幸せとは?         山田 章

 先日体調を悪くして,家内の運転で主治医の所へ出掛けました。「何でも気にして,コダワルな!」先生に私の悪い性分をズバリ言い当てられました。
 モラロジーの概論9P3行目〜10行目に,幸福には,人生広範多様な内容をもっている。一般的に,「精神的な充足感(満ち足りた気持ち)を意味している。その精神状態は人様々な要素から構成している。家族との暖かい交流や,友情,やりがいのある仕事,経済の安定や発展の中にあります。美しい自然を前にして安らぎを得る時,自分の力を十分に活用しながら,心に安心や喜び,希望を持って生活をしている。只今の健康,長命,開運であります。
 私としても孫の成長を見て幸せだと感謝をしているのに,何かに「コダワリ」があるのです。顧みると,昨年は姉のみかん山の手伝いも,一昨年の草刈りから始めた一反余りの畑でナスの収穫にしても,此の真の幸福感からは程遠い結果で終わりました。何が不足しているのでしょうか?
 モラロジーの格言に,「途中困難最後必勝」とあります。自分の過去に大きく「コダワって」いました。
 六人の兄姉妹の中で真ん中の三男で育って来た私です。昭和12年4月に生まれ,四半世紀が経ち,経済復興の社会を身で受けながら,周りの人々にたよるしか生活が出来ていなかった様な私でした。此の育ちの環境の中で必死に自己の欲求を悪として捉えて来た事から,満たす事の苦労をも体験することもなく,ひ弱で目標を喪失して来た過去にあります。只今に物足りなさを感じている私です。
 人生の目標,「志」が大切である事,集中する心が大切である事,少々の苦労試練にも耐え立ち向かう忍耐力,勇気が真の幸せには必要な「コダワリ」ではないでしょうか。それには,自分にふさわしい目標(志)は,強い動機とよき出合いが重なって,初めて持つ事だと教えて頂きます。
 モラロジーでの教訓の中にも,「人心を開発して品性を完成す」とあります。身の回り全ての事(いやな事も)に,ご縁を大切にして,ありがとうと感謝の心に徹し切る事が出来ると云う事は,大自然の法則,神を認めた姿かと思います。自分の甘さを他から責められる事もあっても,それは学びと感謝を持って受け取り,人様の幸せに役立って生きて行く事が一番の喜びであって,人様に認められなくても一日一日を粘り強く生きる事が,幸せの中に含められると思います。実際の仕事の中で叱られたり失敗したりする現実から逃げない自分,此の様な覚悟が出来なければ,只今の「コダワリ」の性分の生活から抜け切る事が出来ないものと思いました。

 天国              松林 幸二郎

 "Haesch du mi gaern?"“僕のこと,好きかい?”全盲で重い障害を負い車椅子に張り付いたHさんは,4年たっても,日に幾度も私に尋ねます。"Klar,i ha di gaern!"“もちろん,大好きだよ”と答えると,Hさんは,腕力の残る右腕でしっかり私の頭を抱え込み大きな接吻を私の頬にくれます。嬉しそうに笑った口のなかには,40代半ばというのに歯が一本もありません。視力がどんどん後退し,歩行も不能になっていくなかで,絶望したHさんは周りにあるものを手当たり次第破壊し,自他傷癖も激しくなり,以前に居た障害者施設で,全身麻酔をかけられ全ての歯を抜かれてしまったそうです。
 そんな辛い過去をもったHさんですが,私たち夫婦に良くなつき,私たちの勤務を心まちにしてくれるようになり,限られた時間でしたが一緒に木工をして幾つかの作品を作るようになって自信を持ったのか,心も安定してきたようです。そのHさんに,あと10日で,私たちはお別れしなければならないと告げることが,あまりに辛くて出来ずにいます。いずれはくる別離は,お互いに耐えるしかないのです。どうか,イエス様,このHさんを,慈しみ愛し,守る術を知らないのでどうか守り,"i ha di gaern"と,心の底から言える介護人をお与え下さいと祈る他は,術がないのです。
 30年以上も前に居た養護学校で,クリスチャンであったB先生がH君に“天国では,目もみえるし,歩けるし,苦しいことも痛い事もないんだよ”と言われた事を記憶力のよいHさんは,未だに良く覚えていて,天国にいくことを心底楽しみにしています。"Bisch du gleubig?"“コージ,君はクリスチャンか”と尋ねるHさんに"Ja, i bi"“うん,そうだよ”と応えると"I au"“僕もだよ”といって微笑むHさんの笑顔はまるで少年のようでした。まことに天国はHさんのような人にあると信じます。

神様に二種類ある   近藤 隆二

 法学博士廣池千九郎先生は「道徳科学の論文」という本の中で,神様には二種あり,第一種の神は宇宙根本唯一の神で哲学では本体とも言う。第二種の神は現神(アキツミカミ)でこの世に肉体を現わした神でいわゆる聖人である。日本では天照大神が現神で天之御中主神は宇宙根本唯一の神にあたる。
 又廣池博士は世界の学者の中で神に二種あると言うた学者は廣池博士がはじめてであると言われた。そして先進国であった東洋が後進国の西洋になぜ文明が遅くなったか,その理由は,西洋は根本神を拝み祭っているが,東洋は現神を祭り拝んだから,根本の神を祭った西洋が現神を祭った東洋の文明を追い越した原因である。
 廣池博士は正しい神の拝み方は,現神を通じて根本の神を拝むのが正しい拝み方であることを教えてくれています。仏壇であれば祖先の御霊を通じて仏様(ご本尊)を拝む,天照大神様の御霊を通じて天之御中主神(根本神)を拝むことが正しい拝み方である。

友 愛            御堂 孝

 最近何処かの国の宰相が「友愛」という言葉を良く使っています。また「友愛塾」なるものも経営されています。「友愛」を辞書で引いてみると「親友や兄弟間の愛情」とある。最近の宰相の行動を見てみると,お金の問題,沖縄の問題などなるほどと納得できる気がします。非常に狭い範囲内の愛情なのです。これとは反対にすべての人を平等に愛することを「博愛」と言います。「博愛」と聞いて皆さんは何を思いますか。私はフランス革命の「自由」「平等」「博愛」を思い出しました。フランスの国旗はそれを表しています。フランス人はこの3を人類の目標として選んだわけです。しかし,世界は博愛を忘れ,共産主義は「平等」のみを,自由主義は「自由」のみ選び今日に至っています。それぞれの国ははたして平等であり,自由であったのでしょうか。昨今の殺伐とした世の中,今こそ全世界が地球単位でこの「博愛」を求めて革命すべき時ではないでしょうか。大きく出ましたが,私自身これからも友愛を大切に博愛の精神を持って人と接して行こうと思っております。

                 中村 修