これは永正9年(1512)阿波国守護の細川元常からの官途状である。このころ官職は,朝廷から叙任書として口宣案(くぜんあん)を下されるものであるが,当時は主君の武将が了承して唱えさせる場合も少なくなかった。三木氏が細川家の家臣となっている事が判る。

(訳)
望み申す官途の事,其の意を得候也,謹言
    永正9年8月8日    元常(花押)
     三木左京進(=宗村)殿

 当時の細川家は,永正3年(1506)から宗家(そうけ)の家督を巡って一族間同士で激しい争いを続け,50年間の長きにわたって断続的に繰り返したことで,細川氏の勢力は弱体化し,かわって細川氏の有力被官であった三好氏が台頭してくるのである。当時京都の幕府権力は有名無実化していた。

 今年の夏の暑さは異様であった。桑野の秋祭りの10月23日頃にはまだカエルがゲクゲク鳴いていた。それでもお彼岸が来ると曼珠沙華が,伸びが悪いといえども咲いていた。地球温暖化の表れとも言えるが,これはなにも炭酸ガスが増えたからだけではないそうだ。無論それも関係しているが,南極の氷を深くボーリングしてみると何万年か前までの氷が手に入る。それを分析してみると当時の空気中に含まれている酸素炭酸ガスなどの含有率が分かるそうだ。今よりずっと炭酸ガスが多い時代があるのに平成の御代より寒い時があったという。なぜ?
 戦前から「主婦の友」という雑誌があった。今もあるかどうか知らないが,この雑誌の編集をやっていた原田常治氏はあることに気が付いた。毎年今年の婦人ものの流行はと,シーズンを先取りして編集をやっていたところ,戦前は衣服の柄とか色が黒っぽい深いもので厚手であったのに,戦後は段々と淡い色模様に,そして薄手に変化している。寒い気候用のものから暖かいもの用に変化しているという。そこでこれは地球が温暖化しているからではないかと研究を始めた。まず長野県諏訪湖の神渡りの記録を諏訪神社で調べた。神渡りというのは諏訪湖の水が凍って行く時,それがまず周辺の浅いところから始まり,次第に中心部へ,そして最後に中央部が凍るとき周囲から押されてきた氷がぶっつかりドン!という音とともに氷が柱状に盛り上がり長い列を作る現象をいう。地元の人はこれは神様が湖を渡って行った跡だという。この現象は昭和30年代からその時期が次第に遅くなり,最近ではこれが起きない年もあったという。地球が暖かくなってきたに違いないと確信した。そしてその裏を取り始めた。

(以下次号)

不安な日       サイトウ シゲジ

不安はいつでもどこでも誰にでもある
不安は列車のようにつながっていて
小さな不安をもう一つの不安が支えている
その不安をまた別の不安が支え
永遠に終わらないしりとりゲームのように
ぼくを悩ませる
不安の構造は複雑で
人の心を蝕むために複雑さはますます精緻を極め
ぼくの小さな心は不安に押しつぶされそうだ

不安の根元というものがあるのなら
今すぐそこを訪れて
その中身を見てみたい
きっとそいつの正体はシンプルで
馬鹿みたいにわかりやすいものなのだ
意味もなくくだらないくせに
ぼくの中から決して無くならないものらしい

不安はいつでもどこでも誰にでもある
不安は列車のようにつながっていて
小さな不安をもう一つの不安が支えている

ファッション    琴江 由良之介

 人生ここまでとんと縁のなかった領域に踏み込んでみようと,一念発起,服飾店をやっている同い歳の従姉妹にご指導を請うと,「そんな暇ないっ!」と,一蹴され,それでも,「図書館へ行てみい」と,某デザイン学園のテキストの存在をほのめかされた。
 殊勝に,「文化ファッション大系の五つの講座」あたりから一冊ずつ順番に借り出していった。
 クリスチャン・ディオール,バレンシアガ,ジバンシー,オートクチュール,世の女性には,いろはのいの字なんだろうが……続いて,インターカラー,マーチャンダイジングなんてギョーカイ用語あたりまでひと通り流し読みしたことをご報告,それでようよう,「ほな,来てみい」と,お許しが出,教授じきじきのスクーリングと相成った。
 かくして,身をおくことはおろか,近づくことすらはばかられていた,駅前百貨店の三階フロアー辺りも,季節ごとに展示換えする美術館に思えてくる。ショーウインドウが画廊に見えてきた。
 何より,ちょっぴり女ごころなるものがわかりかけたような気にさえなれてきて……。
 人間,やればできるんです。

                 中村 修