幸せとは? No.2     山田 章

 先日,雨の日が続いていた時,テレビのチャンネルを入れると,偶然にも日本の各地で深層崩壊で大変恐ろしい地表の現象が起きて来ていると解説をしておりました。この長く続いている大雨,ゲリラ的な悪天候,此の危険地帯の人々は心配な生活が続き,毎日おののいている人々が大勢いる事かと思うと,心配をさせて頂いておる毎日です。
 私は此の様な時,次の様に考える事として,大自然の働きに気付かせて頂いております。
 平穏な毎日が続くと,仕合せに生かされている恩恵には気付かない事が多くあります。しかし,高い山の間に流れる雲海が彼方から昇る太陽に自然の崇高や神秘さを感じ,道端の草花に対して,又,自分の体を小宇宙として感じる事は,自分が過去半世紀に渡って此の教えをご縁に持ってこれた大きな恩恵があります。長く続ける事で次の様に述べています。
 これは「小さな人生論」(藤尾秀昭)の本の中にありました。「宇宙は百億くらいある。その一つの宇宙にわれわれの地球がある。その中の一つ,銀河系という宇宙には太陽が20億個もある」と書いてあります。想像を絶する世界の事である。約百五十億年前に,宇宙の一部に無限大の質量と超高温度を持った特異点と呼んでいる点から爆発的な精密なかつ計算された設計による宇宙意識が働き異質なものを組み合わせて創造進化を繰り返して,今日に至っている,いまなおその過程の中にあると書いてあります。
 次に論語善及会の伊與田覺氏の本で,人間学に3つの学が必要とあります。
「小学」=一般の人が弁えておく基本的な学。
「大学」=人様を幸せにしたい。「利己心」他に影響を及ぼすべき立場の人が学ぶ。
 此の2者の間に中学がある=「中庸」の学である。
 此処に人間の進化の教えがある。「和」と云う事です。
 先日,私はモラロジーの基礎講座を受講しておりました。講師先生から,次の様に学びました! 人生に大きな「コダワリ」(自我)を持ち続ける人を図で表現すると,角のある□,△の様に現わす事が出来ます。各々に感謝の心と思いやりの心と自立の心,慈悲の心を入れて考えて見る,現実を実践して行くと内側に丸く修め様とすると,小さく,終わり,外枠とすると,これは無限に大きく円を現わす事になり,此の事が大学であり,この小学と大学の中学とを「和」を持って私達人間が生かされている此の大自然の恩恵に報いる心を働かす時,創造の進化をしている中に自分を置く事となるのかと考えられます。中学とは中庸=「和」であり,大自然の因果律であり,深層崩壊にも心を合わせれば良いかと思えました。

明日への自分のために   相原 雄二

 人は目に見えるものは大切にしますが,目に見えないものはおろそかにしがちです。木にたとえるならば幹とか枝葉は目に見えますが,根は見えません。
 木は,それを支えるだけの根をしっかりと大地に張り,養分や水分をたえず幹や枝葉に送り続けています。
 したがって,根が枯れればその木の寿命は終わるのです。目に見えない根を大切にしたいものです。
 人間は,表情,身ぶり,言葉つきなど,その人の感情や意志を見て観ると,目に見えぬ根である心が見えてきます。幹や枝葉に当たる各自の学力,知力,体力,金力及び権力等をしっかりと生かすため養分や水分を送り続けているのが,目に見えない心(精神)です。
 目に見えない心を大切にしたいものです。

ニューモラルを読んで   相原 詩恩

 「親は子供が大切」で,佐々木香さんのように,私も父さんや母さんに,「私の気持ちもしらないくせに」と思っていたりしました。
 香さんは,仕事から帰るところの田中恵子さんに,あなたのお父さんは香ちゃんの事が大切にしていると教えてもらって,それを見て私も香さんのように,いつも押し付けなのに,どうして大切にしていると分かるんだろうと思いました。
 それは,親は子供を幸せにする責任があって,香さんが自分の所から巣立って立派になってほしいから,厳しくしているそうです。
 私の父さんや母さんも,そう思って厳しくしてくれていたのだったら,いちいちうるさいなぁとか思っていた自分に恥ずかしくなりました。
 これからは,父さんや母さんの言ってくれる「道しるべ」をよく聞いて行動していこうと思いました。

2010FIFAワールドカップについて…   長井 宏一

 日本中が熱狂したサッカーワールドカップ!
 日本代表チームの試合に感動しました!
 サッカーのルールや知識は詳しくないので,あまり分からないですが,90分間プラスロスタイムの間…泣き,笑い,喜び,叫び,そして大興奮の感動! いろんなドラマがあって,サッカーって,面白いなと思いました。
 日本チームが敗れたあとは,アルゼンチンのマラドーナ監督のお笑い芸人のようなコミカルな動きと,記者会見でのリップサービスたっぷりのコメントが楽しみでした。あと,何と言っても今回のワールドカップで世界一有名になった優勝チームを予言するタコのパウル君! 話題沸騰でしたネ。アフリカの民族楽器ブブゼラもはじめて知りました。

すべての思いを家族に 70
笑顔で暮らそう
      田上 豊

 笑顔のまま暮らそう。笑顔の回数と笑顔でお話すると人生が前向きになります。笑顔は,好意,愛,歓迎を意味します。
 笑顔でいると笑顔の人が集まってきます。自分の好きな人に囲まれて暮らす方が楽しいでしょう。
 私達には周りの人を変えることは出来ませんが,周りの人を好きになれば良いことです。自分が変わることは出来ます。相手を変えることは出来ません。
 人の良い所だけが見えるような心の訓練をすれば良いのです。
 人の悪い所を見なければ成らない自分の心を反省すれば,相手を許すことが出来ます。ですが長い人生の中で自分の形を変えられないのです。
 人間って我が儘だよね。自己中心で幸せに成りたいのです。無理な話です。
 結果は大自然に任せばよいのにね。
 笑顔で日々感謝すると人生が前向きになります。人間ゲノム遺伝子がプラスになります。楽しく生きるのは自分の為です。
 私達の心には蒔いてもいないのに雑草が沢山生えますよね。雑草を抜いて奇麗にして美しい花を植えるとすっきりします。誰もが知っていることです。
 私達に簡単に出来ることは花や野菜の種を配ることです。
 土を耕したり水をやり肥料を与えて苗を大きくしたいものです。それにはお日様の力を借ります。自然の力です。感謝という花が咲き幸せが来るのです。
 長いご祖先のお陰で変な種も混ざりますが,根気よく手入れをして感謝の花を咲かせたいものです。

見えない英雄     松林 幸二郎

 東スイスねっとわーくという日本人会の代表を未だにしている関係で,毎月スイス各地の日本人会会報が送られてきます。なかにはテシン州のように二カ国語で構成されている会報もあったりで,それぞれ土地柄や日本人会を構成するメンバーの個性が現れていて楽しませて頂いています。なかでも,毎月もっとも楽しみにしているのはチューリヒ日本人会(JCZ)会報“エーデルワイス”で,特に会長の青砥玄さんによる巻頭文です。
 いま試練のまっただ中にある日本航空のスイス支店長として,ビジネス最前線に立つという激務の合間に,日本人会の会長職をこなされ,毎月,異なったテーマで感動を呼ぶ巻頭文を書かれている事実に,あの小柄で青年の面影さえ残した青砥さんのどこから,こんなエネルギーが出てくるのか不思議でなりません。自ら魂を動かされ感動した事柄を記してのみ,読む人に感動を与え,人生を変え豊かにできると青砥さんは信じておられます。そのための読書量も多く,古典から現代作品まで読まれその知識量たるやら,私は恥ずかしくて穴があったら入りたくなってしまいます。私はスイスに住む同じ日本人として,心から尊敬する日本人をもつ幸せをいつも感じています。
 OSNニュースレターの5月号には“見えない英雄”というテーマで,その青砥さんにエッセイを書いていただきましたが,乗り物のなかで航空機が,なぜ飛び抜けて安全とされるのか,JALがなぜ世界一の定時発着率を達成出来たか,その秘密に触れられていました。私たちは,まず目にみえるところ,例えばサービス,マイレージ,イメージ,料金といったものに関心を注ぎます。マスコミが過度に発達した現代社会は,目にみえるものに,いわばうわべに最高の価値がおかれます。米国のみならず,世界が自分を若く美しく見せるため,何億という人間が飢えている,僅かなお金の為に何十万という少女が売春を強いられているという悲しい事実がまるで存在しないかのように…。美容整形,ドレス,エステ,グルメといったものに途方もない金とエネルギーをつぎ込んでいます。青砥さんのエッセイは,日が当たらないところで,裏方に徹して,人々の安全と,信頼される正確な運行に著しい働きをする人間像にスポットライトをあてて,その風潮に一石を投じるものでした。
 エーデルワイス7月号の巻頭文も,イチロー選手や松井選手の話が出て来て,大変感銘をうけました。人は,少しでも有名になると,自尊心と傲慢さが持ち上がり,周囲を見下すようになるのですが,松井選手は,クリスチャンでもないのでしょうが,イエスさまの教えを忠実に実践されているように感じました。お手伝いにくる年配の女性にもきちんと頭をさげ,感謝の意を表している松井選手の姿を容易に想像出来ます。私も,青砥さんが巻頭文で伝えた内容によって,松井選手を大好きになりました。
 青砥さんは,1979年英国のスタッフフォードで暮らしておられた若い頃,各家庭を廻り,家事手伝いや,身障者のお世話など,ボランティアとして身と挺して,さまざまな奉仕をするというお働きをされました。その一軒に,第2次大戦中,シンガポールの日本軍捕虜収容所で,日本兵によって強制労働に服し,拷問や虐待を受け,日本人に激しい恨みをいだいたままの英国人紳士が住んでいました。その老兵との出会いと,涙ながらの赦しを乞いながらの心からの奉仕に,紳士の心は遂に溶け,和解が成立したわけですが,いまの青砥さんのお人柄は,この得難い体験のうえに成り立っているものと私は信じています。このことは,また別の機会に述べたいと思います。