次の文書は,1373年三木家が北朝側に転向した後の北朝方として働いていた事を証する1386年の文書で,三木帯刀(たてわき=盛村)の武功に対して,主君某(花押が特定出来ない為)から,種野山の中村五間を授けられたもの。


 訳 (花押)
下す,阿波国種野山の事,領知すべき所,中村五間,右,彼の所領に於いては,時の忠に依り,三木の太刀帯(たてわき=帯刀)知行すべき之状,件(くだん)の如し, 至徳三年(1386)十一月廿八日

 この6年後の1392年に南北朝の和議が調い合一が行われ,南朝の後亀山天皇が帰京,北朝の後小松天皇へ譲位となるのである。

(南朝) 後醍醐天皇(96) 後村上天皇(97) 長慶天皇(98) 後亀山天皇(99)
(北朝) 光厳院[1] 光明院[2] 崇光院[3] 後光厳院[4] 後円融院[5] 後小松天皇(100)

伊島(その1)     天羽 達郎

 今から10年ほど前,伊島の夜間診療に行ったことがある。月に一度木曜日に船の最終便で行き,夜7時まで患者を診て翌朝始発で帰って来るのだ。数人で交替でやった。あるとき5月の連休の合間の木曜日が当番になった。次の日は休日だったので半日かけて全島を回った。まず最初に伊島小学校を見に行った。
 私の父は旧制富岡中学校を卒業後小学校の教師になった。そして最初に赴任したのがこの伊島小学校だった。昭和の初め頃でその1年後には母が旧制女学校出の教師としてやってきた。二人ともまだ独身。数年後に二人は結婚し僕が第2子で長男として生まれた。その時はもう伊島を去っていたが,両親の思い出話にはよく伊島が出た。父の教え子には成功者が何人かいてそれが自慢だった。私が東京から帰ってきていつかは伊島に行きたいといったら,父は連れて行ってやるといった。しかしそれが果たされないまま父は死んでしまった。そういう訳で私は伊島の夜間診療を買って出た。
 今の小学校は当時の建物とは全然違う物になっていて,中学校と一続きになっている。それでも,ああこれが父母が話していた学校かと何だか懐かしい思いがした。隅々まで見て回った。そして学校の裏側にある細い山道を歩いて島を縦断し始めた。途中で80代のご婦人に出会った。父のことを知っていた。その方の家は学校のすぐ前で当時学校の先生達が風呂を借りにきていたと言った。

 来てみればなぜか懐かし伊島小
      父母が教えし学校なれば

 (以下次号)

基本を学ぶ大切さ   近藤 隆二

 96才(H15)の時,三味線を習いに来られた方がいます。小学4年生の時,三味線の手ほどきを受けました。86年も前に習ったのに,三味線の持ち方,構え方,ツボの押さえ方,バチの持ち方等,全て覚えているのです。三味線の譜面の読み方を教えてあげたら,2ヶ月目に黒田節の弾き語りが出来るようになりました。
 96才で目がよく見えるし,耳も良く聞こえます。その方は明治40年生まれの山本雪さんです。三味線の基本である持ち方,構え方,ツボの押し方を小学4年(10才)の時にしっかりと教えてもらっていたことが86年経っても覚えていて,すぐに弾けるようになりました。
 唄の基本は声を前に出すこと。母音(アイウエオ)で唄う。メリハリ(強弱)を付けて唄うことの3つが基本です。私も31才で入門して師匠浅野実先生から民謡の基本を徹底的に教えて頂き今日があります。
 経営者の方が事業を永続していくにも基本があります。企業は人なり,人は品性(人格)なり。

思い立ったらすぐ行動。   坂本 恵子

 六月末,自然が沢山ある所に行きたくなって思い立ったのが和歌山県。何の予定も立てずに宿だけ予約して向かいました。
 その宿のご主人から熊野古道へ行く人が多いと聞き,次の日バスで向かうと,雨が降っていて山を登るには危険かなと悩んでいると,同じバスに乗っていた地元のおじいさんが声をかけて下さって,車で案内して頂ける事になりました。
 思いがけないチャンスに乗っかり和歌山県内の神社や温泉,紫陽花の咲く山道や漁港の釣りのイベントにまで連れてって頂き,この日は丸一日お世話になってきました。
 最後は宿まで送って下さり,知らない土地で人の優しさに触れ心がとても満たされました。
 私はいつも思い立ったらすぐ動く事を心がけています。また今度なんて言わず,その時の自分の気持ちを大切にしています。
 今回はラッキーな事ばかりに恵まれた旅で,幸せで一杯です。

にくぶち峠         御堂 孝

 長い梅雨の合間を縫って,7月9日「にくぶち峠」にいってきました。この峠は,那賀町岩倉と美馬市木屋平川上との境にあります。峠はその昔,地元住民が生活のため,剣山参りが目的の修験者が,阿弥陀如来を本尊とする真言宗大覚寺派の龍光寺にお参りする人々が参道として越えて行ったと思われます。にくぶち谷は深山の趣が濃く,大小の多くの滝はもちろん,川沿いの岩と苔に覆われた渓谷の景観は他に類を見ないものでありました。上勝町の「岩と苔の庭園」として有名な山犬嶽をもっと大規模にした感じです。また,ミズナラ,ブナ,トチ,ヒメシャラなどの巨木の点在する原始林の森でもありました。今回私たちを出迎えてくれたショウキラン,イワタバコ,ヒメシャラ,バイケソウなど花もきれいでした。「にく」とは,天然記念物のニホンカモシカ指していて,カモシカが周辺に多く生息していることを意味していると思われます。徳島県の有数の美しい森として大切にしなければならないと思いました。帰る途中四季美谷温泉に入り身も心も洗われたつかの間の梅雨の一日でした。