わが町では,各自治会単位で,自主防災会が出来ており,今回,初めて参加いたしました。近くの神社で,市の職員と消防署の職員が来て,お話と指導をしてくれました。
 学んだことは,消防法及び徳島中央広域連合火災予防条例により,平成23年5月31日までに住宅用火災警報器の設置が義務付けされたことです。
 次に,防災用資機材の三種の神器とは何でしょうか! 本来三種の神器とは,皇位の標識として歴代の天皇が受け継いできた三つの宝物。すなわち, 八咫鏡 ( やたのかがみ ) 天叢雲剣 ( あまのむらくものつるぎ ) 八尺瓊曲玉 ( やさかにのまがたま ) ですが,たとえば私の生まれた1950年代,家に備えておきたい三種の高価で有用な物とは,テレビ・洗濯機・電気冷蔵庫といったものです。話を元に戻します。それは「バール」「のこぎり」「ジャッキ」だそうです。なるほど!
 初期消火訓練を見て思い出した事は,徳島市内で実際に火事現場に出合って,生まれて初めて消火器を手に一階マンションの台所に飛び込み,テンプラ油に火が入りまわりが燃えだしていたのを運よく消せたことです。あの現場であれだけの機転が働く能力を与えてくれたことに我乍らうまく出来たと感謝しています。
 次に簡易担架作成訓練,これは知っておいて本当に役に立つと思いました。毛布と竹2本あればすぐ出来ました。
 最後に,非常食炊き出し訓練の実際はありませんでしたが,参加者全員に非常食(五目ごはん,アルファ米260g)が配られたのを持ち帰り,昼食がわりに食べてみました。結構これがいけるんですね。思っていたより,美味しくいただくことができ,その上,お湯を注ぎ15分(水の場合は60分)で簡単に仕上がり,大人の私でも十分お腹を満たす量(お茶碗大盛り一杯分,スプーン付き)でした。これはおすすめです。
 ただ一つだけ気になったのが,防災用資機材の中にエンジンチェンソーがあったことです。これは,使い慣れた人が扱わないと二次災害の原因になるかも!
 今回,御蔭様で自助共助と隣近所の助け合いと絆の大切さを学ぶことが出来ました。備えあれば憂えなし。

ニューモラルを読んで…No.496
相手の心に寄り添う
  相原 詩恩

 「遅刻を注意して」で,太田美咲さんが学校に下級生を連れて登校するのに,集合場所に遅れて来る翔太くんを強い口調で注意したことで,私ははじめ,注意するのがふつうだ,と思っていました。
 けれど,「正しいことを言ったのに…」で,注意するのはいいが,もしかしたら何か理由があったのかもと思うことも大事だと思いました。
 私が小学6年のころに,翔太くんのようにそうじの時間に遅れた子がいて,私は「次遅れたら,先生に言いつけるけんな!」と言ってしまいました。今思えば,何かわけがあって遅れたんかなと思いました。
 「理解するとは,相手の下に立つこと」で,英語で理解するという意味のアンダースタンドは「下に立つ」で,相手よりも下に立って,相手の気持ちを考えるということだと分かりました。
 これから,同級生や先輩,新一年生にも,相手より下に立ち,考えていきたいです。

脇先生の話から     天田 弘之

 ここでちょっと絵の話に触れてみましょう。脇先生の絵は写実であります。それは私たちの眼に見えているそのままの世界を対象に描いたものです。遠くのものは小さく見え,近くのものは大きく見えます。これを画法で言えば遠近法です。更にもう一つの要素である明暗法で描いているのです。光のあたった部分は明るく蔭の部分は暗く見えるのです。これが西洋の伝統的な描法ですね。先生の絵は印象派の影響が濃厚です。黒田清輝を師とし「むらさき派」の影響です。色彩がきれいです。
 20世紀初頭のアンリー・マチスという人をご存知でしょう。私が先生にマチスの絵をどのようにご覧になっていますかと尋ねたところ,「ゴッホやセザンヌもちょっとついていけん感じ,マチス? あれは絵の具がもったいない」別に気負いもなくマチスは絵の具を使い過ぎると――さらりと言う。「前衛絵画は? かいもく共感できん」と。
 そこで私は,その前衛に強く共鳴して描いているんですと話すと,「あなたはこれからの時代に生きる人だ。絵がどう変わっていくかわからんが,写実も共に影響を受けながら続いていくだろう。芸術だからな。よい絵をつくりなさい。」と話してくれた。
 この齢になってわかるのですが,遠近法(パースペクティブ)の空間と現代の抽象絵画(アブストラクトアート)の空間とは,見方や考え方が大きく違うのです。現代絵画は,目に見える世界から目に見えない心の中の世界まで表現の対象になるのです。極端にいえば, 目に見えない世界を ( ・・・・・・・・・ ) 見えるように表現する ( ・・・・・・・・・・ ) ことです。そこには自由な空間が必要となります。従ってパースペクティブな空間は否定され新たな空間が生れるのです。抽象的絵画空間(東洋の水墨画に見られる)です。そこでは色も形も物質(マチェール)も絵画的感情を持った絵画そのものに生れ変ります。
 具象的絵画も抽象的絵画もイメージの表現には変りありません。アートは孤独を通した精神の表現です。大局から見れば具象も抽象もない感性の創造の世界ですね。
 フランス芸術院のクリスチャン・ラングロワ氏(1924〜2007)は,“芸術の目的は歓喜である”アーティストは不純物から美を抽出し,その美を他の人間に感じ取れるようにする。アーティストなしでは永久に閉ざされたままである領域に他のものも到達できるのだ。そこは歓喜の領域,喜びの感情なしには真の芸術は存在しないのである。芸術は直接的でいかなる媒体もなしに感覚にまっすぐ届くのであり,知識を要求する言葉とは逆に芸術を普遍的なものにしている。芸術は知識の領域でなく感受性の領域であるからだ。デカルトの「我思う故に我あり」という知識とは逆に真の芸術家はこう言うだろう「我感ずる故に我あり」と。
 (クリスチャン・ラングロワ氏は,日仏現代美術展の際,私の受賞作品の批評をしてくださった方です。丹下健三氏とフランス芸術学士院で机を並べた仲だと話した。)


ランドスケープ(心象風景)

私の信条について   岡本 光司

 少し大げさかなあ。
 私は男ですので,女性の皆様に参考になるかどうか……。
 もちろん,男女同権でありますが,私は,男性・女性としての役割に於いて同権と考えております。
 偉そうな事をいっても,我々,女性の皆様に生んでいただいたのですから,もちろん,頭が上がりませんが……。
 話がそれてしまいました。本題に戻ります。

(一)父よりの言葉
 やられたら,やりかえせ
 意味が非常に深く,己を「きたえる」という事か

(一)阿部譲二の言葉
 いやなことがあるたびに逃げていたら一生逃げる男になってしまうぞ

 以上の言葉をバックボーンとして……。
 今,私,七〇代。
 これからは,二つの言葉を背にして,御蔭様への恩返しをと……思っております。
 御参考になれば幸いです。

                 中村 修