パカッと空けて・・・      西山 欣子

 来週は,たくさんの教室の予定が入ってるなぁ…。
 ぼんやりそんなこと考えてたら。。。
 突然,しかも今頃気づいてしまいましたよ。
 ダブルブッキング!!!
 あぁ,どうしましょ どうしましょ。。。
 ま,なんとかするしかないんですけどね。
 カラダを2つに分ける訳にもいかんですしね。
 やっぱり・・・・。
 頭の中をパカッと空けて大掃除する必要ありですかね。
 頭の中の腐敗臭っていったい何色で描けばいいんだろ〜??
 ちょっと悩んでしまいましたよ。
 ま,どっちでもいいことですけどね。

ゴッドハンド     川口 千恵

 陶芸チャンピオンという番組で,鳴門の陶芸家でゴッドハンドを持つという若者が,堂々優勝の偉業をやってのけた。陶業の世界も長く辛い修業を耐え抜いて作品が出来上がるというイメージが強い世界に,24才の若さで臆することなく新しい感覚の作品を作り上げていくのだから,これは並大抵の技術ではない。
 大谷焼は渋く重く作品の出来ばえに明るさを感じる事が少ない物が多い。日本料理を並べて栄えがなくてはいけない課題,どんな風に作品を仕上げるのだろうと,わくわくしながら見ていた。しかし期待を裏切る事なく見事な作品が並んだ。
 是非この作品に会いたくて,さっそく陶芸店へ出かけたが作品に会う事は出来なかった。色々お話をして伺うと,撮影は90時間を超え,作陶にも難しい条件がつき,本当に内容を知ってみると,よくぞこの優勝を勝ち得たものと嬉しかった。
 今日は大谷焼が妙に美しく見え,主人と湯呑みを購入した。

まっすぐな線     島川 文代

 さて。今日はちょっと絵についての話。
 私が中学生だった頃の話。
 美術の先生が質問してきました。
「絵が上手か下手か,すぐわかる方法を知ってるか?」
 ・・・・???


 先生は「紙にまっすぐな線をひいてみたら,すぐわかる。」といいました。

 おおお。描いてみたら・・・これが,結構むずかしいのです。
 要するに,「頭の中に思い描いているイメージを,そのまま紙にも描けるか。」って事なんでしょうね。
 フリーハンドで描く直線はごまかしがきかないので,自分の下手さ加減が,とってもわかりやすいです。(〃´∀`)ゞ
 直線に限らず,絵を描いていて,まずつまずくのはここですね。
「ひ〜っ。思い通りに描けないっ!!!」
 しょっちゅうつまずきっぱなしの私です。
 時は経ち,わたしも大人になり・・・。看板屋さんで,筆で文字を描く仕事をすることになりました。このとき,直線の上手なひきかたを教わりました。ポイントは手元を見てはいけないということ。どこまで直線をひきたいのか,ゴール地点に集中していると・・・あらら。不思議,結構きれいにひけちゃうんですね,これが。
 例えて言うと,ボーリングと同じ。
「ちゃんとピンを見ていたら,ボールはまっすぐ転がって,力加減もわかってくる。」・・・って感じですか。(私,ボーリングは苦手ですけど。)
 ・・・それから,また年月はながれ,今思うこと。これって絵に限らず,何にでもあてはまりますよね。
 例えば,「今夜はハンバーグをつくろう!」と思ってスーパーに行ったら,必要なものだけ買って,まっすぐ家に帰れる。
「なんかわかんないけど,適当においしそうなもの買ってご飯作ろう。」と思ってると,あっちの棚,こっちの棚から,いらないものをいっぱい買って,家に帰ってから「足りないものがあった〜。」なんて事がよくあります。
 私はついつい,あっちへふらふら,こっちへふらふら・・。「それはそれで楽し♪」ですが,時々はゴールをちゃんと見て,まっすぐな線をひいてみなくっちゃね〜。
 なんだか,最後,例えがよくわからない文章になってしまいました。スミマセン〜。

幻想 壹與(いよ)の蘭(二)   山田 善仁

 女王壹與は,先々代女王,卑弥呼と違って,噂ではそれはそれは美しく,馬懿殿は都へ連れて還りたい程で有ったそうです。
 洛陽に凱旋した馬懿殿ではあったが,庭に咲く蘭を眺めては,絶遠の地,倭国の事が忘れられず,詩人で竹林の七賢の一人と言われた,いとこの山濤(さんとう)将軍と相談して部下に命じ,女王壹與に似合う香り漂う朱い蘭花に心を託して,邪馬壹国の都奴国までお送りしたそうです。
 軍人では有るが花の心も解る人であったのですよ。
 博士殿,今奴国の果てでは,山が裂け,火を噴き,灰が幾日も幾日も降り注いでいると言われておりますが,馬懿おじいさまに慕われた,女王壹與殿が心配ですね。心傷みます。
 私も大きくなったら,おじいさまの志を無駄にしないで,また邪馬壹国の事も忘れ無い様に致しましょう。
 博士もお話をする途中,若き日の遙,蜀で暮らした事を想い出すので有りました。
 その安世王子も,やがて晋(しん)の皇帝(武帝)と成られ中国の統一の為に,日夜多忙の身で有りますが,寛ぎの宮殿で,朝は朱い蘭花の芳香を,夜は月に照らされた蘭を観て,ふと少年時代,陳寿博士より聞かされた壹與と蘭を,遙東の彼方に想い求めるので有りました。
 その後姿を見つめる一人に,武帝の娘襄城公主(じょうじょうこうしゅ),後の王敦(おうとん)の妻が居りました。
 以来,蘭は語り語られるものとして,東晋の世(353年3月3日)に,王敦の従子,右将軍王羲之(おうぎし)に依って,蘭亭曲水(らんていきょくすい)の宴(えん)として花開いたので有りました。
 世は,桓温等,軍閥(ぐんばつ)の台頭,朝廷の惰政の時代で有りました。