三木家古文書について(その20) 三木 信夫 次の文書は,1373年三木家が北朝側に転向した後の北朝方として働いていた事を証する1386年の文書で,三木帯刀(たてわき=盛村)の武功に対して,主君某(花押が特定出来ない為)から,種野山の中村五間を授けられたもの。
訳 (花押) この6年後の1392年に南北朝の和議が調い合一が行われ,南朝の後亀山天皇が帰京,北朝の後小松天皇へ譲位となるのである。 (南朝) 後醍醐天皇(96) 後村上天皇(97) 長慶天皇(98) 後亀山天皇(99) |
伊島(その1) 天羽 達郎 今から10年ほど前,伊島の夜間診療に行ったことがある。月に一度木曜日に船の最終便で行き,夜7時まで患者を診て翌朝始発で帰って来るのだ。数人で交替でやった。あるとき5月の連休の合間の木曜日が当番になった。次の日は休日だったので半日かけて全島を回った。まず最初に伊島小学校を見に行った。 来てみればなぜか懐かし伊島小 (以下次号) |
基本を学ぶ大切さ 近藤 隆二 96才(H15)の時,三味線を習いに来られた方がいます。小学4年生の時,三味線の手ほどきを受けました。86年も前に習ったのに,三味線の持ち方,構え方,ツボの押さえ方,バチの持ち方等,全て覚えているのです。三味線の譜面の読み方を教えてあげたら,2ヶ月目に黒田節の弾き語りが出来るようになりました。 |
思い立ったらすぐ行動。 坂本 恵子 六月末,自然が沢山ある所に行きたくなって思い立ったのが和歌山県。何の予定も立てずに宿だけ予約して向かいました。 |
にくぶち峠 御堂 孝 長い梅雨の合間を縫って,7月9日「にくぶち峠」にいってきました。この峠は,那賀町岩倉と美馬市木屋平川上との境にあります。峠はその昔,地元住民が生活のため,剣山参りが目的の修験者が,阿弥陀如来を本尊とする真言宗大覚寺派の龍光寺にお参りする人々が参道として越えて行ったと思われます。にくぶち谷は深山の趣が濃く,大小の多くの滝はもちろん,川沿いの岩と苔に覆われた渓谷の景観は他に類を見ないものでありました。上勝町の「岩と苔の庭園」として有名な山犬嶽をもっと大規模にした感じです。また,ミズナラ,ブナ,トチ,ヒメシャラなどの巨木の点在する原始林の森でもありました。今回私たちを出迎えてくれたショウキラン,イワタバコ,ヒメシャラ,バイケソウなど花もきれいでした。「にく」とは,天然記念物のニホンカモシカ指していて,カモシカが周辺に多く生息していることを意味していると思われます。徳島県の有数の美しい森として大切にしなければならないと思いました。帰る途中四季美谷温泉に入り身も心も洗われたつかの間の梅雨の一日でした。 |