忌部 ( いんべ ) 雑考(その5)   三木 信夫

 忌部の祖神天太玉命は,新選姓氏禄(=815年古代氏族の系譜集成)によると高皇産霊神(たかみむすひのかみ)の娘,栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)の子で,高皇産霊神の孫にあたるとある。古語拾遺も同様である。この太玉命の名は,天つ神として「宗教上の司祭者的職業を表わす(西宮一民・古語拾遺補注)」とあり,天孫降臨時の五伴緒神(いつともおのかみ)の内の一神である。
 古事記には「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)」は独神(ひとりがみ)であるとあり,これは性別が生ずる以前の神であろう。
 古語拾遺は「高皇産霊神は皇親神留伎命(すめむつかむろきのみこと)で,神産巣日神は皇親神留弥命(すめむつかむろみのみこと)」であると。カムロキ(=男神)は天つ神であり,カムロミ(=女神)は国つ神で,忌部伝来の祝詞(のりと)には「カムロキ・カムロミのみこと」の名で称えられており,中臣祝詞も同様である。

温かいビールにしますかそれとも冷たいビール?
                     天羽 達郎

 何じゃいこれ!? 温かいビール?
 これは上海のレストランでビールを注文すると,こう聞かれるそうだ。中国では冷蔵庫が入ってくる前にビールが持ち込まれた。西洋人が旨そうに飲んでいるのできっと旨いにちがいないと,真夏の最中にでもそのまま飲んだ。暑い気温のなかで栓を抜くと,シュパーッと泡が吹き出してきてほとんど中身がなくなってしまう。それを平気で飲んでいる。時代が下り冷蔵庫が普及して今の冷たいのが飲めるようになった。こっちの方が断然旨いので,温かいのは市場から消えてなくなるはずなのに今でも出回っている。弟が今上海に居る。この温かいビールを飲んでみたが飲めたもんじゃないという。それでも彼らは飲んでいる。
 弟によると中国では「何でもありい」で日本の常識では考えられないことをするそうだ。食の考えもそうだ。日本では素材の味を生かした料理をするが,彼の地ではいろんなものをごてごて加えて,如何に自分の身に安全か体に良いか精力がつくかを考えて料理をする。いわゆる医食同源の考えだ。聞くところによると,中国では食材にしろ水にしろ見た目にはきれいでも寄生虫がいっぱい居るので,胡麻油などで熱を加えないと寄生虫にやられてしまう。しかも野菜でもなんでも虫が食っているものの方が美味しいと考える。美味しいから虫がつくのだという。白菜の漬物のようなものもあるがそのまま食べることはなく,鍋物の具に使うのだそうだ。
 「温かいビールにしますかそれとも冷たいビール?」と聞かれたら「常温で良い」と答えた人がいた。「常温?」。その人は東北地方(旧満州)の出身だった。そこは大変寒い地方で冷蔵庫の中より家の外の方が温度が低い所なのだ。そこの常温だ。(^_^)

紛失            サイトウ シゲジ

ある日 仕事帰りの車の中で
自分をなくしてしまった
あわてて捜してみたのだが後の祭りだった

あれからわたしの毎日は
何の意味もなくなった
今日が昨日で
過去は未来となった
時間の流れが自分の中でずれて
約束はしても意味がなかった

子ども達はわたしのことを父と呼んだが
わたしは妻の子どもだった
父は幼く
わたしに金をせびった
もしかすると母を産んだのは
わたしかもしれなかった

眠りは深く
目覚めるといつも記憶を失っていた
夢の中の出来事が
わたしの日常だった
夢と現実に境界はなく
あったとしても意味はなかった

ある日 仕事帰りの車の中で
自分をなくしてしまった
あわてて捜してみたのだが後の祭りだった

生夷神社 ゑびす祭に参加して
      香具山地区十二社宮司 橘 豊咲

 先日,生夷神社の夏祭に助勤として奉仕させていただき感動を覚えました。
 御配慮の程有難く,小生,体の動ける間,参拝を続けたく思っております。
 来年早々,歳旦祭,祈年祭,斎行後は何時でも馳せ参じます。
 貴殿には,ご自愛の上,ご活躍を願っています。
 尚,電話でご応対された方によろしくお伝えください。
 先は右簡略ながらお禮を申し述べます。

七月六日   敬具

昔むかし       琴江 由良之介

 牛岐城址の公園で,天神まつりの,光のオブジェの据え付けをやっている。やたら長いタケをしこたま運んできて,この暑いさ中に市民グループが例によって何やらやっているナとながめるともつかずにながめていたら,そのうち,ギゼーのピラミッドを上方に引き延ばしたような,はたまた,法隆寺の五重塔みたいな,大層安定感のある四角錐が立ち上がってきた。
 ふた昔,いや,すでに半世紀も前か,ここは,町民のいこいの場として,かの「遊山箱」をぶら下げて出かけていくとこだった。東京オリンピックがあった辺りからすっかり忘れ去られていたが,「光の街」の取り組みで復活して,あらためてアナンのヘソに戻ったみたい。
 散髪屋と八百屋の間を刺さり込んでいくと,胸突き八丁の石段になって,ほどなくてっぺんへと行き着く。この路地が,駅前から延々と延びている商店街の一部の,せいぜい二百メートル足らずの町内にあって,子供らの縄張りをまっ二つに画していた。その西と東では遊ぶ相手がちがう。
 編集長兄は,その別の方の仲間だった。