忘れとった!      橋本 節子

 久し振りに私の孫の純平と二人きりになったので,「ジュンちゃんの『あ』って書いた本が届いたので見せてあげる」と12月号を見せようとすると,「アッ! 忘れとった!! ぼく『あ』って書かなあかん」と,さっとテーブルに向かって書こうとした。
 「たしかこの前,このラメのり絵の具で……」と私が見せると,「そうだった」と……。何事もなかったかのようにサッとまたゲームをしに走って行ってしまった。
 私はこの時,「これからも楽しく,たくさん『あ』って書き続けてくれたら良いなぁ〜」と,今出ている芽が大きく育つのを見守っていようと思った。

成長する孫

 孫が「あ」の文字を書いた数日後,孫と二人でマリオのすごろくゲームをしていて,失敗した時思わず「アッ!!」と言った。
 その後「ボク,『あ』って書けるようになった」と,ぼそっと突然言う。
 「書けるようになって良かったね!」と返したが,最近はオセロゲームも真似面にしても勝てなくなってしまった。孫の成長を見ている。

幼稚園 年長組 橋本 純平

理想と現実        本多 幸代

 毎月「波阿波」の原稿を早く書き上げてしまおうと思いながら,いつも書けない。
 全てに理想を求めてしまい,上手に書けない現実にうんざりする自分があることに気が付く。
 理想も,現実も,同じように受け入れる心を持つことにしよう。

 藤井博之さんの「色えんぴつ画」展が徳島店でありました。
 今回は,県展に入選した大きな猫の絵も飾ってあります。60号の立派な額の中で,すましてポーズをとっています。
 たぶんオス猫と思います。
 外へ向かって飾っているので,近所のネコちゃんがジッーと見つめていた事もありました。
 かなり迫力があります。
 又,その他にも人物や果物がいっぱい並んでいます。
 どれも丁寧にかいているので,思わず食べたくなるほどです。

 雪が多い年は,田舎の実家の冬を思い出します。
 小学校の時,1m60cmの積雪を体験しました。
 かまくらを作ったり。大きな雪ダルマを作ったり。二階の窓から出入りをしたり。父が屋根に上って,雪かきをしたり。冬休みが40日間に延長されたり。薬品や生活必需品をヘリコプターで運んで空から落としてもらったりしたことまでありました。
 また,積雪の年は,父がにわか郵便配達人になっていた事もありました。幼いながらに父が返って来るまでは,心配で,心細く思ったことも思い出すのです。
 雪は,楽しい思い出,寂しい思い出,不便な思い出と,たくさん思い出させてくれます。今となっては,なつかしく楽しい思い出です。

天岩戸が開くとき 人は神に帰る 54
事は外に 良しは内に 三村 隆範

 「鬼は〜外,福は〜内」節分に叫びながら豆を撒く。日本では室町時代頃から「鬼外福内」を唱え始めたといわれている。豆は「魔滅」に通じ,鬼に豆をぶつけることにより,邪気を追い払い,一年の無病息災を願うという意味合いがあるようです。
 よくない事は,外に出す,外から内に入れない。福は,いつも内に居るようにと願うことが,ごく普通の人間が願う事です。
 にもかかわらず,なぜ一年中鬼が内に居るのでしょう。二月に鬼を追い出したはずなのに,なぜ内に鬼が住んでいるのでしょうか? それはたぶん外に居る鬼を内に呼び入れているにほかありません。
 呼び入れている訳ではない,勝手に入って来るのだというかもしれませんが,もし入ってこようとしても戸口で,「もう入ってこなくて結構です」と言えば,鬼は入れないものです。まだ,鬼が入って来るのは,自分の中に,まだ鬼を迎えいれる鬼が巣食っていて手引きするから入って来るのではないでしょうか。それとも内に巣食っている鬼が,入って来た「福」を「鬼」に変えているのではないでしょうか? それを一般には増殖と言います。
 つまりまだ内に自分の中から鬼が出ていってないのです。しかし,自分の中にいる鬼に気づくことよりも,自分の中にある「福の種」がある事に気づく事が重要ではないでしょうか?
 自分の中にある「福の種」つまりきれいな心で物事を見ていれば,たとえ鬼が入って来たとしても,すべて良しに換えてしまう事が出来るのですから,雨や嵐が起こっても,それはそれで良しと思えるようになります。すぐに,そういう気分にならなくても,少なくとも「ヨシ!やるぞ!」という気持ちが沸いてきますから,それだけで,内にある「福の種」が増殖し始めた証拠です。
 節分には豆を撒きながら,「すべて良しと思える心(福の種)」を大きく育てたいものです。
 自分の心の中に良いと悪いを選ぶ心がある限り幸せは訪れません。たとえ訪れても「福」と見えないからです。
 いろんな事が外に起こるでしょうが,自分の心の中は,いつも喜んで暮したいと思います。
 「鬼は〜 外 福は〜 内… 鬼は〜外 福は〜内」