6年生になって     笠原 彩加

 今年2010年4月8日に,最高学年の6年生になりました。
 私が思う6年生は,学校の代表だと思うので,学校全体の事をしなくてはなりません。いそがしいので大変つかれると思うし,勉強も5年生よりもっともっとむずかしくなると思うので,がんばりたいです。
 学校では毎年クラス替えをします。私は6年2組になりました。特に仲の良い3人の友達がいて,2人の友達とは一緒のクラスになれたのですが,1人の友達とは一緒のクラスになれませんでした。でも,休み時間とかには遊んでいます。
 これから一年間,勉強などがんばろうと思っています。

どきどき四年生     笠原 琢馬

 ぼくは,四年生になりました。学校にくる前,クラスがどこの組になるか,どきどきしながら来ました。そして,ぼくは四年二組でした。友だちがおるかなって,みてみると,あんまりいませんでした。ちょっと,がっくりです。先生もだれか,どきどきしました。先生の名前は,ますかねみき先生という名前です。先生は,やさしいし,字もきれいなので,よかったです。先生は女子です。
 四年二組でよかったです。

出会いと別れ      本多 幸代

 桜の頃は,出会いと別れの季節です。私もいくつかの別れが有りました。
 定年で鳴門を離れて行く人,転勤で外の町へ行った人,それぞれの道へ進む春です。心弾む春ですが,ちょっぴり淋しい春でもあります。
 お世話になったお礼にと,お別れ会に招待していただきました。
 挨拶の中に,「出会いがあれば別れもあるのだから,新しい出会いを大切にして下さい。」その言葉に少し淋しさも和らぎました。
 又会う日もあろう,楽しい思い出として心に納めて,これからの出会いを大事に育てていこう。
 今,道ですれ違った人と,明日はご縁があるかも知れません。
 明日への人と人との繋がりを楽しみに,その出会いを大切に。

雨の日の配達      笹田 恵子

 最近の私の配達道には,赤やピンク,白の「花水木」が次々と見かけられます。あの ( ほう ) という花びらのような部分と,色のグラデーションの具合が,とても魅力的な花だと思います。花後の愛らしい赤い実も,ドライフラワーになったらいいのになあ……。
 さて,今回は雨の日の私の配達姿?を見ていただき,笑ってもらおうと思います。
 朝の暗がりでこの姿を見たらドキッとしますよ〜。現に先日,たまたま「おはようございます!」とお客さんに声をかけると,「あんた,どしたん! 心臓止まりよったで〜もう……」と怒られてしまいました。トホホ。
 でも次もまたこの格好で配達する私なので〜す。

黄色の合羽

青い洗たくバサミ
(角のような)

合羽の下に
雨だれよけの帽子

タオルを首に
巻いて…

ホッとコーヒー      平 澄子

 結婚した娘から,今日は夫が出張なので泊に来るで…とお誘いを受け,丁度休みの日だったので行く事にしました。
 夕食も「手間かかるけん。別にいいよ。」と言ったけど,たまには,と言って「マカロニグラタンと大根サラダ」をしてくれました。私が作るよりおいしかったです。
 夜も少しおしゃべりをして,早目に就寝しました。
 朝,目覚めると,もうコーヒーが用意されていて,こんなに心地良い朝もあるのだと,嬉しくなりました。
 普段のバタバタと忙しい自分がウソのようです。
 その日は職場まで送ってもらって,ゴキゲンな一日でした。


天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 45
パンだけで生きるものではない 2
               三村 隆範

 イエスはお答えになった。
 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」マタイ福音書 4-4
 人間も生き物である以上は,まず,食べる事に努力することでしょう。それは学ばなくても自然に身に付けていることです。また,神の口から出る一つ一つの言葉で生かされているのですが,しかし,人間は,食べるためだけに生きるのではなく,何かをしようとして生きています。それも学ばなくて暮らしているのですが,知っていた方が,よりよく暮らせると思い知をむさぼります。そして,人間は,その時はわかって事をしている。と思って行動していますが,イエスが言ったように,人間は,何をしているかわからないで生きているのです。しかも最終的に何がしたいのか,わからずに行動しているので,最後には,困ってしまうのです。一体,人間は,何をしようとして日々努力して生きているのでしょう。神の口から出る言葉がわかっているのでしょうか?
 そんなこ難しい事考えなくても生きていけると言われれば,その通りですが,それでは,最後に泣かなければならなくなるのです。
 神様は,いつも人間を見ていますが,人間は神様の方をいつも見ていないのです。そして自分の思うままに生きて,また,死んでもいいから自分のしたいことをして楽しんでいるのかと思えば,苦しんでいるのです。それは人間が何をしているかわからないのでしているにほかならないのです。
 人間は,食べるため(パン)だけに努力しているのではなく,自分のしたい事をしようとするものです。しかし,そのしたい事が,わかっているようでわかっていないのです。
 「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」とは何か?
 すべてのものは,神の口から出る一つ一つの言葉で生きているのです。しかし,何をしているかわからない人々は,その生かされている中で,喜びを求め苦しみながら生き,終わりの時を迎えるのです。神の言葉を生かして生きる。すでに神の言葉の中で暮らしているのですから,それ自覚して,喜びの世界を体感して暮らしたいものです。