次の古文書は,鎌倉時代末期の第95代花園天皇[在位:延慶元年(1308)12月28日―文保2年(1318)3月29日]大嘗祭の麁服(あらたえ)貢進に関するものである。大嘗祭の麁服に関する場合は,阿波の国司宛に神祇官から官宣旨と太政官から太政官符が出される事になっている。国司は二つの写しを持って,阿波忌部氏人の御殿人(みあらかんど)三木家にその旨を依頼したものである。花園天皇は,第92代伏見天皇の第四皇子で,第94代後二条天皇の崩御により12歳で即位したもので,異母兄の第一皇子は第93代後伏見天皇である。次の96代が,南北朝となる第91代後宇多天皇の第二皇子後醍醐天皇である。


(官宣旨案訳)

 左辨官下す阿波国司
 まさに早速に荒妙(あらたえ)の御衣(みぞ)を織らしむべき事,
 右権中納言 藤原朝臣兼季宣す, 勅を奉ずるに,大嘗會悠紀所料,よろしく彼の国におおせて,先例に依って,麻殖忌部の氏人を以って織り備えせしめ,神祇官に附して進上せられるべし。てへれば國宜しく承知して,宣に依って之を行え,
 延慶(えんぎょう)2年9月 日 大史(だいし) 小槻宿禰(おつきのすくね) 判
 右中辨 藤原朝臣 判

 対の太政官符については次号で解説。

夜の太龍寺は競馬場?  天羽 達郎

 太龍寺の参拝の時間が終わり夜の帳が降りると,寺の回りには競馬場を思わせる蹄の音が聞こえるそうだ。なんとそれは鹿の群れが山道を駆け巡っている音だそうな。この辺一帯は禁猟区になっているので鹿が増えている。そしていろいろな木の新芽は鹿の口が届く範囲のものはみな食い尽くされてしまう。植林をしてもすぐ食べられてしまうので回りには金網を張ってある。太龍寺より奥,いわゆる那賀奥では柚が被害を受けている。幹の皮が食べられてしまい木が枯れてしまうのだ。そこで県の方は猟友会の人に鹿の駆除を依頼しているのだが,警察の方は銃を持つ条件を厳しくしてできるだけ持たせない様にしている。何年か前選挙中に銃の事故があったためだ。新規に銃の保持を申請すると10万円以上かかる。であるから若い人が銃を持たなくなり年寄りばかりが更新をしている。その人達がさらに年をとり死に絶えると銃を持つ人がいなくなる。そして太龍寺の鹿がさらに増え周囲に散っていくと,ここのところ何とか持ちこたえているが今に鹿の天下になるぞ。

未来          サイトウ シゲジ

未来にも有効期限や賞味期限があることを知った
一生というものを
一つのものさしにたとえる世界では
当然な事だとやっと解った
未来に向かって走っているときはいいが
ゴールの向こうに何もないことを忘れていた

昔の人は素晴らしいと思うときがある
ありがたい本や尊い本に
ほんの一節書かれていたことを
ようやく今になって思い出した

一生というものを
一つのものさしにたとえる世界では
私の未来はすでに過去となり
残されたものをなんと呼べばいいのだろう

そんなことを考えた後で
私は遅番の仕事場に出かけるだろう
どこの誰が必要としているかもしれぬものを
時間を忘れて作り続けるのだ

時は流れ 消費され
いくばくかの貨幣に替わり
休日に私は海でビールを飲むだろう
砂浜で親子連れがキャッチボールをし
恋人達は互いのことだけを考えるだろう

一生というものを
一つのものさしにたとえる世界では
私の未来はすでに過去となった
残されたものをなんと呼ぶか
私はもう暫く考えねばならない

2010年を振り返って(2)  松林 幸二郎

 物心つかぬ幼子が,どれほど親と周りの人の関心と愛情と細々な世話を要し,どれほど親の持つ時間を費やすか,私たちは体験的には知っています。そして,その時期が,人格と性格形成に深く関わって,人間の一生を決定してしまうことを識るにつけ,親や周りの人の愛を受けることなく,親が薬物中毒であったり,虐待を受け続けてきたティーンエイジャーが,修復が不能なほど情緒も精神も壊れてしまい,同時に,大きな社会コストとしてなっています。
 私たちの自ら生み出すことは出来ない,力と忍耐と愛が,しばしば限界にも近づくのも現実です。しかし,その現実が故,毎朝,心を合わせ主に祈り,その日に必要な力と知恵と忍耐と愛をいただいて職場に向うことによって,自分たちは一人で生きているのではないことを悟り,夫婦の絆も深まっていくのも感謝すべき現実です。
 もう,ひとつは前の職場で閉鎖を止むなくされた“やぎ工房”(外の職場や作業所に働きにいけない障害者のための“工房”)が新しい職場で,リーダーの全面的なバックアップで再開されたことを喜びをもって,これまで支援してくだった皆様に報告が出来る幸いに感謝します。忍耐心や能力に乏しい若者を,どうやってモチベーションを持たせるか,苦しい試行錯誤の毎日ですが,作品ともいえるものが,少しずつ出来つつあり,12月4日にTrogenで開かれるアドヴェント市場に出品即売し,ほぼ完売したのも,また奇跡をみる思いがします。

 古事記ができたのと同じ頃に,全国各地の風物・習俗・特産をまとめて報告しなさい,という詔が出されて,さっそく,次の年に,播磨で,さらに二十年もして,今度は,出雲で……ほかの国々でも編まれたはずですが,散りぢりになって,そっくり遺ったのは,この二つだけだそう。
 時は流れて,平成の御代,四電の広報室がせっせと,その「風土記」を編纂し続けています。その隠れファンで,月のはじめには,駅のチラシ棚へもらいにいきます。
 飽きのこない編集で,得もわれずいい。実にいい。
 海・山・川・街・村……自分らのふるさとのこの大地で,身の丈に合わせて生きている人たちが登場,あれこれ文物・習俗・取り組み・活動が,つくろいなく紹介される。
 これこそ,文化っ! 毎号こんな気にさせてもらってます。