文月 ( ふみづき )         琴江 由良之介

 相変わらず,あの「考古学基礎講座」は続いています。5月の連休明けに始まって,二月経っても,まだやっています。件の遺物センセーが,銅鐸だ,鉄器だ,はたまた青石だ,とやるのを,フムフム,といたく感心しながら聴いているわけであります。
 そして,帰りも,やっぱり編集長兄のあのクルマで……もちろん,ドクターAも一緒。
 もっとも,これが活字になる頃には,みんな,すっかりすんでいるのですが……。
 折しも,キャンパスは,助任川に面したコンクリート塀を取っ払って,オープンスペースの芝生の庭を養生中。赤茶けたむき出しの地肌だったところに,徐々に芽が出,今では,すっかり全体に緑が行き渡っています。
 ♪チャンカチャンカ ♪チャンカチャンカ
 鷲の門で,もどかしげに手足をうごめかしていた踊り子らが,すっかりボルテージを上げて,今や城下は上へ下への大鳴動。
 ヤットサァ〜
 今年も,ほどなく,あの四日四晩がやってくるのです。

古事記古古道      久米 健児

 5月28日無事,阿波より帰阪しました。
 ドクター・エンドー三村さんをはじめ,阿波古事記研究会の方々,お世話になり,ありがとうございます。
 今回の古事記古古道ツアーは,一般の観光コースではなく,阿波古事記研究会の方々が,古事記を読み出てくる場所は,阿波の地名,人物は神社に祭られている神の名前,という現実に存在するものを,古事記のストーリーと並行して展開し,その場所を巡ります。
 全く新しいジャンルの歴史探究の旅ではないでしょうか。観光地としてほとんど整備されていない場所です。実際に行くと,その場所から,古事記時代の息吹を感じることができそうな気分です。
 びっくりすることは,古事記のストーリーとほとんど同一の地名,神社の神の名前がツアーコースにその順番で存在することです。
 古事記を読んだことのある人は,その同一性に恐れすら感じると思います。
 私自身もオソロシイ感じをうけました。なにか,神話の世界の触れてはいけないもの知ってはいけないものを知ってしまって,いいのだろうか?という一抹の不安・・・。
 このツアーは,立派な観光資源,研究資源になりえる価値の高いものと思います。
 興味のある人は,いってみる価値は十分あると思います。いまは,マイナーなコースですので,人がほとんどいません。

これから中国旅行される方へ!   芝山 靖二

 上海万博は一日の入場数が30万を超える日は行かない方が良い,各パビリオンが3時間,3時間半待ちです。
 7月,8月は日本より暑い,しかもセキュリテーの関係でカゲを全然作っていません。
 涼しくなる9月後半,10月は中国が入場者数に非常にこだわっている関係で40万50万になるでしょう。
 私はキャッチセールス,催眠商法等には絶対かからない自信がありました。
 ですが今冷静になって思い返すに,中国の無錫(ムシャク)無錫旅情で有名な町に行った時のことです。中国に着いた時から,ずーと付いてくれているガイドさんが居るのに,無錫の町だけは無錫に非常に詳しいガイドさんに担当してもらうとのことで,もう一人ガイドさんが乗り込んできました。
 その人に午前中琵琶湖の3倍もある太湖を案内してもらいその後,太湖の真珠養殖の素晴らしさを説明してもらい,その真珠からつくられる,美顔用クリームの素晴らしさをバスの中で永遠と聞かされ,その後国立の立派な施設に連れていかれ,日本にも留学していたと言う公務員(自称)に,真珠貝から真珠を取りだすショーを見せられ,始め一個3,500円だったクリームが最後は10個で一万円,冷静に考えればそんな馬鹿な事はないが,その会場の盛り上がりの素晴らしいこと,バスの中からストーリーがズート続いていることにすっかり信用して買ってしまいました。
 このガイドさんは真珠販売業者のメンバー,施設は間借り。ある中国に詳しい人によると,中国では日本語を上手く使いこなす販売員のいるところでは買わないこと,中国国内の7倍から10倍の値段です。

父の役割         石渡 修司

 父は社交的ではなかった。その交流範囲は極めて小さかった。勤めていた会社が遠かったということもあっただろうが,会社関係の人が我が家に来たことはなかった。訪ねてくるのは,ほとんど兄弟,気を遣う必要のない人達だけだった。だから,人の集まりに出て行くことはなかった。子どもの学校関係にも父は行かず,母に任せきりであった。そのことで,母はいつも愚痴をこぼしていた,「たまには,子どもの通っている学校に行ってくれてもいいのに」と。
 そんな父にも,逃げられない時が来るものだ。私が高校時代,担任の教師が積極的な人だった。生徒の父親に会いたいと言い出した。ついに,当日,私が父を学校まで連れて行った。私は三年通っていたが,父は初めて行くので,要領が分からなかったからだ。私も緊張していたので,父がどうだったのか,覚えていない。ただ,父も緊張したのだろう,行き帰り,私達はひと言も会話することがなかった。
 今,振り返って考えると,あの父がよく行ってくれたものだと感心する。どんな顔をして,父親会に出席したのだろうか,その後,担任教師とどんな話をしたのだろうか。数十年後,担任教師は,「君達のお父さん達との出会いは、私の人生で大きな出来事だった。本当に大事なことを教わった」と言ってくれたが,そんな大それたことを私の父がしたはずはない。それでも,父が意を決し,私に連れられ,学校に行ってくれたことは,私にとって,大きな財産になっている。
「子は,父のすることを見なければ,自分からは何事もできない。父がすることは何でも,子もそのとおりにする。父は子を愛して,自分のすることをすべて子に示すからである」ヨハネ福音書6:19-20

ユ リ         石渡 路子

 教会では礼拝のために花を飾ります。ユリの花を生(いけ)ることもあります。ユリの花はその姿・容(かたち)から清楚な花という印象を与えます。清楚というとひっそりと咲いているとイメージしますが,そうでもありません。たった一輪のユリの花でも,その香りは会堂中に満ちています。会堂に入った途端にユリの花があることが分かります。まるで,「ここに私がいますよ」と言わんばかりです。
 私はずっと目立たない存在でした。子ども時代の写真を見るといつも同じような表情です。笑顔はありません,別に意識していないのに,そういう顔になっているのです。連れ合いは,「変わらないね」と言ってくれますが,誉めてくれているのでしょうか。
 ところが,そんな私が変わりました。一度もお会いしたことのないはずの女性の方から,「どこかで,お会いしたことがありますね」と言われるようになってしまったのです。買い物をしている時やバスで乗り合わせた方からです。笑ってしまいますが,香港でもそんなことがあったのです。でも,嬉しいことです,私に親しみを感じてくださる方がいるということが。
「私達はキリストによって神にささげられる良い香りです」 コリントの信徒への手紙二 2:15

北の珍道中(1)   山田 善仁

 7月6日,北の大地千歳空港は予報では雨であったが,27度の薄陽差す丁度良い天気で有った。
 早速JRに乗り込み旭川へ。旭川駅では従姉家族の出迎えを受ける。
 メインは,母の実家遠軽町への先祖墓参りの旅である。
 駅前でレンタカーの手続後,記念撮影。係員に依る説明後,レンタカー2台で9人が乗車。発車オーライと言ったものの車が発進しない。サイドブレーキ解除が分からず,係員に聞いてやっと発進するが,先に出た車の姿はもう見えない。
 最初からこれである。あ〜あ!! 高齢者特有の珍道中の始まりだ。
 カーナビに目的地の遠軽をリセットしていたので,国道に出ればそのうち追い着くだろうと5分走った所で,先の車にTEL入れると,先に走った車はカーナビと違う所を走って周回してたら後続車の後になって,今ついて走っていると言う。停車して再度打合せ後,墓参りの当地は夕方雨の予報を気に掛け乍ら,時間のロスを取り戻すかの様に走りに走った。