新しい年になり,この小冊子「波阿波」の歩みを振り返って見ますと,2004年10月に「阿の波風」として創刊されて以来月刊誌として発刊され続け,2010年1月より「波阿波」に標題が改められましたが,今年1月号第13号で通算76号となります。タイトルは新しい今のほうが良いです。
 これまで8年近くの歳月が経ちましたが,私も毎月三村氏にせかされながらよくぞ書いてきたものだと改めて感心しています。この製作等に携わっています三村隆範氏は,続けていくことに意義があると,原稿依頼や原稿集め更にはぎりぎりの原稿提出にも黙々と対処して発刊していることに頭が下ります。
 2013年1月号が通算100号になりますので,今までの執筆者や古事記研究会の方々等と,三村隆範氏を慰労する記念パーティを開催したいものです。
 2年間元気でがんばりましょう。

 12月2日太龍寺へ行った。そこには神武天皇が戦勝祈願に立ち寄ったという言い伝えがあるからだ。三村さんの他に3人合計5人の会員が,副住職の島村さんの案内で見て回った。ロープウェイから眺める景色は絶品で遥か彼方まで見える。ゴンドラが着いたところは本堂の階段の手前で,そこから左へ曲がり細い坂道を上がる。かなり急で距離も長い。副住職さんは普段から慣れているからすたすたと早足で行ってしまう。我々はどんどん遅れる,息は切れる,かなり苦痛であった。大西時子さんは非常識にもハイヒールのままだ。普段通りでよいと聞いていたからだと言うが,山道を行くんですよ。運動靴を履いてくるぐらいの常識はあっていいと思うんだが。
 終点には神武天皇の祠が確かにあった。以前は石の像があったそうだが何時の時代か祠に変わったという。その裏側の岩の上には天照大御神の祠もある。江戸時代には蜂須賀の殿様も来たというから,なにか神秘的権威がある所だろうなと想像を巡らした。神武天皇の時代にはまだ太龍寺はなかったはずだからこの山自体に霊験灼(あらたか)なものがあったに違いない。今の奈良盆地を目指す前に願をかけたからにはかなりの決意と期待が込められていただろう。それにしても祠は粗末なものだった。それが返って内に秘められた人には知られていない静かな闘志というものを表している様に思えた。
 帰り道本堂の高みから見下ろす屋根越しのいちょうの木は見事だった。

 伽藍ごし黄色に映ゆる大いちょう
         冷気沈めり太龍寺山

           サイトウ シゲジ

朝を見るために 僕は
僕の好きな場所に行った
一晩中眠れなくて
たったひとつのことを考えていたのだ
「朝」さえ見れば
生きていると思えそうな気がしたからだ
車に乗って 僕は
僕の好きな場所に行った

風は冷たく
空気は薄かった
誰もいない僕の好きな場所には
「朝」はなかった
どんよりした雲が陽を遮り
どこからともなく空がしらんでゆく
不協和音のいっぱい詰まった音楽が
僕の頭の中でうずまき
誰が僕を救ってくれるのかを考えた

朝を見るために 僕は
僕の好きな場所に行った
僕は一晩中眠れなくて
たったひとつのことを考え続けていたのだ

色ごのみ       琴江 由良之介

 いっそのこと,色の道を究めてみんと……。まさかっ! C・O・L・O・Rのこと。
 ヒトの感性は,数万もの色彩を見分けられるそう。そのうちの500ばかりを並べた教本を図書館から借り出して,視界に明滅する森羅万象を,「これは,あれっ!」「あれは,これっ!」,といったふうに躰に叩き込んでいく。
 ファッション・モード以外にも,このところクルマの装いもすっかりおシャレになってきている。脇を駆け抜けていくのを片っ端からカラー見本とためつすがめつ……でも,やっぱり天然現象にかなうものはない。たとえば,夕空は,シェルピンク→ピーチ→アプリコット→サーモンピンク→紅梅→ローズレッド,と移ろっていく。これが,朝焼けだと,灰ざくら→オールドローズ→ローズピンク→紅梅,こんなふう。

ブラボー新年      岡本 光司

 新しき年を迎え,これもひとえに,父や母,天,地人の御蔭様の力と深く感謝し,歓びあふるる毎日をと心新たにしております。
 今,「私」ラッキーセブンのちりばめられた70代。
 今度は私の番だ!
 僭越ながら,「天地人」への「恩がえし」をと。

○精神面
  アイウエオの心
   愛をうえよう
   おもいやりの気持ちを深めていこうと…。
○具体面(形あるものとして)
  心に温めていますプランあり。
  実現化を目指す。

 少し欲ばりかなあ…。
 締めくくりとして,私の好きな言葉

  今日は一日絶好調!

 皆様へ
  あふれるばかりの倖せを祈りつつ。