文化財民家を護る 三木 信夫
私の生家は,中世の系譜を引く武家の遺構の整形八間どり構造で価値が高いとして昭和51年2月3日国指定の重要文化財に指定されました。建物は1615年〜50年の間に建てられたもので,茅葺,南・西・北は庇付,柱は17cm角の釿仕上げでほぼ一間毎に立ち,大黒柱が無く,壁の少ない整形八間取り構造の大規模な家です。立地場所は,剣山山系に連なる三木山の頂上近く(海抜552m)にあります。 |
考古学からみた阿波のくに(2)
(徳島大学公開講座より) 天羽 達郎 徳島大学病院の建て変え工事の時,弥生時代の畠が見つかった。弥生時代といえば一面の水田を思い浮かべるが,阿波では吉野川が暴れ川であるため水田に適する所が少なく畠がけっこう多かった。弥生時代前期までさかのぼる類例は,福岡県小郡市三沢蓬ヶ浦(ふつがうら)遺跡,三重県松坂市筋違(すじかい)遺跡に次いで3番目であるが,前2者より完全な形で発見された。今後耕作土壌を洗浄し,どの様な種子が検索されるかたのしみである。おそらく米以外の穀物の種子がたくさん出てくるであろう。因みに続日本紀によれば阿波の国は米が少ないので税は麦でよろしいという記述があるそうだ。阿波はもともと粟の国といわれており古事記によれば「この島(四国)は身一つにして面(おも)四つあり,面ごとに名あり,粟国を大宣都比売(おおげつひめ)と謂ふ」とある。大宣都比売が速須佐之男命に殺された時死体の頭に蚕,目に稲種,耳に粟,鼻に小豆,陰(ほと)に麦,尻に大豆ができた。すなわち五穀の神様大宣都比売の国が徳島である。このような物語ができた背景には畠作物が数多く取れる土地柄ということがあげられる。少なくとも北海道ではこんな話は生まれない。 |
大和の祝(はふり)の回顧
天香具山神社宮司 橘 豊咲 人の一生とは,何事に対しても,前向きに考えて努力をすれば,窮地から逃れることが出来ると信じたい。唯運命的な何かに操られて,こんな筈では無かったのに,思案に余ることがあって立身を断念したことがあると思う。しかし大和の
最中
に位置する天香具山山麓の十二社の宮司として十三年に当たることを,神縁に依るものと感謝の気持ちで,一年でも長く,来年長月の上旬に八十歳を迎えられることを信じて止まない所以であります。 俳句 熱風の吹かぬ香具山夏の果て 秋口の香具山頂に経の声 そよそよと香具山麓の稲田風 登拝者の山頂からの木霊かな 春寒に苗代づくり阿波の里 短歌 八桙の神見そなはす祭礼に 橘 香林 |
法要と「阿」 相原 雄二 今月(10月),叔父の49日法要と,弟の33回忌法要を営みました。どちらにも真言宗のお坊さんが来て下さいました。真言では「南無大師遍照金剛」と念ずる。それと同じく「南無阿弥陀仏」は浄土宗や浄土真宗のお念仏だ。説明では,おんあぼきゃの二十三字をちぢむれば,あびらうんけん五字となり,五字をちぢめて「阿吽」なり,阿吽の二字も「阿」字に帰す。「阿阿」と唱える一声に,阿弥陀あぼきゃもこもります。 |
波は阿波から「青石は語る」に参加して… 10月18日(日)に,あわぎんホールで,「青石は語る」という講演会があった。ホールに着いたら,かんばんを運んだり,旗を外に置いたりした。 |