「あなたは,なぜ生きているのですか?」と聞かれて,何と答えますか?
「この世に生れてこようと思って生まれて来たのじゃない。気がつけば,この世にいたのです。」と答えるかも知れません。
生まれてこようと思って生まれて来たのじゃない。気がつけば,この世に居たのです。
では,なぜこの世に生きているのでしょうか?
この世に「修行・修業」に来たのでしょうか?
(1)学問や技芸等に励み,それをみがくこと
(2)〔仏〕戒律を守ったり,悟りを開くために特定の宗教的行為を行なって,仏の教えを実践すること。仏道に励むこと。
(3)生理的欲求を禁じて精神および肉体を訓練することにより,精神の浄化や神的存在との合一を得ようとする宗教的行為。
これら学問や技芸などを習って身につけるために,この世に生まれてきたのでしょうか? ですから,変に鍛練・錬磨し,修練を積み,稽古に励み,訓練・習練を治めるという「修行」の為に,この世で生きていることはありません。
「修行」とは,
身につけるために習い治める事でしょうか?
身につけたことを行う事でしょうか?
前者であれば,この世に修行に来たということですから,
「あなたは,なぜ生きているのですか?」と聞かれると「○○の為にこの世に生まれてきました。」と答えるはずですが,しかし,ほとんどの人は,それに答えることはできません。気がつけば,この世にいたからです。にもかかわらず,ほとんどの人は知らずして行ない,身につけているのです。知らなくても行なっているという事は,取り立てて何も修業しなくても,すでにしているのです。つまり,この世に生まれた時から,或は,生まれる前からわかっていたのです。身につけないと出来ないと思っているでしょうが,すでにしているのです。実際は,日々それを実践しているのです。していないと思っているだけなのです。つまり,生きているという事は,そのままで実践しているのです。「あなたは,なぜ生きているのですか?」という最初の質問で答えられなかったように気が付いていないだけなのです。人は,そのままで喜びに満たされて生きていけるのです。