天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 29
よろこびが「ある」 三村 隆範
「彼らは何をしているかわからないのです」とイエスキリストは,十字架の上から全世界の人に向かって叫んだのです。
毎日いろんな人と出逢います。腹の立つ事や人に出会っても,その言葉を想い出すと
「まッ しかたないか」と腹の虫もどこかに消えてしまいます。
生きていて生かされているだけなら,笑ったり腹が立ったりしているだけいいのかも知れませんが,やはり,自由意志を持った人間で生きている以上,「よろこんで生きたい」「幸せになりたい」という気持ちはいつまでも持ち続けています。
そして「こうした方がいい」とそれぞれの人が考えて自分が思うことを毎日行っているのです。その結果,よろこぶ事が起こる事もあれば,腹の立つ事も起こってくるのですが,腹が立っている時は,「よろこんで生きたい」という気持が,もう何処かに飛んでいってしまって忘れているのです。
その時は考えて自分の思うことをしていると思っているのですが,実際は,「何をしているかわからない」暮らしが,日々続いているのです。
人が望んでいることは,「幸せ」に生きていたいということです。気に入らないことが起こると,「よろんでいたい」という気持ちを忘れ,すぐ腹を立てるのです。
人が望んでいることは,「いつも歓んでいたい」であるように,神様が望んでいることも人が歓んで生きることです。しかし,現実には色々の事が起こってきます。その起こったことを「良し・悪し」で判断して生きるか,すべてを「良し」として受け入れるか。それは,それぞれの人間が決めることです。
現実は,いつも目の前に「ある」のです。
時間の流れの中で,色々のことが起こってきます。それは永遠に変わらず繰り広げられることです。その中でどう生きるかは,それぞれの人が自由に選び決めることができるのです。
よろこびがいつも「ある」という状態で,今年も暮らしていきましょう。
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