廣池博士の墓所清掃で学んだこと   近藤 隆二

 8月10日より(5泊6日)本部講座を受講した時,二日目に勝浦町の野上様より「近藤さん,明日の朝からいっしょに廣池博士の墓所を清掃に行きませんか,明日朝5時に研修寮のロビーで待っていますから」と誘って下さいました。三日目の早朝5時にロビーで行くと既に5名位の方がお茶を飲みながら待っていました。少しすると野上様と勝浦町の花房様も来ました。研修寮を出て廣池学園モラロジー事務所へ行ってご神拝と記帳をしてから米谷豊先生にご挨拶して,手拭いや軍手を持参して,墓所へ向かいました。墓所へ着いてから気づいたのですが,ポットに湯を入れて,米谷先生が持参して来ているのです。毎朝自宅で奥様が沸かされて米谷先生が持って来て,廣池千九郎博士のお墓と廣池家のお墓を,先にタオルをお湯で絞って拭き,後で乾いたタオルで乾拭きをしているとのことです。清掃に参加していた20数名の方々で交替しながら,廣池博士のお墓をお湯で絞ったタオルでていねいに何度も拭き,その後乾いたタオルで何度も拭かせて頂きました。石碑の文字の所は歯ブラシで磨きました。お湯を使われるのは「生きている人の身体を拭いている」という心でお墓を拭いていると聞かされました。
 ほんとうに感動しながら墓所の掃除を終えました。
 米谷豊先生は奥様とご一緒に毎朝早朝にお二人で何拾年も現在まで続けて墓所の掃除をされているとのことです。そのご至誠が講座生の有志や近隣の至誠な先輩に波及していっしょに掃除をさせてもらっているとのことです。清々しい心になれました。

奇跡の生還        石渡 修司

 「神をいつも信じていた」と,二人目の救出者となったマリオ・セブルベタさんが国営テレビで語ったと,徳島新聞(2010年10月14日朝刊)に報じられていた。
 「チリ北部コビアボ郊外の鉱山落盤事故で,2カ月余りにわたって地下約700メートルの坑道に閉じ込められていた作業員33人の救出作戦が,きのう(2010年10月13日)から始まった。作業員が閉じ込められた地下は,平均気温35度前後,湿度80パーセント以上,3日分の食料しかないという過酷な環境だった」(徳島新聞社説)。
 暗い閉鎖空間に閉じ込められ69日間,忍耐し,ついに救出された。その救出作業は国家プロジェクトとして,チリ国の総力を挙げて取り組んだ,それに加え,世界各国からの協力も大きく寄与したと言われる。全員無事の救出は,「現代の奇跡」と称賛された。
 閉じ込められた作業員らが生き延びることができた理由が取りざたされている。「互いに励まし合い,気づかいを忘れない家族の愛が作業員らに苦難を乗り越える勇気を与えた」と言われているが,それだけだろうかとして,井上雅弘九州大学院準教授の「最大の理由は空間の広さだ。坑道内に十分な空間があり,相当の空気があった」との解説を徳島新聞は載せていた。
 物理的な状況は,解説の通り,恵まれていたのであろう。しかし,閉じ込められていたのが人であったことを忘れてはならない。聖書に書かれているとおり,「人はパンだけで生きるものではない」(ルカ福音書4:4)なのである。パンが与えられれば,人は生きていけると考える日本人研究者の限界を見る思いがする。生き延びた最大の理由は,彼らに神を信じる信仰があったからだ。
 チリはカトリック信者が88%(外務省データ)である,最悪の事件が信仰者の最高の証しの機会となった。信仰を持っていて本当に良かったと,彼らは感謝していることであろう。
「信ずる者は慌てることはない」イザヤ28:16

元気ですねぇ      石渡 路子

 「元気ですねぇ」と,仲間の牧師から言われ,「朝と夕に走っています」と答え,「どれくらい?」「一日に10キロ」と言ったんだと,連れ合いは嬉しそうに話してくれました。
 確かに,「継続は力」と思うようになりました。連れ合いが,一念発起し,走り始めるようになったのは,昨年の8月頃,急に走り始めたので,ひと月でひざを痛め,断念,三日牧師(坊主?!)にならなかったことは評価すべきなのでしょう。11月になって,再開しようとした矢先に,自転車で転倒,足首を骨折,五か月,じっと我慢していました。ところが,4月,さあ,いけるかなと思った時,今度は帯状疱疹。医師から絶対安静と驚かされ,おとなしくしていました。そして,5月連休明けぐらいから,走り始めたようです。
 最初は,本当に短い距離のようでした。出かけて,すぐに帰ってきていました。「本当に,行ってきたの?」と聞くほどでした。ところが,あの暑い夏が終わる頃には,朝に夕に走るようになっていました。夏は,にわか雨が降ることがあります。出かけてから,急に強い雨が降り出したので,傘を持って,迎えに行きました。雨の中,ゆっくり走ってきます。「傘を持って来てあげたわよ」と言うと,「傘はいらない,濡れても平気だ」と言う。「ありがとう」と言って,喜んでくれる姿を想像していただけに,がっかりしました。「もう,これからは雨が降っても,傘持ってきてあげません」と,冷たく言ってしまいました。
 それにしても,さすがに朝に夕に走るようになって,約半年,体型が少し変わって来たように思います。連れ合いの期待通り,お腹の周りが細くなり,体全体が少しスリムになったようです。10月になって,久しぶりに見る背広姿は,背広がだぶついていました。
 このところ,腰周りに肉が付きすぎたかなと気になっている私も,歩こうかなと思っています。
「なすべきことは,……目標を目指して,ひたすら走ることです」フィリピ3:13-14

北の珍道中(4)   山田 善仁

 北の大地,遠軽の朝を向えた。夕べの酒が良かったのか,それとも酒が足ら無かったのか。6時半だと言うのに目覚めがすっごく良い。
 待ちに待って朝食を摂る。合言葉。忘れ物は無いですか。早速,メガネを忘れた。写真集を忘れたと。♪♪ボケなきゃ損,損?? 再確認後,従兄夫婦に見送られて,オホーツクの海を目差し発車オーライ!! 今日もレンタの運転手。
 道すがら,昔聞いた地名が標識に。芭露峠,湧別,常呂,そして目的のサロマ湖ワッカ原生花園に到着。
 砂浜に咲くハマナス,エゾスカシユリ,チシマフウロ,エゾナデシコ等,色んな花に歓迎を受けて気は躍る。
 制限された時間の中,早くも思い思いに,撮る者,観る者,一目散に駆る駆る亀の様に。
 浜エンドウの花を見た途端,少年時代にタイムスリップ。
 懐い出すは,辰巳の浜辺で,牛の餌に摘んだは浜エンドウ。
 ……浜には紅い花が咲き,篭には採った草を積む。牛は喰み喰み,こちら見る。
 ……瞼に浮かぶ,あの日のままに。流れ星と消えた。牛飼いの子を残し。
 ……そして今,人生謳歌,花懸のサロマ。