太平洋の奇跡(フォックスと呼ばれた男) 平 澄子

 竹野内君の映画「太平洋の奇跡」が現在公開されています。席は,誰もいない所を選び,二度も観て来ました。
 力を入れて観ただけの事はあって,とてもよかったです。感動しました。
 太平洋戦争末期,民間人を守りながらアメリカ軍の保留になる事をおそれて,サイパンの山奥で戦い続けている大場栄大尉(実在の人物)を,竹野内君が演じています。軍人も最後は47人になりました。47名は終戦になっても山を降りる事が出来ず,日本のために戦い続けます。
 1945年12月1日,三発の弔銃を打ち,降伏します。
 山を降りる時,47名で「歩兵の本領」を歌いながら山を降りて行きます。
  万朶 ( ばんだ ) の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く
  大和男子 ( やまとおとこ ) と生れなば  散兵戦 ( さんぺいせん ) の花と散れ
 竹野内君がテレビでこの歌を歌ってくれました。歌いながら山を降りて行く時は胸が苦しくなったと言っていました。
 今の平和がある事に感謝したいと思います。

 今年の冬は,気温のアップダウンがひどく,わが家の花たちは,なかなか思うように育ってくれないのですが,その中で唯一?ろう梅の鉢花が8年越しで初めて 二輪も ( ・・・ ) 花を付けてくれました。
 以前,花材を採りに脇町まで行った時,親切にしていただいた方に貰った花です。それがやっと咲いてくれたのです。
 もう終りに近づいてしまいましたが,とても良い香りを放つこの花が大好きです。

             本多 幸代

 いつも通る道。格子づくりの家の玄関に,いつも大きな水瓶に四季の花が生けられています。とても楽しみに通ります。今日は何の花が生けてあるのかなあ。お家のお庭に咲いているのでしょう。木や花をなにげなく水瓶一杯に,どんな方なんだろう,この花を生ける人はと,想いながらしばらく眺める私です。
 我が家の玄関に,小さな瓶にその辺の雑草を生けて置くことがあります。日一日と暖かくなる今日この頃,野山が花で一杯になるのも,もうすぐですネ。

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 55
 一か八で 生きるか   三村 隆範

 うまくいくかどうか分からず,出たとこ勝負でやってみる事を「一か八か」という。つまり「丁半賭博」の世界だ。
 多くの人は,そんな生き方をしていないと思っているが,実は,本人が気づかないだけで,その世界にどっぷりつかっている。
 ちなみに「一と八」は,それぞれ「丁」と「半」の上の部分を取って作られた「一と八」ともいわれている。
 言い換えれば,「幸か不幸か」ということで,どちらかがいい(当たり)かの選択である。
 どちらを選んだら「幸か不幸か」?
 しかし,どちらが「幸か不幸か」わかっていて選んでいる訳ではなく,どちらが幸で,どちらが不幸か,それすらわからないけど決断する時に「一か八か」で選ぶわけです。つまり,どちらかが,「幸」で,どちらかが「不幸」と思って選んでいるつもりである。しかし,どちらを選んでも不幸に終わるのは,目に見えている。
 なぜなら,阿波では,昔から
  踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら
  踊らな ソンソン
 と謡っている。
 また「古事記」の冒頭文で
  天地 ( あめつち ) ( はじ ) めて ( ひら ) けし ( とき ) 高天 ( たかま ) ( はら ) に成れる ( かみ ) ( ) は, 天之御中主神 ( あめのみなかぬしのかみ ) 。次に 高御産巣日神 ( たかみむすひのかみ ) 。次に 神産巣日神 ( かみむすひのかみ ) 。 と書かれている。
 これだけで,日本民族の考えを端的に示している。最初から「良し」なんです。
 「一か八」は,どちらが「良い」ということを選ぶ時にどちらが良いか悪いか決められないので「一か八か」と言っているわけで,どちらかが悪いものがあると思っているのです。
 しかし,まず,「一や八」の無い世界,つまり同じ世界,一つの良い世界がある事を先に理解しなければならないのです。そしてその中に「一や八」という多元的世界が広がっているのです。
 人間は,見える世界の中から良いものを選ぼうとする。どれでもいいから選べばいいと思う。
 探さなくても,見ればいいのだ。目の前にあるじゃないか。良いものが…。