季 節           本多 幸代

 7月の行事に,那智の火祭りが載っていました。なつかしい風景が思い浮かびます。
 私には,一番なつかしく思い出多い所です。
 せみが鳴き,空は青く白い雲,海からやさしい潮風が吹いて来ます。
 忙しさの中にも季節は,移り変わり遠い昔となってしまったけど,今のこの時代を肌で感じながら,心に生きている喜びを,かみしめて歩いて行きたいです。

 先日,お店のお客様の谷中先生から刀豆の苗を2本いただきました。ツルは大きくのびたけど,花も豆もまだです。
 時々新聞にも載っていますが,豆の大きさが大人の腕ほどもあって,まるで刀のような形をしている所から刀豆と言うそうです。
 大きな物では,全長70cmくらいになるそうです。
 効能としては,鼻のつまりや,ノドのイガイガ,お口の臭いすっきりと,まだまだいっぱいあります。
 ドクターエンドーでは,刀豆が静かなブームを呼んでいます。
 刀豆が大きくなったらこのページでお知らせしたいと思います。

 配達の道々で,早,稲の穂があちらこちらに見えるようになりました。また,百日紅の花も美しく咲きはじめています。紫,ピンク,白と花の色がたくさんあり,フリルのように咲く花木です。「さるすべり」という名前は,木肌がすべすべしていて木登り上手の猿でも滑ってしまいそう…?というところからきているとか。
 ところで,過日,配達先のお客様から,お叱りのお葉書をいただきました。車のドアの開閉がうるさいとの事でした。配達を始めて1年半が過ぎましたが,今まで気が付かず,大変ご迷惑をおかけしていたのだと,深く反省し,それ以来,気を付けて廻っています。
 申し訳ありませんでした。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 48
猫に小判・豚に真珠   三村 隆範

 「猫に小判」は,貴重なものでも,その価値が分からない者に与えては,何の役にも立たない。ことの譬えです。
 「聖書」のマタイ7章 6節にも
 「神聖なものを犬に与えてはならず,また,真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり,向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」と書かれている。
 「猫に小判」も「豚に真珠」も同じように,価値が分からない者に貴重な物を与えても,何の役にも立たない。ことの譬えですが,「豚に真珠」は,噛みついて来るから「猫に小判」よりもひどい目にあう事を伝えている。実際,キリストは十字架に架かって殺された。
 しかし,「聖書(イエス キリスト)」が伝えたかったことは,貴重なものを価値の分からない者に与えてはならないというよりも,自分が,その貴重なものを貴重なものと見えるようになりなさいと言いたかったわけだ。
 あなたは,兄弟の目にあるおが屑は見えるのに,なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。マタイ 7章 3節
 ともすると私達は,自分自身が,そのものの価値がわかっていないのに人に伝えようと試みている。そしてそれが相手に通じないと,通じないのは,相手が悪い。という判断を下してしまう。私は,相手が「テーマ」を与えてくれたと思うようにしている。
 「そこの所が,わかってないから調べておく方がいいよ」と教えられているわけですから,戻ってから調べるわけです。
 もし,相手が「そうだよ!君の言う通りだよ」と言ってくれると嬉しいかも知れないが,それでは,もう調べる必要がないわけです。
 「猫に小判」「豚に真珠」与えている本人に「その価値が,わかっているのか」が,問われているわけです。自分がわかっていない事を相手に与えようとしているのではないか?それを相手が教えてくれる。私自身は,それが見えないが,わかっているつもりで,伝えようと試みているわけです。そして,自分がわかっていなかったことを思い知る事になるのです。とにかく出してみる。すると,小さい小さい自分に満たさなければならない大きな空洞のある事が見えてくるのです。