遠いホームベース   川口 千恵

 高一になってやっと念願叶って,あこがれの野球部に入部する事が出来た孫が居ます。本人も今まで何の経験もない野球部。バットの大きさ,グローブの大きさ,靴,ユニフォームに必要なものすべて何もわからない。友達が皆選んでくれて,グローブの手入れの仕方から一つ一つ教えてもらったとの事。ボール投げ,ボール打ちの野球が出来る事を本当に心の底から嬉しそうだった。親父と甲子園へ何度も通い細かく折々に熱く語っていた事が,相当に助かっているらしい。「今まで本当に野球をやった事ないのか? よく知っている」と言われるそうだ。練習の話をしてくれた。おかしくて腹をかかえて笑ってしまう。この間も練習試合でサウスポーで投げ2人のフォアボール。次はゴロを打たれて降板。ヒットを打つと代走が出た。滑り込みもまだうまくない。それでも本人はもう甲子園を目指しているというから実に頼もしい。スポーツクラブというものは本当に良いものですね。言葉遣い,動作に節度等,まだ3ヶ月なのに大きく成長したなと皆さんに感謝し,次の出会いを楽しみにしつつ熱い応援をしに甲子園へは行くつもりです。

ありがとうございます      石渡 修司

 「『ありがとう』は」と母からよく言われたものだ。人に何かをしてもらったら,必ず「ありがとう」を言う,習慣になるまでさせられた。
 子どもは正直だから,嬉しくもない,ありがたくもないのに,「ありがとう」と言うのは嫌なものだ。それでも,言わされる。しかし,そうまでしてでも,「ありがとう」と言うことの大切さを母親の世代の人たちは知っていたのだろう。
 母親の世代は,小学校を終えたところで,いわゆる奉公に出なければならなかった。他人さまの食事をいただくようになる。そのために辛いことも我慢しなければならなかった。仕事のきつさよりも人間関係の辛さに泣いたことであろう。それは,今もなお人間関係での悩みは尽きないし,昔以上に難しくなっている。昔の人の方が,今の私たちより,人が善かったように思う。欲深でない人が多かったように思われて仕方がない。こんなにものが豊かになったのに,どうして欲深くなってしまったのだろう。イエス・キリストの言う「貧しい者は幸いです」(ルカ福音書6:20)は本当だ。
 母たちは,その人間関係を上手にやり過ごす知恵として,この「ありがとう」という言葉を使った。「ありがとうございます」と言われて,嬉しくない人はいないからだ。「ふんっ」と鼻であしらわれたとしても,あと味の悪さは残らない。「ありがとう」は,言われた者を喜ばせるばかりでなく,それを言った者にも喜びをもたらす。ありがたくなくても,「ありがとう」と言った途端に,心が変えられている。
 もっと「ありがとう」を言おう。私自身,そして私を取り囲む人たちも変えられていくことだろう。母の残してくれた一つの無形の財産である。
 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」テサロニケ? 5:16-18

びっくり         石渡 路子

 今年の梅雨明けは,例年より十日も早かったそうです。でも,カラ梅雨でなくて,たっぷり雨も降りました。そのおかげで,牧師館の裏庭の畑はとても元気なのです。野菜もそうですが,草も一緒になって育っています。きゅうりもトマトも次々になってくれます。採りに行きたいのですが,蚊が凄いので困っています。一,二匹ならいいのですが,数えきれないほどの集団で襲ってきます。どれだけ,防護していても,刺されてしまいます。それで,つい一日,二日と日を開けてしまって,見に行きますと,もうびっくりするような大きなきゅうりになっています。夏の日の暑さをしのぐように,大きな葉の陰で育っていきますので,見えないのです。こんな大きなきゅうり,町のスーパーでも見たことがありません。すべてが驚きです。野菜たちは何時まで,楽しませてくれるのでしょうか。暑さに負けず,育っていく野菜たちを応援し,自然のおいしさを心ゆくまで味わわせてもらうつもりです。それにしても,蚊だけは困ったものです。
 「愛する人たち,自分で復讐せず,神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること,わたしが報復する』と主は言われると,書いてあります」ローマ12:19

日々大きくなるトゥルシー      坂本 恵子

 前回,トゥルシーというお茶の葉ができる種の作文を書きました。少しずつ大きくなっていますので,今の写真を載せたいと思います。
 とっても小さくてカワイイ芽です。たまらないです。もっともっと大きくなったら,プランターに入れ替えて育てていきます。植物の成長は早いです。目で見て毎日大きくなっていくのが楽しいです。
 植物もいいですが,私は鳥も大スキです。
 ジャンボセキセイインコという大型のインコを飼いました。この子の写真も載せます。まだ赤ちゃんですが…大きい鳥ってとってもカワイイですよ?

職場のオープンデーを迎えて     松林 幸二郎

 「今月は,シモン君の起こした暴力事件がたった一件だったよ。昨日の僕との殴り合いだけ。1月は11件もあったのに…」グループホームの若い職場のリーダーが私に言いました。「それで,初めに手を出したのはどっちなの?」こういった冗談がでるほど,ここ一ヶ月あまりに職場の雰囲気が和やかになったのは,決して偶然ではありませんでした。
 アブラハムに倣って,新しい職場がどこにあるか,そこに何が待ち受けているか全く知らずに,昨年の6月,私たちは新しく作られたグループホーム(Wohngemeinschaft)で働き始めました。そこには,知恵おくれに加え,精神的にも深い傷を負う5人のティーンエイジャーが私たちを待っていました。初めから殴る噛むといった職員への暴行が絶えず,6ヶ月の間に,4人もの若い職員が去っていくという職場で,私たちは正直いつまで働きが続けられるのか,全く,確信は持てませんでした。
 私たちが,彼らとは祖父母ほどの年齢差があって,どれほどシモンたちが攻撃的になっても,腕白坊主に接するがごとく,暴力で力の優位を示すことをしなかったということもあるでしょうが,通勤前,今日一日,必要な愛と忍耐と知恵をくださいとの祈りに主が応え,私たちを守ってくださったものと感謝しています。そして,6月,このグループホームは満一周年を迎えました。いままで,どの施設にも居場所がなかったティーンエイジャーの,私が指導する工房で生み出された,手透き紙や織物,木工品などの手工芸品がオープンデーで展示され,訪れた大勢の人の関心を引きました。賞賛の中で,はにかんだ笑顔をみせるティーンエイジャーの姿を見て,主の導きはいつも正しいと,改めて主を賛美したものでした。
 神のなされることは皆その時にかなって美しい。伝道の書3:11