はじめまして       本村 表

 徳島のみなさん,はじめまして。本村表(モトムラヒョウ)と申します。
 ドクターエンドーで青汁と出会えて,本当に良かったと思っております。野菜不足の毎日から卒業です。そして,三村社長,平さんとの出会いも大切にしていき,これから出会うみなさんとの出会いも大切にしていきます。第二の故郷が徳島県となるように,徳島のことを日々学んでいます。
 どうぞよろしくお願いします。

 出身地:沖縄県  南風原 ( ハエバル )
 出身校:首里高校―日本大学
 特技:野球
 好きな食べ物:沖縄そば
 好きな飲み物:青汁

履けた靴         川口 千恵

 足の小指にタコが出来て本当に痛い。以前手術をしたがこれが痛くて,つい病院へ行くのがおっくうになっていた。とうとう履ける靴が一足だけになってしまった。放っておいて絶対に良くなっていかないものである。考えた末に知り合いの薬局へ行き症状を診てもらう。すすめられる薬を買って帰った。効果はないだろうと思いつつも何とか効いてくれと祈る気持ちで貼り替をくり返した。その度に肥厚した皮膚が薄くなっていくのが本当に嬉しかった。正装をしなくてはいけない日にきちんとした靴が履けた事に感動した。日頃の当たり前がどれ程すばらしい事か。神に感謝。

四国横断道 徳島東―阿南   芝山 靖二

 8月23日の徳島新聞3面に,徳島東―阿南間で中田,江田地区のほんの少しの区間を残すだけで後の区間は設計協議で合意したとある。小松島―阿南間は完了,新那賀川橋(仮称)も出来あがった。立江トンネル(仮称)も見には行ってないが出来あがっているのだろう。
 今年,日亜化学が早期完成にと,10億円寄付をした。この道が完成して阿南インターが出来ると,このインターに上がると日本全国南は鹿児島北は北海道まで,信号なしの高架ばかりで,目的地のインターまで行ける。
 定年後キャンピングカーでも買って日本全国回りたいと思っている私にとって大変有り難い。私のこの年ではとても間に合わないと思っていたが,ひょっとして,少しの間,間に合うかもしれない。元気でいればつかえるかも知れない。
 今から工事が少しずつ進んで行くのを見るのが楽しみである。

ゑびす神社神賑奉納行事を観て
       天香具山十二社宮司 橘 豊咲

 天候も良く,大勢の参拝者,参列者が見守る中,厳粛裡に次第の通り祭典斎行後,拝殿前右側特設舞台にて,阿波人形浄瑠璃の保存会の男女数名の出演があって,感銘を受けました。引き続き亜熱帯植物の大樹の下で,阿波踊りの参拝者全員に依る,平服姿の奉仕があり,大和の ( はふり ) も狭い範囲内で,踊っているつもりで参加しましたが,手真似足真似で初めての体験でした。兎にも角にも楽しい一時で,神人一体,氏子であれ,観光に見えた方も,この祝事に熱中することが,突然参加の人達の無上の喜びと感動を覚えた事と思います。何人かの熟達された男女の方々が,模範になる阿波踊りを見せて,例えようもない楽しい雰囲気で,ぼんやりしている見物人は見当たらず,流石本場の踊りだと改めて感動を覚えました。世知辛い時代故,一時的に何も考えずに踊ることは,阿波国の諸般の事を想い出す度に,大和の香具山地域に神縁のあったことを老祀職として阿波古事記研究会の諸氏との交流のお陰と思って私が恍惚境に入るまで印象に残る事と思います。
 生甲斐を支えるには,文通のみの交流では無く,老若男女の知己になった人と,半年,一年会えなくとも何か心に通じるものがあります。 傘寿 ( さんじゅ ) を過ぎても,身体の動ける間,下手な 竜笛 ( りゅうてき ) を吹奏したり, 直会 ( なおらい ) の席上胸襟を開いて語り合うのも,長生きの方法の一つと思います。今度勝浦町の雛人形の館内で,判り易い口語体の 祝詞 ( のりと ) で,参萬とも言える程の雛人形に, 暫時 ( ざんじ ) でも向い合って過ごしたい気持ちがあります。結局人は,傘寿以後の ( よわい ) になれば,和やかな気持ちで,各社の氏子の人等と接していきたいと思っております。初めてお参りできた天の元山立岩神社の開元祭当日の不思議な現象は,古代の神霊が,能登一ノ宮の十三代目の祀職を,その当日まで見守って,雷鳴の鳴り物で迎えて下さったものと,受け止めて考えられます。

出会いと縁結び     近藤 隆二

  永冶千冬 ( ながやちふゆ ) 先生の著書「心づくりの旅」P96に人生の本質とは「出会い」と「学び」と「感謝・感動」であり,事業の経営あるいは商売の本質は「人と人との出会い」「縁結び」であると考えています。徳川家の剣術指南役である柳生家の家訓に「小才は縁に出会って縁に気づかず,中才は縁に気づいて縁を生かさず,大才は袖すり合うた縁をも生かす。」という言葉があります。このようにお互いのよき出会い,人と人とのご縁を大切に生かし,共に学び合い,感謝し合えるということは,まことにすばらしいことではないでしょうか。「賢者は愚者から学び,愚者は賢者からも学ばない」という言葉がありますが,人間は謙虚な心で学ぶところにこそ進歩があります。」と書かれています。
 私は昭和37年7月に急性盲腸炎の手術をして無事に助かり8月に母の勤めにより,モラロジー青年連続講演会を受講してモラロジーとのご縁が出来ました。母は妹婿に勧められてご縁が出来,義叔父(母の義弟)は母の父(祖父)から勧められました。先輩よりモラロジーは偶然に聞けるものでなく必ず先祖の余徳によってご縁が出来て聞けるようになる。子孫が聞けるようになる為には私達親が陰徳を積んで徳の貯蓄をしておかないと子孫はご縁がなくなることを教えて下さいました。
 精神伝統と深く縁を結び,最高道徳を日々実行していくよう精進致します。