忌部の話 三十五 「倭と卑弥呼」その一
尾野 益大
古代,阿波国府が置かれ,忌部とゆかりがある気延山の式内大社・八倉比売神社。
ご神体は天照大神,つまり「大日るめの命」(日の神)。神社の由緒をまとめた八倉比売大神御本記とそれとほぼ同じ内容で本居宣長の養子大平と出雲神社宮司の家系千家俊信が序文を記した「阿波国杉之小山之記」(1831年)によると,天照大神が高天原から下って気延山に神陵を築造した,としており,さらに推古朝に気延山から南麓の杉尾山に移したとある。これらは伝承の域を出ないが,実際の八倉比売神社の高い格式と国府周辺の古墳の存在によって信憑性がないとは断言できない。
また御本記には,奥の院である神陵に「偖の印璽」を水銀朱で覆って埋めたことが記されている。「偖」は「倭」であると考えられる。定説では,倭は古代に「ゐ」と発音され,後に「わ」とか「やまと」と読まれるようになった。偖は「伊」に通じるとも考えられ,日本最古の歴史書「古事記」の二神の国生みの場面に登場する「伊予之二名島」の伊とも同一とみていいだろう。伊予之二名島は四国の総称と指摘されているが,現在の地名から推測すると「伊」は阿波で「予」は愛媛を指すとみるのが自然である。
注目すべき点として,偖の印璽が「魏志倭人伝」に出てくる金印と同一である可能性も捨てきれない。これまでにも,気延山周辺の遺跡調査から阿南市の若杉山から産出した朱(硫化水銀)が精製されたり,集落祭祀に使われたりしたことが分かっており,邪馬台国の時代,邪馬台国の使者が中国・魏王朝に贈答した朱が,それら古代阿波の朱だった可能性があることを一部の専門家が指摘している。
加えて,大胆な仮説が許されるなら,八倉比売神社のご神体である「大日るめの命」つまり日の神は「日の巫女」「日の御子」を指し,倭の国の女王とされる「卑弥呼」という言葉に通じはしないだろうか。もし正しければ邪馬台国が古代阿波にあったことになってしまうが,伝承,遺跡,神社,地名などがその仮説を補強しているのも事実で,逆に戸惑わされる。
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一番おいしい酒は「冷おろし」と一説にいわれるらしい。冷おろしとは,春に搾った酒に加熱殺菌の目的で火をかけた後,秋まで熟成させたものだ。普通の酒は春,秋それぞれ火をかけるから,冷おろしはしっかり造っていないと味が狂うとされる。まだ自分自身,十分には実感していないが,冷おろしはその酒がもつ本来の味わいを感じさせてくれるという。
待ちわびていた9月がやってきて,三好市の蔵元「三芳菊」を訪ねた。以前にこの蔵の独特の甘み,風味をもつ特別純米を飲んだことがあった。三芳菊を営む馬宮家は藩政期,蜂須賀家の家臣で愛媛など三県境の見張り役や三好美馬郡代を務めた。現当主は15代目だが酒蔵としては6代目。最近では旧池田町長を務めた家でもある。武家屋敷と門を残しており,それらを壊さないよう敷地内は運搬用のレールを敷いているほどだ。突然訪ねたにもかかわらず,家の人が屋敷内をご案内くださり丁寧な説明までいただいて恐縮してしまった。本当に感謝している。徳島産山田錦と岡山産雄町の米で醸した酒2種類を買い,晩酌したところ独特の風味が舌に蘇った。色,味,香りの三つが芳しいという意味の銘柄「三芳菊」の通りで納得させられた。
この秋,そのほかにも各地の冷おろしを利いた。「都美人」(兵庫・淡路島),「日置桜」(鳥取),「刈穂」「白神山地の四季(八重壽)」(いずれも秋田)。まだ栓を開けていないのは「龍成」(広島)。そして四国では「梅錦」「山丹正宗」(いずれも愛媛),「司牡丹」(高知),「川鶴」(香川)を飲んだ。都美人では冷おろし以外にも,ソムリエの田崎真也が兵庫の日本酒で2番目にうまいと絶賛した「大吟醸 凛美 薄にごり」を購入した。蔵元を訪ねると,つい隣の瓶にも目がいってしまうものだ。
また,冷おろしとの厳密な違いは分からないが,秋に美味しくなるという意味の「秋あがり」と呼ばれる酒もあって「環日本海」(島根),「招徳」(京都),「酔鯨」(高知)に酔った。
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先月30日(水)四国放送ラジオの「日本全国8時です」の中の,気象予報士の森田さんのお話です。
昭和34年9月26日(土)に愛知県(名古屋市)へ上陸した「伊勢湾台風」により,5,000人余の方々が高潮や強風豪雨等で亡くなられました。
森田さんは,番組の中で
「5,000人もの方が亡くなられたのは,情報伝達が出来ていなかったから,高潮や台風上陸の時間,地域などを知らなかった事が最大の原因である。」
と言われました。
その台風上陸の日のお昼,気象庁から連絡が入りメモしてあったが,当時の気象台の方が見落として,午後に帰宅してしまった。土曜日であった。
2年後の昭和36年9月26日,第2室戸台風が高知県に上陸して阪神を通過したが,死者は200名であった。マスコミ,テレビ,ラジオで高潮警報や強風・大雨洪水警報が情報伝達されていたから,伊勢湾台風の時の死者(5,000人)の25分の1(4%)200人に止まったことを,森田さんが詳しく説明してくれました。
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この言葉の意味は,損をして徳を取ると,損をして得を取る違いがあります。徳って何だろう。どちらにしても自分の損,得を計算してのことです。やはり自分中心です。
子孫に徳を残すと言う言葉もあります。子供達に物を残すと子孫が楽を出来ると思う一つの子孫への愛情でしょうが,必ず良い方に働くとは限りません。
物が人を堕落させる事も多くあります。物がマイナス働くのです。
徳とは目に見えない陰徳の事を言うのでしょうね。人間の知識では判らない運の良さとか,奇跡とかがそれにあたるでしょうね。徳とは卓越した道徳的能力だと唱える人も居ます。
又,徳を狙って良いことをしょうとするのは,人間の一つの利己心でしょう。利己心で徳を残すことが出来るのでしょうか。
人とのかかわりで損得を超えたところで,相手が心より救われた時,偉大なる者が見ているのでしょう。偉大なる者から与えられるのが陰徳でしょうね。考えたいものです。
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私は自然農をして一年半ほどになります。
野菜(お米)を栽培する場合,一般的に「野菜(お米)を育てる」と言う。つまり,人間が主体で野菜が下位に存在する物という考えでした。しかし,最近,自分自身が野菜に育てられているような気がします。
野菜を栽培するうえで色々な問題が発生します。その問題を解決する為には色々な知恵が必要です。時には,葛藤したり喜んだりと…。自分自身の足りないところに気付いたり…そして成長(進化)します。野菜さんも人間から何かを得て成長(進化)しているのかな?。
野菜さんも人間も同じ立ち位置にいるような気がします。手と手をとりあって…。つまり,野菜も人間も同じである感じがします。
野菜さんも自らの命を人間に与えることによって,喜びを感じているのかもしれません。
畑に育っている,野菜さんに一言
「ありがとう!!」って素直に言えたら,なんて楽しんだろう!!。野菜さんからも,「ありがとう!!」と返事がありそうな気がします。
自然の営みを少しばかり垣間見た気がします。
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