三木家古文書について(その22) 三木 信夫 これは永正9年(1512)阿波国守護の細川元常からの官途状である。このころ官職は,朝廷から叙任書として口宣案(くぜんあん)を下されるものであるが,当時は主君の武将が了承して唱えさせる場合も少なくなかった。三木氏が細川家の家臣となっている事が判る。
当時の細川家は,永正3年(1506)から宗家(そうけ)の家督を巡って一族間同士で激しい争いを続け,50年間の長きにわたって断続的に繰り返したことで,細川氏の勢力は弱体化し,かわって細川氏の有力被官であった三好氏が台頭してくるのである。当時京都の幕府権力は有名無実化していた。 |
夏過ぎてまだ陽の暑き(その1) 天羽 達郎 今年の夏の暑さは異様であった。桑野の秋祭りの10月23日頃にはまだカエルがゲクゲク鳴いていた。それでもお彼岸が来ると曼珠沙華が,伸びが悪いといえども咲いていた。地球温暖化の表れとも言えるが,これはなにも炭酸ガスが増えたからだけではないそうだ。無論それも関係しているが,南極の氷を深くボーリングしてみると何万年か前までの氷が手に入る。それを分析してみると当時の空気中に含まれている酸素炭酸ガスなどの含有率が分かるそうだ。今よりずっと炭酸ガスが多い時代があるのに平成の御代より寒い時があったという。なぜ? (以下次号) |
不安な日 サイトウ シゲジ 不安はいつでもどこでも誰にでもある |
ファッション 琴江 由良之介 人生ここまでとんと縁のなかった領域に踏み込んでみようと,一念発起,服飾店をやっている同い歳の従姉妹にご指導を請うと,「そんな暇ないっ!」と,一蹴され,それでも,「図書館へ行てみい」と,某デザイン学園のテキストの存在をほのめかされた。 |
中村 修 |