三木家古文書について(その3-1)
三木 信夫 三木家は鎌倉時代すでに大きな勢力を有して,文永3年(1266年)2月地頭名に属する「わたつりや内」を三木安村に与えるという宛行(あてがい)状を種野山地頭職代官よりもらっています。 |
ペンパールEthelを尋ねて3万里
天羽 達郎 昭和27年(1952),私の通う桑野中学校にペンパールクラブが出来た。当時,第二次大戦が起こったのは国どうしに誤解があったのが原因のひとつだと考えられ,それを防ぐには若い人達が早いうちから外国の人と文通をしあい,お互いに理解を深めることが大事であると言われた。それでサンフランシスコに本部を置く国際文通クラブができ,日本支部は大阪枚方に置かれ,各中学校に呼び掛けがあった。桑野中学校でもクラブを作り1級上のHさんが会長になり僕も参加した。メンバーは5人ぐらいであったと思う。 |
忌部の話 二十一 「国造」その一
尾野 益大 「国造(くにのみやつこ)」とは,大化以前の大和朝廷の地方官を指す。当時,国造は一定の範囲の最高首長が大和朝廷から任命されて軍事を含む地方行政を把握していた。 |
すべての思いを家族に 48 自己実現
自分自身が自己実現をする。 大事なのは今,幸せ? 田上 豊 幸せは自分の心の中に有ります。 |