三木家古文書について(その18)     三木 信夫

 時代は,すでに室町に入り三代将軍足利義満の時代,正平25年(1370)4月の「細川義興譲り状」は,三木重村の子息盛村の飛躍的勢力拡大がしのばれるものである。
 義興が盛村を養子として所領の一部(現在の鮎喰川河口と名東町)を譲与したもので,若し義興の子孫がこの所領を押収する等の行為があれば,義興の跡を継がせないとするものである。


(訳)
 ゆずりわたす阿波国名東庄内十四条の郷領家職の事
 合わせて
 右埴渕たてわき(帯刀)の丞盛村やうし(養子)して彼の所をゆづりわたす所 実也(じちなり),若し義興子孫していらん(違乱)妨げを致し候は,不孝の子して義興が跡を持つまじく候,仍て後の為にゆづり状
件の如し

正平廿五年四月廿六日
義興(花押)

馬鹿な大将敵より怖い    天羽 達郎

 「沖縄の方々の御気持ちを斟酌し勘案し忖度し―――」「そしてしかるべき時に私がきめます」
 鳩山首相の特異な風貌ともに独特のトーンでこれらの言葉が毎日のようにテレビから流れて来る。その目付きにはなにか爬虫類の目を思わせる。広辞苑によると「斟酌する」はその時の事情や相手の心情などを十分に考慮して,程よくとりはからうこと,とある。「勘案する」はあれこれを考え会わせること。「忖度する」は他人の心の中をおしはかること,だそうだ。そして彼が決めたことは問題を先送りにしただけで,話をこじらせてしまった。
 アメリカの海兵隊は大戦中は海軍の一部で上陸作戦用の陸戦部隊だった。それを戦後は独立させて,紛争に素早く対処して戦争への拡大を防ぐのをその役目とした。3つの部隊がありそのうちの一つが沖縄のものだ。ヘリコプターで緊急発進し真っ先に現地に戦闘部隊が下り立つ。毎日実戦さながらの訓練をしている最強部隊だ。その基地は戦闘機や偵察機が分秒単位で緊急発進する嘉手納基地とは空路が交錯しない所でないと,ヘリコプターの上下に動くのろい動きは危なくてしょうがない。そこで現行案の辺野古地区が選ばれた。もうここしか場所がないとのこと。10年かかって日米が合意していた。それを鳩山首相は自分の無知さ加減のためにひっくり返してしまった。そして揚げ句の果てには現行案を認める発言を5月23日沖縄でした。だまされたと抗議のデモが来るのは当たり前だ。
 隣の大国中国は鳩山政権成立と沖縄基地騒動は長年の対日工作の成果だとほくそ笑んでいるよ。日米安保は作動しなくなりいずれ沖縄は中国の手に落ちる。そして日本は属国化する。それを「東シナ海を友愛の海にする」といっている鳩山さん。馬鹿な大将敵より怖いとはこのことだ。

覗覘 ( してん ) 魏志倭人伝(9) 山田 善仁

 因に, ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) ( ) から ( ) ( ) ( たい(と) ) と発音できるのは,北の帯方郡側から南を見た場合にである。
 古代の朝鮮語で「邪」はヤ,ラ,サの音表記に使い,「旧,浅」の義がある。「馬」は,マ音を表わし,南の訓である。「臺(台)」は,語義として「基,址」を表わす。「邪馬臺」は「旧南基」の義を表わしていて,「 ( もと ) 百余国」の中のもっとも「古い南部に在る中心国」の意になり,「後漢書」の言う「奴国(邪馬臺国)は倭国の極南界」に当てはまる。そして邪馬臺(旧南基)が倭から大倭,大和へと移行したものと思われる。
 文定昌は,大化の改新の時,日本で初めて元号を用い,新羅に有った元号大和が朝鮮から入って 大和 ( やまと ) とした説を出している。
 九州の邪馬壹国から奈良の大倭(大和)へ首都が移行するのも,「記,紀」に見える神武東征がオーバーラップしてくる。
 魏志では「邪馬壹国」,後漢書では「邪馬臺国」。唐の ( ) ( ちょう ) (580〜643)が著した ( ずい ) ( しょ ) では,「倭国の都邪馬堆,魏志のいわゆる邪馬壹なり」と記したのもよく理解できる。
 伊都国から百里(10里,4.3km)の奴国(邪馬壹国,416mの ( たか ) ( ) 山に推定される)には,宮室,楼観,城柵を厳かに設け,常に人有り,兵器を持って守衛する。女王卑弥呼は,鬼道に ( つか ) え, ( ) く衆を惑わす。夫婿無く,男弟有り, ( たす ) けて国を治めている。
 「魏志」の韓条にも「卑弥国」が有り,古代朝鮮語では,卑弥は「ビミ,ベミ」の音を表わし,蛇の訓「ビミ,ベミ」と同義である。「ビミ,蛇」の「ミ」は用言を名詞化する場合の接尾語で,語根「ビ,ベ」は「光,腹」「 ( はら ) む」の義がある。「呼」は,古代の新羅人が男女の名前に添尾される美称,尊称である。「日」の訓は「ハィ」を表わし,「太陽,光」の意があり,「卑弥呼」は「光明姫」,「蛇姫」を表わす。
 女王卑弥呼は,太陽( ( からす ) )蛇(雨雲虹鳳)をあやつる巫女であり,鬼道師であり,倭国をも治めたのであった。
 因に男性のミコは ( ) ( げき ) といい, ( かんなぎ ) である。

復活            石渡 修司

 復活と言うには大げさではある。復活より,再開と言う方がふさわしいと思う。「何が」と聞かれそうであるが。何のことはない,私のジョギングのことである。
 昨年(2009年),脱メタボを宣言し(少しオオゲサ!),ウォーキングを始めた。しばらくして気付いた。「ウォーキングしている人で,スリムな体型を見ることはない,そしてジョギングしている人でメタボな体型を見ることもない。」ウォーキングでは駄目,ジョギングでなければ脱メタボは不可能,これが私の結論であった。
 早速,ジョギングに切り替えた,無理は続かない,ひと月もすると,膝が痛くなり,ついに断念。痛みが取れるのをじっと我慢した。三ヵ月後,ようやく,痛みから解放されたと喜んだのもつかの間,自転車で横転し,足首骨折。全治二ヶ月と宣告された。その通りだった。
 さあ,もう「イケル」かなと思っていたところに,上半身から顔にかけて発疹,「虫刺されかな」と軽い気持ちで,皮膚科にかかる。「帯状疱疹です,顔に出ていますので,難聴,顔面神経痛,失明の恐れもあります。入院しますか」と。「ええ,そんなに大変な病気だったのですか」。「入院できなければ,しばらくは絶対安静にして,様子を見ていきましょう」と。ジョギングどころではない。約一カ月静かにしていた。「ああ,大丈夫そうですね。薬は飲み続けてください」と言われた。用心をして,更に2週間たった現在,身も心も軽くなった。
 さあ,ジョギングを再開しようと踏ん切りがついた。今日で,五日目,ゆっくりと始動,今回は無理をせず,続けていきたいと願っている。
「からだの鍛錬も多少は役に立ちますが,信心は,この世と来るべき世での命を約束するので,すべての点で益となるからです」テモテへの手紙1 4:8
 体を鍛えることに熱心になるより,信仰に熱心になれと勧められています。私にとって,大切な警告です。

( おも ) ( わずら )          石渡 路子

 牧師館の裏には,大きくはありませんが,庭があります。今まで,庭らしい庭をもったことのない者にとって,たいへんな喜びです。季節が移り変わるのと一緒に庭に生える草花が変わります。庭にこれ以上育つことができないというくらいに目一杯草が育ち,花が咲いています。自然って,これほど豊かなのかと感心しています,というのも,何の手入れもしていないからなのですが。次々と草は育ち,花を咲かせ,消えていきます。蝶も飛んできます。住宅街の中の小さな庭ですが,自然の営みを見せてくれます。大地が,自然は生命にあふれていることを教えてくれます。
 私たちも,この自然と同じように生命にあふれ,活き活きとしていたのでしょう。年齢を加えるにつれ,思い煩うことが多くなり,自然を楽しむゆとりも自然を眺めることさえできなくなってしまいました。もう一度,草木を見つめ,自然の中に身を置く時,私達は自分を取り戻すことができます。
 空を見上げ,晴れわたった大空,青空に浮かぶ白い雲を見る時,また,真黒な夜空に輝く星を眺める時,神の創造の業の大きさに感動します。自分の小ささと神の大きさを知って,小さなことに思い煩っている自分が少しずつ癒されていきます。
 天は神の栄光を物語り,
 大空は御手の業(わざ)を示す。
 昼は昼に語り伝え,
 夜は夜に知識を送る。
 話すことも,語ることもなく,
 声は聞こえなくても,
 その響きは全地に,
 その言葉は世界の果てに向かう。     
詩編 19:2-5