多くの人は信仰を持つと言うと,特定の神や仏を信じて,その教えを尊びかた苦しい禁欲生活をしなければならないのではないかと想像して,「信仰」という言葉を聞いただけで,後ずさりしてしまうようです。
私は,特定の信仰団体に属しているわけではありませんが,信仰を持つ事は,人間にとって大事なことであると,最近思うようになってきました。
「信仰」も「信心」も同じ意味ですが,それは,宗教者だけが使用する専用用語ではありません。また,神仏だけに使用する言葉でもありません。
では,なぜ信仰を持つ事が大事なことであるかと言う前に,信仰とは何か?何に信仰を持つか?について書いておかなくてはなりません。
「信仰」とは,字のごとく信じて仰ぐ事です。信じて仰ぐことですから,それは目標が定まっているという事です。さらに言えば,高次,あるいは不変,普遍の目標設定がされている事です。
つまり何を目標設定して生きているかということです。神仏では,目標がぼやけ,はっきり自覚できません。信仰を持っていても迷いの日々です。
イエスは「父よ,彼らをお赦しください。
自分が何をしているのか知らないのです。
ルカよる福音書 23-34
目標がわかっている人は,すぐ幸せに生きる事が出来,そしていつも幸せで暮らせます。つまり,幸せに生きる人は,いつも目標が見えて,その中にいるのです。ですから信仰がなければ幸せになれないと言っても過言はないと思います。信仰のない人は,悩み苦しみの日々です。幸せに暮らす人は,いつも喜んで生きているわけです。いいかえれば,喜びを表して生きているともいえるでしょう。
神道では,「言祝(ことほ)ぐ」で,仏教でいえば「声明」でしょうし,キリスト教で表現すれば,神を「賛美」して生きることです。
世の中の人がどう生きようと,まずは自分が,幸せに生きなければ,生きていることに何の喜びがあるでしょうか?
何もなくても,今すぐ自分が幸せになれるのは,自分自身が持っている信仰の力です。
〜心に愛がなければ,どんなに美しい言葉も,
相手の胸に響かない〜【聖パウロの言葉より】
とラジオから流れています。