NAYAHAUSU         本多 幸代

 先日,上勝の中村さん宅で,ムーのお話し会に参加するために,初めて上勝へ行って来ました。
 もっと山深いのかと思っていましたが……。でも途中から道は細く曲がりくねって,車が来たらどうするのと思いながらの運転でした。幸いにも車とあうこともなく到着しました。
 女性10人で中村さんに教わりながら,ネパールの料理を作ります。びっくりするのは,かまどがあり火をおこすことから始まります。子供の頃に使った消しズミがありました。火吹き竹など,めずらしいものばかりです。ふと祖父母を思い出しました。でも,さすがに「いろり」は有りませんでした。
 皆で楽しく切ったり,炒めたり,香辛料をすったりと,手分けして楽しく作り,試食です。
 好き嫌いの多い私なので,食べることが出来るかちょっぴり不安でしたが,一口,あぁ私でも食べられると思いました。
 どんな味だったと聞かれたら困りますが,お皿に玄米のごはんと,私達が作ったおかずがのっているのを少しずつ混ぜ合わせて,本当は手で食べるそうです(熱いのでスプーンで食べました)。
 久し振りにゆっくりとした楽しい時間を過ごせました。空気がおいしかったです。

 稲刈りの後の田んぼ。
 その後の二番穂が出た緑の風景。
 無数の花を付けたコスモス畑。
 色付き始めたバラの実。
 甘〜い無花果。
 オレンジ色の柿の実。
 配達を終えた時の,秋空のパノラマ。
 みんな大好き!!

 ドクターエンドー徳島店では,雑草いけばなデザイン一渓会の皆さんによる,雑草いけばな展がありました。
 10月16日〜10月31日までの二週間でしたが,毎日毎日お花の入れかえや水やりなど,会員の方が変わるがわる来て下さいました。
 とても熱心で,花を愛する人達ばかりです。
 その行動力には,頭が下がります。
 色々な小物を使ったり,又めずらしい物では,お鍋も登場しました。とても粋な感じがして,花も堂々として,それでいてひかえめな,かわいい花達ばかりです。とても道端の草達とは思えません。
 そんな事を想って野の花に目を向けて見たら,どの花もなんと可愛らしい事でしょう!

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 51

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三村 隆範

 赤・青・緑の絵の具を重ねると黒になる色の三原色と違い,光の三原色は,赤・青・緑を重ねると白になるという。
 自然の流れの中にあるすべてのものは,刻々と現れては消え,消えては現れながら悠久の時間の流れの中で次第に変化してきた。人間の社会も,現れては,消えながら続いて来た。
 まず,事実がある。
 事実を見た人が,その事実を自分のものとするため,その事実をその人なりの考えで表現する。そして,それを参考にして,別の人が次々と自分色のついた考えを積み重ね,色を付けていくと黒くなり,判らなくなり消えていく。
 一方,人類の長い歴史の中で,何千年の風雪を越え,ものの見方は淘汰され洗練されて,客観的にみて正しいものは続き,伝えられてきた。それは白い色のようであり,無色だ。
 事実を見て,正しく見えるものは残り,色のつくものは消えていく。混ざり合っても濁ることなく,ますます純粋な白,或は無色で現実がはっきり見えるものこそ永遠に輝く真理のようだ。混ざれば混ざるほど濁り黒くなっていく考え方は,自然と淘汰され消えていく。長く続いているとはいっても,その中身が入れ替わって続いているのでは,続いているとはいえない。
 知る事は大切だと教育されたが,知れば知る程,黒くなるような教えをいくら学んでも,黒くなる事に拍車がかかるだけだ。
 持っている人は更に与えられて豊かになるが,持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。マタイ福音書 13-12
 事実をすなおに見る目を持っていないと,周りの大きな声に流され,付和雷同し知らず知らずの間に黒に近づいてしまう。
 「白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき」という狂歌を懐かしむ声も人間社会では聞こえるが,多くの人の云うことが正しいのではない。事実を事実として,そのまますなおに受け入れ,自分が納得する本心の光を見つめ,喜びの光に帰ろう。