ヘルシンキで開催されたヨーロッパキリスト者の集いに参加後,私たち夫婦はそのまま,ラップランドと38年ぶりとなるフィンランドの南へとの旅を続けました。そして,2週間後の8月19日(水)にいったん帰宅し,翌日丸一日かけて,旅装を解くのと同時進行で,私たち夫婦は母教会(FEG St.Gallen)の山仲間と,今年で3年目となった夏の高山トレッキングへの準備をいたしました。
今年は,スイス南東部グラウビュデン州の有名なクライナ地方からテシン州に及ぶ高峰群を山小屋に泊まりながら4泊5日でトレッキングをしました。3日目に Piz Terri(ピッツ テリ)3,149mへの登頂,5日目にはザイル,アイゼンやピッケルを使い,何年ぶりかの氷河渡りに挑戦, Rheinwaldhorn (ラインワルドホルン)3,402m の登頂に成功いたしました。
この両峰を極めることが出来たのも,ペーターさんという登山歴50年を越す,登頂する山の地形も魅力も危険性も知悉した,しかも,謙虚な優れたリーダーが先導してくれたこそでした。今年の7月,北海道の大雪山系で悪天候と素質(賜物)のないリーダーの誤った判断がもとで8人の遭難死がもたらされたことを思うに,私たちが日頃誤ったリーダーに従っていないか,従っているのは真実のリーダーであるか,立ち止まって良く見定める必要があるのではと思わされたものでした。
スイス南部のテシン州は南欧の雰囲気の漂うロカルノやルガーノという街や湖で有名ですが,3,000mを越す高峰が20以上もあることは余り知られていません。主の創造された例えようもない大自然の迫力と美しさに,私たち夫婦は思わず創造主を賛美せざるを得ませんでした。このように大自然のなかに身をおくと,神の “お前を愛しているよ” との言葉が聞こえてきます。
山は一歩誤れば,何百メートルも滑落して命を失うところですから,主が供にいて下さることを信じて,一歩一歩慎重に歩を進めましたが,幸いにも,事故や遭難に会わず,無事下山できたことを深く感謝しました。
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十月佳日。早朝,配達のために戸外へ出てみると,見上げた空には満天の星。今日も晴れてすがすがしい一日になりそう……。その時,南の空にオリオン座を見つけました。 星に詳しくない私にでもすぐにわかる,三つの星が並んで光る「オリオン座」です。
その時,そのそばを一瞬,明るく光る星がサーッと動いて消えました。
まさしく,今,毎朝のようにラジオで「ぼくは3個,私は5個見た!」と放送されている,「オリオン座流星群の一粒だ。」と思いました。
いきなりの空からの贈り物に,願い事は出来なかったけれど,とても嬉しい気持ちになりました。
大好きなキンモクセイの香りと,おかげ様で二重の楽しみをかかえながら,今日の仕事がいつもより数倍楽しいものになりました。
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近所の植木屋さんに,今年は庭木の剪定を一ヶ月余り早くしていただきました。
ネコの額程の小さな庭ですが,それでも作業はきっちり一日かかりました。
その間,80歳にもなる植木屋さん,木の枝の又から,ハシゴの上からと,巧みに足場と道具を手早く変えながら作業をどんどんこなしています。
パチンパチンとハサミ裁きもリズミカルで,なかなか楽しそうな音でしたが,見ていると大変で重労働なのにと感心させられます。
一方,下ではパサパサ落ちる枝葉を拾い集めトラックに積み込む作業……。二人がかりで,一人剪定するのに追いまくられて,へとへとでした。
薄暗くなった頃,やっと終了。
腰が痛くなり疲れはしたものの, 翌日の朝,太陽が窓からパァーっと飛び込んで来て,明るい室内に気分まで爽快でした。
早く来い来いお正月という気分です。
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この秋,剣山へ行って来ました。
朝6:00に出発したので早く登る事が出来ました。リフトの上ぐらいからは紅葉がきれいで前日の新聞にも載っていたのと同じでした。
秋も何度となく剣山へ行きましたが,なかなか紅葉の見頃に出逢う事が少なかったので,今回は最高でした。
でも頂上は霧が濃くて風も強く,ロープにつかまっていないと吹き飛ばされそうでした。ヒュッテのストーブのそばであたたかいうどんをいただいて,ホッとしました。
それからいつものように木屋平を通って神山の道の駅へ寄り,楽しく帰って来ました。
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「秋の夜空を彩る「オリオン座流星群」は,今年がピーク。又,今年は観測の邪魔になる月明かりのない絶好のチャンス。月が沈み,オリオン座が東の空に高く上る午後10時頃から出現,深夜明け方にかけて数が増えるという,オリオン座流星群は,毎年10月中旬にオリオン座とふたご座の境界付近を中心に,放射状に広がるように出現する」と新聞で知りました。
その言葉を信じて寒い夜空を見上げていました。しばらくダメとあきらめ半分で見上げると,最初の2つは,今のはと思う短い流れ星2つ,少し間を置いて大きな流れ星2つ,又1つ。今日一日いいことが有るようなうれしい気持ちで部屋に入りました。次の流星群を見ることが出来るのは70年後とか。私はこの世に存在していないでしょう。
来月は獅子座流星群が見えるらしいです。楽しみが一つ増えました。
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天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 38
自分を見たか! 三村 隆範
ぬっ ふふふふ・・・・・
自分を見たことがありますか?
自分を見るということは,気がついた。自覚した。ということです。これは人間でないとできないワザ(能力)です。一方,この能力があるから苦しみ,悩むことにもなるのです。しかし,ほんとのそれ(自分)に気がつくと・・・。何んでも無いのに,ぬっ ふふふふ…となるわけです。
急に,ぬっ ふふふ・・。なんて笑い出したら気持ち悪いじゃないの。お金も名誉も手に入ったわけでないのに,何がうれしいの…?おかしくなったのじゃない?と言われるかもしれないが,それでも ぬっ ふふふ・・・・・となってくる。
人間は,自分の外のことばかりを見て,それにとらわれて,本当の自分の姿が見えなくなってしまう。いつも自分は,自分と共に居るから自分を見ているようなつもりでいて,外のことばかりに目を向け,自分のことは,見ていない。自分のことを見ていないので,迷ったあげくに悩んでしまう。悩んで迷っているということは,何も見ていない,見えていないということです。
自分は,いつも自分と共にいるのですから,何も迷うことがないのですが,自分が見えなくなるから迷ってしまうのです。しかし,実際,いつも自分は自分と共にいるのですから何も迷うことは無いのです。
自分を見ることが出来るようになること,これを仏教では,自灯明といい。そして法灯明を観ることができるようになった人の姿と現している。
人間ですから,先ず一番大事なことに気がつくことです。
そんなことに気がつくより,いかにして金儲けかできるようになること等に関心があるという人は,そのことに努力すればいいでしょうが,徒労に終わることは目に見えています。
うまくいく方法を人に教えてもらい,知った事が上手くできるようになれば,上手くいくと思い,人から教えてもらい知ることに努力しています。しかし,いくら知った所で,上手く生きることは出来ません。それは今まで生きてきた自分の経験と人類の歩んできた道をみれば明らかなことです。
知らなくても,気がつけば上手くやっていく事は出来ます。そんな簡単に気がつくことは出来ないと言うかもしれませんが,簡単です。
あの瞬間は,目の前にやってきているのです。
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