三木家古文書について(その12)
               三木 信夫

 1336年後醍醐天皇が吉野に移り,南北朝の対立から12年後の正平3年(1348)南朝楠軍と北朝?師直(こうのもろなお)軍が大阪の四条畷で戦い,北朝武家方の大勝利となる。師直軍はさらに吉野まで押し寄せ行宮(あんぐう)や寺などを焼きはらい,後村上天皇は吉野から西吉野の賀名生(あのう)(=今の五条市)へ逃れ,現在重要文化財となっている堀家住宅を仮行宮としている。転々としながらも最後まで南朝は堀家を利用している。四条畷合戦の翌年より,足利氏の内部で分裂騒ぎが起こり,正平6年(1351)弟の直義(ただよし)が突然南朝に降り,更に尊氏も南朝に降り互いに相戦い直義は鎌倉で尊氏に毒殺される。
 同年,三木氏村が,軍忠の功として観応2年(1351)北朝崇高天皇年号の在家二家宛行状がある。前年来尊氏も南朝に降っているが,花押の主が尊氏でなく不明で幕府側の有カ者とも考えられる。阿波国でも内戦が展開されている事がわかる。


(訳)

宛行(あてがい)
種野山国衙分三木の内,在家貮家之事,右,御方に於いて忠致すに依り,彼の在家補任する所の状,件の如し。観応2年7月22日      花押
三木衛門尉殿

屁ぇひり婆さんの話
祖母が語った阿波の民話(その3)

               天羽 達郎

 あるところに上手に屁ぇをひる婆さんがおって,屁ぇの音でいろんな鳴き声を出すんじゃ。もぉ〜とか,ひひひぃ〜んとか牛や馬のは序の口で,こけこっこぉ〜と鶏の声や,ホーホケキョという鶯のさえずりまでやるんじゃ。ある時お殿さんがほれを聞き付けて,いっかい聞かしてくれといいました。ほれで婆さんはいっちょらいの着物を着いて出掛けて行きました。お殿さん方へお尻を向けていろいろな声を出し,最後にホーホケキョ,ケキョ,ケキョ,ケキョ,とやったら,お殿さんは大変感心し,褒美をいっぱいくれました。
 ほれを見ていた隣の婆さんが,ほんならわたしもといって,お殿さんに願うて行きました。そして芋や豆をようけ食べて,屁ぇがいっぱい出るようにしていきました。しかしいざとなるといくら気張っても屁ぇはなかなか出ません。そこでお尻をまくって,お殿さん方に突き出し思いっきり気張ったら,屁ぇが出んと,うんこがぼたぼたぼたと落ちてきました。「こら,この無礼者め!」とお殿さんは怒って,婆さんは牢屋に入れられました。
 と,いって祖母はほっほっほっと面白そうに笑った。

つづく

すべての思いを家族に 62
家族の支え
         田上 豊

 家族でも有り難う。お陰様。大丈夫,気を付けてと言えば,心の灯火です。家族を明るく温かくする心です。心の灯火です。この心の灯火は使うほど大きくなるのです。自然の力って不思議ですね。挨拶って自分への魔よけなのです。
 親子でも夫婦でも恋人と思えば良いのです。相手を大好きだと思えば良いのです。自分が楽になります。恋人で有れば感謝したくなります。全部自分の為なのです。
 相手を変えることは出来ません。相手に注意をする事も出来ません,人って自分の欠点を言われると怒ります。相手を恋人のように好きになれば良いのです。大事な人を支えその人の笑顔が自分の喜びなのです。家族でも愛している。好き,大事にするよとの言葉を使いたいものです。
 寄り添って当てに成るような家族に成りたいですね。感謝が感謝を呼び愚痴は愚痴を呼ぶのです。家族には特に必要なのは感謝の言葉です。感謝(ポプチブ)愚痴(ネガチブ)を言うすべては自分が仕掛けているのです。すべてが自分のためです。利己心では無いのです。家族の幸せの為です。
 三原則,非難,批判,批評などを子供や孫の前では言わない。
 人を批判する言葉が孫,子供の脳にインプリットされる。非三原則です運命が悪くなる。
 良いことは実行したいものです。

自然農で気付いたこと(2) 西村 学

 僕は,自然農をする前は,全く農業を知りませんでした。そして,自然農をゼロから学びました。自然農を実践していく上で,知らずしらずに自然農は善,その他の農(慣行農法や有機農法)は悪という考えになっている事に気付きました。自然農は素晴らしいと思いますが,一つの考えに執着していると他を排除(非難)してしまいます。いくら素晴らしい農であっても他を非難すれば,挙句の果ては争いの種になってしまいます。
 この世界(宇宙)は全て必要であるから存在している…。物事には善悪はなく,それをただ受け入れ認めていく…。結局全て素晴らしいのだ!。善悪というのは,人間の価値感(エゴ)が勝手に決めていることであることに気が付きました。
 つまり,どの農法が良いか悪いかではなく,何を選択するか,そして,どんな農であれ農をする動機が最も重要であることに気が付きました。そして,善悪に囚われず真に農を楽しんでいると,自然と他の人も興味を持つと思います。その農業が21世紀型の農業と思います。
 自然農の教えの中に「全ての原因は外にあるのではなく,自らの内にある」といっています。全ては内(想い)を観察し,それらに影響を受けない(想いを流す)ことにより真実が見えてくるということだと思います。

誕 生 日       松林 幸二郎

 この時期には未だ早い降雪が,窓の外に広がる自然を,真冬の白い世界に変えてしまいました。秋の日に,淡い色とりどりに,それは美しく咲いていた何百本という日本コスモスが,咲き終わらぬ前に,厳しい寒気と重い雪につぶされて無惨な姿を曝していました。コスモスが大好きだったという横田めぐみさんが自由な身となって,スイスに咲く日本コスモをみたら,どれほど感激されるだろうかと想像しながら,春先から一生懸命育ててきたコスモスでしたが,人の予測しがたい自然の力を前に,人間の無力さを実感させられました。


 窓の外の冷たい景色とは対照的に,妻によって焼べられた薪によって暖められた農家の小さな居間は,私の62歳の誕生日を祝うために集まった3人の娘と,その伴侶,孫娘のめぐみ,さらに仕事の為この春から近くに住むことになった姪夫婦と幼い息子によって埋められ,狭いながらも心あたたまる豊かな空間を醸しだしていました。顔の皺もシミも増え,体力精神力も衰え,病も避けられぬのに,誕生日というのは,又ひとつ歳をとることで,なんの楽しみや喜びがあろうと,若いころは考えてきました。しかし,自分の生命は,自分で勝手にできる所有物でなく,神より与えられたものであり,イエスと人のために用いるもので,そのために肉体に賜物も健康も与えられているのだという真実に出会ったとき,誕生日の意味がまったく異なったものとなりました。
 「人は病気や事故では死なない,この世での任務が終わった時に死ぬのだ」,といつか,我が教会の牧師がおっしゃっていましたが,誕生日を迎えられたということは,これからの新しい年になさねばならぬ,この世でのAufgaben,つまり使命を精一杯果たしていきなさいというイエス様からの愛のメッセージをいただいたことになります。
 長女からの誕生日カードに書かれた言葉“パパは,私たちにとって,いまもなお,とても若く,いつまでも若いパパです。これからも,若く元気でいてね!”は,ほんのりと心を暖めてくれたものです。よく「パパはBuben(男の子)のようだ」と,よく娘達に揶揄されてきたので,歳相応に振る舞わねばいかんなと思っていた矢先の言葉でしたから,このままでいいのかな・・・とも思った,相も変わらず優柔不断な誕生日でした。