私の妻は,昨年72才を迎えました。その年の暮の事です。左肺に癌が発見されました。色々と検査が進みますと,お腹の中央に悪性リンパ腫がある事も分かりました。
そこで先ず,治療に当たる病院を選ばなければと思いました。色々と情報を調べて見ると,T医大が癌治療では指折りの中に入る事を知りました。K主治医にお願いして,T病院にかかる事になりました。その間の貴重な時間が流れておりました。
2月4日,朝起きて来た妻は,首が痛いと訴えておりました。私は4年前の脛骨の手術の事でありましたので,軽く考えておりました。昼過ぎに腰が痛み出して立つ事も出来なくなりました。急ぎT病院に入院の手続きを取ると,翌日,幸いにも入院が出来ました。
2つの癌を目の前にして,私の心は動揺しておりました。家内の死を覚悟しなければならないと思ったり,助かるものなら助けたい思いで夜も寝られませんでした。人生の74年間,全ての問題をいつも二人三脚で来ておりました。どの様な困難も苦しみも,共にと云う人生観で来ました。しかし,今は風前の灯火であり,心細い毎日が続いて来ました。そうして第一に精神伝統におすがりする事が大切と思い,モラロジー事務所をたずねました。翌日,娘の娚が来て下さり,経済的にはなにも心配をせぬ様に云って帰りました。又娘も,又妻の妹も来て下さり,其の後は,現在も協力を頂いて来ております。その他にも身の回りの人々の協力は,今も続いております。
検査に次ぐ検査の日が流れました。一ヶ月后に悪性リンパ腫は,濾胞性リンパ腫と診断され治療の順序が決まりました。先ず,肺癌の治療の放射線治療に入りましたのが2月末日でした。3月の8日に放射線技師から「成功しました」と云われて,初めて安心を得ました。
次に悪性濾胞性リンパ腫の治療はM病院でする事に決まりました。3月9日に移動を致しました。主治医は,T医大出の先輩での先生に決まりました。一冊の本を先生から勧められ,濾胞性のリンパ腫がどの様な種類のものかそれなりに知る事が出来ました。その様な事から主治医に全てを安心してお願いする事が出来ました。CTの検査に入って担当主任が,第一発見のM先生であり,色々と励ましの言葉をかけられて嬉しく思いました。診断の結果,T主治医の指示で6回に渡って抗癌剤の治療に入る事になりました。癌の病が生活習慣病であるならば,3月11日の東日本大震災は,大自然の災害は,防ぎ様もない,人類の災難でしょうか! テレビで災害の有様を知って,どんな苦しみも頑張らなければと,親から頂いた命であると,励ましのエールを頂いた思いでした。
第一回の抗癌剤の治療は此の様にして始まりました。家内の生死を決する苦しい時間が流れて行きました。3週間后第2回目の治療が始まり,同じ様な苦しみの連続でした。
3回目から痛みの様子が変わって来ました。4回目が終わり,梅雨入りをして,少々楽になったのを機に,家へ帰ってみました。安心した事から,食べた物から感染症にかかり,ノロウイルスが多発して苦しみ,急ぎ入院してから,主治医の対応が早かった事から無事に5回目に入る事が出来ました。6回目は7月25日に予定しております。家内も次第と良く成って来ている事が,目に見えて安心しております。
問題を二人三脚で乗越える心は,モラロジーの教えの賜と感謝しております。その恩恵は,多くの人々,周囲の先人先輩からの賜から成り立って来ている事を知ります。
今回,心より「有難う御座居ます」の感謝の心を次世代に引き継いで行く事が,7月21日22日に始まるセミナーの講習会であります。講演は万世育成のお手伝いをする事にもなっております。少しでも感謝の心でありがとう御座居ますと心から云え,皆様方の幸せを願う事が出来る様,心より思っております。