を発見し,これでいいのだろうかと思う。学校で学んでいた頃,試験の答案用紙が返され,点数が何点だったかだけにしか関心がなかった。いい点数で喜び,悪い点数でがっかりしていた。わたしが結果のみにこだわる人間として育ってしまったことに気付かされます。
 結果のみにこだわる人に平凡な日々の生活を楽しむことはできません。結果に振り回されているならば,行為していることそのものが与えてくれる楽しみを味わっていないということになります。結果のみにこだわり,その途中をすっ飛ばすということは,実に大切なものを捨てているということです。なぜなら,わたしたちは誰もが終わりは死なのですから,わたしたちはその死という終わりに向かって生きているのです。早く結果を知りたいと願うことは,早く死にたいというのと同じなのです。ところが,そうであるのに,わたしたちは早く死にたいとは思いません。健康で,お金に不自由しなければ,長生きしたいと思っています。そうです。生きていることを楽しみたいと願っています。結果ではなく,途中を楽しみたいと願っているのです。それが,わたしたちの本当の心の願いです。
 夜行バスに乗るわたしたちが眠っている時間を惜しみ,目的地に着くことだけでよしとしているならば,わたしたちはそのつけをいつか支払わなければならなくなるでしょう。途中の積み重ねにこそ価値があり,結果は結果でしかないことに気付かない限り,わたしたちの心に満足感を得ることはないからです。

きみは愛されるため生まれた
               石渡 路子

 「きみは愛されるため生まれた」で始まり,「きみの存在が,わたしにはどれほど大きな喜びでしょう」と,歌いあげるところで,私の心はそのとおり,一杯になります。
 作詞・作曲イ・ミンソプの『きみは愛されるために生まれた』の歌は,わたしの心にそのまましみこんできます。
 3月に長女の子が誕生しました。わたしにとっては初めての孫です。どれほどか,この日を待っていたことでしょうか。人の誕生が本当に大きな喜びなのだということを改めて思わされました。愛されるためにきみは生まれてきたと言ってあげることができました。そして,きみが生まれてきてくれたことがどれほど大きな喜びを与えてくれたことか,と感謝の気持で心が一杯になりました。
 それだけに,最近の若い人たちの自死のニュースに心が痛みます。あなたがどれほど多くの人の愛で愛されているのか,気付いてほしい。あなたがいることで,どれほど多くの人に喜びを与えているのか,知ってほしい。あなたを失った時,どれほど多くの人に悲しみを与えることになるのか,考えてほしい。あなたが愛されるために生まれてきたことを伝えるために,あなたの命に代わって自分の命を捨てた方がいることを知ってほしい。

 「キリストがわたしたちのために死んで
  くださったことにより,神はわたしたち
  に対する愛を示されました」(ローマ5:8)。

 あなたは愛されるため生まれたのです。神からのメッセージは聖書にあふれています。是非,聖書を手にして,読んでみてほしい。必ず,あなたへの語り掛けを聞くことができます。

咲くさくら        川口 千恵

 「桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命をかけて わが眺めたり」
 岡本かの子さんの詠まれた歌ですが,この歌を読ませて頂いた時に,こんなに心に深く残った歌はありませんでした。又それ程までに花と対峙して眺めた事もありません。あの柔らかい薄明かりの花に包まれた木の下に佇むと,何か暖かいものさえ私には感じられます。しかし本当に花が開いた時は一輪たりとも咲き残しはなく,「いのち一ぱい」の形容がぴったりくる咲き方をしていました。今年もあちらこちらの桜をながめ美しさに酔いしれました。伝統の上に咲く京都大原三千院,仁和寺の咲きこぼれそうな桜たち,江戸小紋の様な江戸彼岸桜,緑色をした桜,重そうな八重桜。南から北へ日本中の人達に春の訪れを告げ存分に楽しませ,活気を呼び込み,その美しさを終える。来年もその美しさに酔いしれたいと思います。