初日の出         本多 幸代

 今年のお正月は,二人の娘の家族と久々に合流して,日和佐の実家へ帰ることになりました。
 元旦は,大麻山に登るのが私の一年の始まりでしたが,両親と迎える元旦も親孝行の一つかもしれません。
 又,大浜海岸から見る日の出もきっときれいだろうと思い,早朝4時30分出発,大浜海岸に6時30分に着きました。
 冷めた空気の中,長い行列に並びおぜんざいを頂き,浜辺に下りると,多くの人が日の出を今か今かと待っていました。
 海岸の前が明るくなり始めたけど,水平線に雲があるので姿は見えません。
 しばらくして雲間から黄金色の輝きが顔を出すと,人々の歓声の中,海と空は,口では言えない輝きです。
 その太陽を背に,日和佐太鼓の初打ちが始まりました。
 寒さも忘れて,打ち響く太鼓と日の出に感動して,今年も幸せを一杯感じた一年の始めでした。

お正月太り         平 澄子

 お正月は,上勝の田舎で過ごしました。
 7人と3匹が集まり,カニ鍋パーティーをしました。
 忙しくて大変なのに,毎日食べる事ばっかりです。
 まだその上に,「今晩何する?」「明日の朝,お雑煮はおもちいくつ入れる?」そんな話ばかりで,台所仕事が山程でした。
 コロも一緒に行って,田舎のエスとチーコと遊んだので,食欲は旺盛です。帰ってからも衰えず進行中です。
 コロも私も,少しダイエットしないと体が黄信号です。
 コロといっしょに頑張ろう!
 ダイエットを!

冬の朝           笹田 恵子

 1月半ばのある朝,戸外に出ると,まだ少しばかりの新しい雪,凛とした空気。今までの眠気はいっぺんに吹き飛び,おんぼろ長靴を履いて,白い足元を踏みしめた時,その冷たさがじんわりと靴底から伝わってきた。
 さあ! 配達に出発。昨年の1月から始めた私の挑戦(青汁配達)。いろいろと体験をして,失敗もして,やっと1年。少しは成長出来ただろうか……。
 仕事が終わりに近づいた頃,ある家で身長10cmくらいだろうか?小さい小さい雪ダルマさんが4体,塀の上で私を迎えてくれました。なんとほほ笑ましい『プレゼント』だった事か。
 故郷の雪景色を思い出させていただき,ホッと心がなごみ,嬉しくなったひとときでした。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 42
 見えても 見えず   三村 隆範


「わたしの命じることを行うならば,あなたがたはわたしの友である。もはや,わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。」ヨハネ15章
 「わたし(神)の命じること」とは何か?
 「群盲象をなでる」と聞く,人は一部分にこだわり全体を見渡すことができない。同じように人間の社会では,「神」という言葉でもって,全体を表しているかのように云いながら一部分でもって話している。神が,何を命じているか知らない。「神」という言葉は,同じであっても中身は違うもので話し合っている。そこに居ない神を持ってきて話し合うので,話し合いは続いても話はなかなかかみ合わず,どちらかが根負けして話し合わなくなる。
 「彼らは悟ることもなく,理解することもない。目はふさがれていて見えず/心もふさがれていて,目覚めることはない。」とイザヤ書 44:18に書かれているように,目の前に神がいるにもかかわらず,目の前にあるものを見ないで,他から神を持ってきて,そこに無い神の話で話を続ける。違うもので話し合うから理解し合うことはない。
「はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは,あなたがたが見ているものを見たかったが,見ることができず,あなたがたが聞いているものを聞きたかったが,聞けなかったのである。」マタイ福音書13章 17節
とキリストは言った。まったくその通りだと思う。多くの人々は,それぞれ自分のいう神を作り出し,それだけが正しい神と云い伝えている。神様は,確かに次々と新しい神を創りだしているが,新しい神達は,自分の神だけが,神であると言い張る。
 それぞれがどう言おうと,神は目の前にある。
 目の前にある神が見えないのに,見えないもの(神)で話し合うことは,論外のことである。