じ〜っとじっと待つ  西山 欣子

 ここんとこ,良い縁やタイミングに見放されている感じがする。それもこれも自分自身の気持ちの持ち方次第だと思いつつもちょっとせつないなあ。。。
 そんなこともあるのか,周りの人の新しい出発や挑戦がヤケにイキイキ見えてまぶしいくらいの今日このごろ。。。


 ま,こんな時は焦っても凹んでもしようがないし,とりあえず今は,じ〜っとじっといい流れ待つことにしよ。

2009.04.06

ニューモラルを読んで・・・No.476
幸せいっぱい腹八分
  相原 詩恩

 「自分勝手な乗客」で,いっぱい荷物を持ったおばあさんが電車の中で席をさがしていて,すわっていいか聞くと,1人の男性はすばやくよったのに,そのとなりにいた男性はめんどくさそうにやったそうだ。私は,となりにいた男性は,ひどいなあと思った。おばあさんが大変そうにしていたら,少しでも優しい心で,よってあげたらいいと思った。
 「この平凡な1日に感謝を」で,幸せも,時間もお金も何もかも腹八分にして,余りの二分は,入り口のドアを開けてあげたり,親孝行や募金活動をしたりすれば,周りの人々にも優しくなれるし,自分にも優しくなれる。日常生活で,「自分がいけたらいい」「自分が先だ」という自分が一番という気持ちをおさえて,人にゆずったりしてあげると行動や心にゆとりができて,良い心ができていくと分かった。
 私も,少しだけでもゆとりを作り,人々に優しくしたり,ドアを開けてあげたり,良い事をもっとしていこうと思った。

広い世界へ飛び出す  石渡 修司

 自転車に乗れるようになったのは遅かった。
 小学六年生の時,担任の先生が,
「自転車に乗れない人」と訊ねられ,思わず手をさっと上げてしまった。すると,男の子では,私だけだった。私は恥ずかしさと悔しさの混ざった複雑な気持ちだった。
 早速,家に帰ると,父に話をした。すると,父は空気の抜けたタイヤの自転車を出してきた。
「これで練習しろ」と言う。今のように,子ども用の自転車など,なかった時代だ。子どもは大人の自転車を,その頃の言葉で,「三角乗り」という極めて難しい,曲芸まがいのテクニックを駆使していた。私も,その三角乗りに挑戦した。何度も,転倒し,ようやく何とか乗れるようになった。すると,友達が誘ってくれるようになり,こわごわ,付いて行った。幾度か,怖い思いをしながら,技術は向上した。
 ついに,一人で自由に走ることができるようになった。一人で,気の向くまま走るようになった。今までは,歩いてしか行くことができない範囲をうろうろしていたものが,どこまでも行けるようになった。急に自分の世界が広くなったことを感じた。自転車ひとつで,自分の世界が変わってしまった。
 イエスさまの弟子達は聖霊を受け,世界に出て行った。
 「エルサレムばかりでなく,ユダヤとサマリアの全土で,また,地の果てに至るまで,わたしの証人となる」(使徒言行録1:8)。
 聖霊を自分のものとした弟子達は,喜んで,広くなった世界に出て行った。自転車と聖霊ではだいぶ違うが,私には弟子達の気持ちが分かる気がする。

すべての思いを家族に 56
子供や孫から学ぶ
     田上 豊

 子供とか孫から学ぶことは多いよね。
 親を親にする先生です。
 孫や子供を批判したら駄目です。
 神様の傑作なのです。
 孫や子供を批判したら駄目です。
 彼らはガンバッテ居るのです。
 子供や孫が頼れるのは親しか居ないのだからね。子供や孫は親が大好きなのです。
 私達は先に生まれただけで少し知識が有るだけで,批判をしたらいけないのです。
 人を批判すればその門で批判が待っているのです。
 文句を言えばその先に文句を言う人が待ちかまえているのです。
 愚痴を言えばその道で愚痴が待ちかまえているのです。怒れば怒ることが手ぐすねを引いて待っているのです。
 自分の子供を見てみなさい,自分の若いときと同じ事をしているのが目に付きます。その息子を非難してはいけないのです。
 人を批判したり文句を言ったり,愚痴を言っても相手の運命や人生には関係がないのです。文句を言った人の品性が下がるのです。品性が下がると,思う事が思う通り進まないのです。
 感謝を言えば感謝の花が道ばたに咲くのです。皆さんから好かれるのです。
 自分の発する言葉は,自分の人生を左右するのです。
 言葉に気を付けたいものです。
 感謝を学ぶために家庭があって,親子になって,夫婦になって,兄弟になって,出会いがあって,別れが有るのでしょうね。