腹をかかえて笑う   西山 欣子

 教室終了後,楽しい楽しい受講生のみなさんと一緒に元受講生が営む喫茶店「ひまわり」へ。
 教室内での会話も相当おもしろいけど,昨日のここでのお話はほんとにおかしくておかしくて。。。
 ふとしたひと言でスコンとツボにハマってしまった私は息が苦しくなるほど笑いが止まらなくなってしまって。

 涙は出るは,頬は痛いは,おなかは苦しいは。。。
 人に会えば一度も笑わない日ってのはほぼないかと思うけどこれほど笑ったのは,ほんとに久々だったかも。。。
 「腹をかかえて笑う」ってのは,痛くなった腹筋をかばう仕草だったんだなぁと実感できたことでした。

2009.07.01

ウォーキングからスロージョギングに!
               芝山 靖二

 6年前より朝一時間6.5キロのウォーキングをしてきました。それが最近ウォーキングよりスロージョギングが良いことを知り,一か月前よりスロージョギングに変えました。
 筋肉には「速筋」と「遅筋」あり,疲れるのは「速筋」を使うから,「遅筋」だけを使うと全然疲れません。
 「遅筋」だけを使う走り方とは?
 歩くぐらいのスピードでゆっくり走ること!
 じゃあウォーキングでいいじゃん!てことになりますが,時速5キロの同じスピードでウォーキングとスロージョギングの消費エネルギーを比較したところ,スロージョギングの方が1.6倍,さらにスロージョギングを続けると遅筋の能力が向上し,筋肉内の毛細血管が増え,今まで使われていなかった筋肉が使われるようになり,ラクなまま,より速く,より長く走ることができるようになります。スロージョギングを始めて1か月,今では疲れは全然感じません。ウォーキングの時と同じコースを走っていますが,なんぼゆっくり走っても,大股速歩で1時間かかっていたのが18分早い,42分で帰ってきます。
 それと一番違うのは,ウォーキングではほとんど汗をかきませんが,スロージョギングでは超ゆっくり走っていますが,汗びっしょりになります
 さらにスロージョギングを続けている人の中には「悩みがなくなった」「怒らなくなった」「決断力が付いた」等,ジョギングをすることによって,脳の機能が向上するそうです。
 皆様もスロージョギングいかがですか?

南瓜の蔓     大西 時子

 事務所から少し離れた民家の家庭菜園の四角い小さなスペースに南瓜が植えられ大きな葉っぱと蔓が伸びています。地面には藁が敷かれ,ロウソクの灯が灯ったように黄色い花がついています。
 南瓜や茄子の様子にはいつも目がとまります。畑の刈草の小山から南瓜が自生してピュアな蔓を伸ばし,パッと灯ったような黄色い花が子供の私には格好のままごとの材料になりました。
 花には独特の匂いがしました。


 懐かしさが脳裏に甦ってきます。人は真似る事から憧れの蔓を伸ばして行きます。母親の真似,まわりの若者や大人の真似。それを通り抜けて無限の大空に翼を広げていきます。
 やがて空を飛べない事がわかった私が数十年地上をはいつくばって,またやおら朽ち果てた羽根を広げようとしていることが有り難くも嬉しくも感じます。
 ご縁の妙。
 いつまでも人真似で飛ぼうとしている私が健在であることを発見します。
 正直であれ,率直であれ。
 愛の口から放たれた言葉は人を育てる。
 刈草の中から蔓を伸ばした幼い頃の南瓜の清しさを今見て居ます。

忌部の話 三十二  「山田 立夫」
              尾野 益大

 阿波忌部の末裔・三木家がある旧木屋平村三ツ木で1858(安政5)年11月1日に生まれた漢学者。字は子誠。貢村,三樹,立翁などの号がある。三木家二十六代目当主・宗治郎氏と親しく,三木家の大正天皇大嘗祭での麁服貢進復活に尽力した。
 立夫は18歳で戸長となり,後に京都に遊学。南禅寺の独園禅師と交わったりした。さらに東京に出て,農商務省,国学院大学,二松学舎,宮内省図書寮などに奉職し,明治天皇御記の編集にも従事するほど活躍した。
 その間,旧山川町出身で東京府知事,文部,司法,内務,逓信の各大臣や枢密顧問官,国学院大学長,皇典講究所総裁に就くなど幕末・明治維新に徳島出身者で最も活躍した芳川顕正伯のほか,上板町出身で農商務大臣や枢密顧問官,日本大学総長になった男爵・松岡康毅や農商務・司法両大臣と枢密顧問官を務めた金子堅太郎伯,枢密院副議長子爵の清浦奎吾伯らと交友があった。
 立夫は丹後の天橋立に碑を残したのをはじめ,県内に残した碑文も少なくない。徳島中央公園千秋閣には大正天皇が皇太子の時に行啓した記念碑があり,旧木屋平村戸長役所があった竜光寺には当時木屋平戸長を務めた松家勝一翁の頌徳碑がある。また,三木家と親戚の多田家がある小松島市金磯の弁天山の頂には立夫自身がしたためた豪快な筆致の詩文がある。81歳のとき,弁天山から海を眺めた様子を「弁天山所見」と題し七言絶句にして彫刻したものだ。立夫の詩碑は他にほとんどなく珍しいものとされる。
 立夫は1941(昭和16)年3月,東京で没した。84歳だった。

徳島発 日本酒紀行 1
              竹馬 正宗

 四国の酒造会社38社が参加する「四国酒まつり」が2月に三好市であった。当日は都合で行けなかったが,まつり前後にも酒蔵を見学できるというので1週間前に「芳水」に足を運んだ。平日のせいか先客は1組しかおらず,静かな仕事場を案内人の蔵人と歩きながら酒造工程の説明を受けた。
 経営者の家族2人と雑談する機会も得た。たばこ関連の仕事から転換して約100年を経た蔵の歴史,酒造りに恵まれた周辺環境などをうかがった。しかし,こちらが酒の素人であるにもかかわらず,話し方が人柄を映して謙虚で,その上,こちらの子どものわがままにも気を遣ってくれて和やかな気持ちになった。
 帰り際,会話をした2人のうちご年配の女性が高校野球で名高い池田高校の名監督・蔦文也さん(故人)のご兄弟と分かり一層,感動が膨らんだ。短時間でもこんな出会いがあると印象が良く,普段ほとんど飲まない酒が身近に感じられた。純米大吟醸など4種類を利かせてもらった後,「純米吟醸」と「純米生」のそれぞれ4合瓶を買い求めその日さっそく晩酌をした。
 四国にも地酒と呼ばれる清酒がたくさんある。郷土の名産に気付かせてくれた酒まつりが今後も益々,盛り上がることを祈っている。