卒業            本多 幸代

 寒い中にも,野山に春の訪れを感じる頃,孫の卒業式でした。月日の過ぎるのは,早いものです。
 ランドセルが歩いているような小さな女の子が,今は私を追い越す程に成長しました。
 前日,「明日泣くん」と聞くと,
「泣くよ」
「でも中学校でも一緒なんだろう」
「でも泣く」
と笑う顔が大きくなったなあと,嬉しいやら淋しいやらでした。
 何ごとにも逃げない子になってほしいです。
 今のまま,マイペースで一歩一歩進んで下さい。
 思い出もいっぱい作ってほしいです。

 色々な花や草木が少しずつ芽を出して楽しい春でもありますが,同時に別れの春でもあります。
 お店のお客様も定年退職をされる方もいます。本人も4月の行事予定がまっ白で,寂しいような,嬉しいような,複雑な気持ちだと心境を語ってくれました。
 私も今年の春は,なんとなくもの悲しい春です。
 今が季節としては一番過ごしやすい時です。
 桜満開の春にとびだそう!

天の岩戸が開くとき 人は神に帰る 56
人生,喜んで生きる   三村 隆範

 そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
 たとえ胸の傷が痛んでも

 何の為に生まれて 何をして生きるのか
 答えられないなんて そんなのは嫌だ!

(アンパンマンのマーチ  作詞 やなせたかし)

 「生きているだけで嬉しいんだ。」と思えるようになると,それで究極です。
 ある日,この世に居ると私は気がついた。
 何かをしようと思ってこの世にやって来たのではない。気がついたらこの世に居た。

 何をしようとして生きているのか?
 そんなの決まっているじゃないか。
 嬉しいんだ。喜びだ。喜んで生きていたいのだ。

 しかし,人間が生きている間には,色々な事に遭遇する。喜べる事もあれば,苦しむ事に出会う事もある。喜んでばかりいられない。
 ところが,その時イエスキリストが現れ,「幸いなるかな」と人類を諭した。
 これらのことを話したのは,わたしの喜びがあなたがたの内にあり,あなたがたの喜びが満たされるためである。 ヨハネ福音書 15章11節

 しかし,
 『あなたたちは聞くには聞くが,決して理解せず,見るには見るが,決して認めない。』 マタイ福音書 13章 14節
 と書かれるように,人間は,自分考えを標準,基準として判断するので,自分の基準に合わなければ,不可。合えば可とするので,その人に幸・不幸が現れる。人間は,宇宙自然の中に生きず,自分の井戸の中で生きてしまう。自分の気に入らない事が起こると,その事に合わせられないから苦しくなってしまう。
 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は,新たに生まれなければ,神の国を見ることはできない。」 ヨハネ福音書3章 3節

 自分に合わそうとすると喜びは無くなり,
 神,自然に合わせると,いつも喜べる。

 幸せに暮らす人とは,仕合せをたくさん感じる事のできる人であり,神,自然に合わす人の喜びは,大きく,永遠に広がり続くのです。