人生は,スゴロクのようなものである。お正月からというより,今から「あがり」を楽しんで日々を過ごしている。
「あがり」は,人それぞれに違うでしょうが,「あがり」は「あがり」です。自分自身が満足する日々を暮らすことです。つまり,早く「幸せな人生」にあがってしまうと,その人は「幸せな人生」を送ったことになります。
「聖書」ヨハネ福音書 4章 35-38に
「あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に,刈り入れる人は報酬を受け,永遠の命に至る実を集めている。こうして,種を蒔く人も刈る人も,共に喜ぶのである。そこで,『一人が種を蒔き,別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために,わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し,あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
と書かれています。キリストは,言っています。
「早く刈れ!」と,しかし,私たちは,
「いや?まだ実って無いです。」と言うでしょう。
すぐ刈り入れる人は,報酬を受けると言うのです。
他の人が,蒔いて稔った実も喜んで刈るから,「蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」ということです。先人が,苦労して蒔いて,現在を作ってくれたのです。私たちは,その実りを刈り取るだけでいいのですから,そんなありがたい事は,ありません。だから,蒔く時も喜び,刈る時も喜ぶことが出来ると言うのです。
良い実は刈り入れるが,悪い実は刈りいれない。というのが人情ですが,起こった事を「良い悪い」と判断するのは,人間の考えですが,何を基準に「良い悪い」を判断しているか考え直してみたいと思います。
「あがり」遠くにあるものではなく,すぐ目の前にあるのです。蒔いて刈って,蒔いて刈って,同時に行う,その繰り返しです。
こういう状態にならないと「あがり(幸せ)」でないと言っていたら,一生「あがる(幸せ)」ことはできません。たまたま思うように成ったとしても,それは一時的な事で,その「幸せ」が,いつまでも続くことはありません。「あがり」を目指し,今の「あがり(喜び)」を保ち続けて日々を暮らすことが「幸せ」に暮らす秘訣のようです。