中村 修
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心の変換,物の見方,考え方,受け止め方,思い方が,変換が出来ますか。
現代は多くの情報が入り乱れます。自分の情報処理能力超えていませんか?
自分も,はっきり区別しましょう。交通整理をして行きましょう。
整理で思い出しましたが,若い時に必要で手に入れた物,今では要らなくなった物を整理しています。古い情報も要りません。本棚にも古い要らない本が沢山あります。今の時代には必要が無いのです。
これからの新しい情報が必要なのです。
私達は硬い枠をもっています。要らない癖です。
人は自分を責める癖を持っています。
人は頑張りすぎる癖を持っています。
毎月,私は自分の行動を書いてチェックしているのです。データーなしで何を基準にしますか,私は少しでも人生を上達したいのです。
私達の行動と心は閻魔様の通信簿に書き込みをされているのです。
私達の歳になりますともうじきお迎えが来るのです。
自分は逝くまでピンピンしていたいのです。
欲ですが,逝く瞬間まで元気で居たいのです。
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あるプロレス団体で今も伝説となっている試合があります。
1995年1月19日,阪神大震災の2日後に行われた,全日本プロレス大阪大会。
あれだけの大震災があった2日後ということで,大会が危ぶまれたのですが,何と,震災があった,神戸からたくさんのプロレスファンが駆けつけ,プロレスの大会を開催してほしい!という,ファンの熱い想いが伝わり,通常どおり試合が開催されました。
メインイベントは,川田利明vs小橋建太60分一本勝負のシングルマッチ!
この日は,被災した人たちにエールを送るかのような激しい打撃技の応酬で,60分フルタイムドローの熱い試合になりました。
この日,この時,この瞬間を体感した人は,きっと,忘れられない試合になったと思います。
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弟が末っ子で母親にべったりだったので,私は父親に付くようになったのだろう。よく父に付いて出かけた。子どもは皆そうだと思うが,どこかに連れて行ってもらえるだけで嬉しいものだ。父と一緒というのが大きな安心を与えてくれた。嬉しさが高じて,ついはしゃぎ過ぎてしまった。父の与えてくれる安心感は,母が与えてくれる安心感とは異なっていた。いったい,その違いはどこから生まれて来たのだろうか。
母はいつも見慣れていて,母のすることは皆知っているつもりでいた。一方,父は外で働いている。子どもの私にとって知らない世界にいる父というものが想像できなかった。ところが,ある日,父の働く職場に,私を連れて行ってくれた。その日は,職場の懇親会であったようだった。職場で一緒に働いている人も子どもを連れてきていた。父がこのような所で,このような人達と一緒に働いているのかと分かって,その時,父がとても誇らしく思えた。
それから,父の職場に行くことはなかったが,父を誇らしく思う気持ちは続いた。だから,父と出かける時は嬉しかったのだろう,はしゃぎ過ぎていた。父や母は,私を「変な子」と思っていたことであろう。子どもにとって,嬉しいことは絶対的な嬉しさだった,自分の心から湧き上がってくる何の混じりけもない喜びだった。いい経験をさせてもらったと,今も感謝している。
「あなたがたの中に,魚を欲しがる子供に,魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また,卵を欲しがるのに,さそりを与える父親がいるだろうか。このように,あなたがたは悪い者でありながらも,自分の子供には良いものを与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」ルカ福音書11:11-13
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梅雨に咲く花としてあじさいがあります。横浜にいた頃は,夫と鎌倉にまで見に行ったものでした。明月院はあじさい寺として,良く知られています。その通り,みごとです。でも,行く道沿いに咲いているあじさいもきれいでした。色とりどりに咲いていました。
教会の玄関脇の植え込みにも青いきれいな花を咲かせています。牧師館の裏庭にも隠れるようにして咲いています,こちらはピンク色です。同じあじさいでありながら,咲く場所によって色が違います。あじさいは土壌がアルカリ性か酸性かで,花の色が変わってしまうそうです。青い花のあじさいを持って行って,挿し木にしたところ,青色でなくピンクになってしまったと聞きました。置かれた所で花の色が全く変わってしまう,何か教えられるものがあります。
牧師館の裏庭のあじさいも元はきれいな青色の花だったのかもしれません。色は変わってしまったかもしれませんが,その植えられた場所で,精一杯咲いています。「ここにあじさいがあるよ」と教えているようです。花の色を選ぶことはできないかもしれませんが,精一杯咲くことできたら,それで十分なのでしょう。
私たちも自分の置かれる場所が選べそうでいて,案外選べないものです。今,いる所で,精一杯生きることで,私たちお互いが励まされていることを気づかされた思いがしました。
あなたがたは世の光である。
山の上にある町は,隠れることができない。
マタイによる福音書5:14
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松尾芭蕉は人生とは何かと問われ,
「古池や蛙飛び込む水の音」と……。
人生は「ポチャン」という音ほど短いと……。
私は長い様で短い,又短い様で長いと,くわえて,連綿と続く道だと思っております。
故に,今という道を歩いている訳であります。
直線なのか円道なのか。
私は丸い円の道だと……。
人の生き方は千差万別であり……。
参考にでもなればと……。
私の生き方 唄でもってかいてみたいと……。
「極楽」 (宇宙の光との合体感応歌) 作詞 岡本光司
今日もついてる うれし
すべてのものに感謝
倖せいっぱい ありがとう
俺の人生 絶好調
絶好調 絶好調
チャチャチャ 絶好調!
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