息子の運動会は驚きの連続!?
               澤田 織世

 10月に息子の運動会がありました。
 今年で運動会用のお弁当を作るのは3度目。今年は,おかず作りを失敗しないように前もって練習をしました。これによって作る時間や準備の仕方が分かりました。本番当日の朝,例年よりスムーズにお弁当作りは進み,初めて開会式に間に合いました。料理が得意ではない私でも,家族のためなら頑張れるのだなと感じました。
 お弁当作りは無事に終了し,次は息子の応援です。
 競技が始まると,主人も私もビデオやカメラの撮影で必死。子どもの競技をゆっくりと見てあげているのは,おじいちゃんとおばあちゃんでした。
 カメラの小さな画面から息子の姿を追う私の目の前で,驚くような光景が次々に起こりました。いつも服を着替えるのが遅い息子がサッカーの服をスッポリ。ボールをシュートし,そのままゴールかと思いきやゴールテープの横を通過。またすぐに戻って来てやっとゴール。「んん?今1番だった?」と驚く私。
 次は,リレー競技。本番前,「ぼくが本気で走らなくてもさくら組はいつも1番だよ。今日もゆっくり走った」と,情けないことを話していた息子。しかし,またしても奇跡が起こりました。笑顔で周りをきょろきょろしながら走る息子は,友達を抜きトップに。
 息子は,本番に強いタイプだったのか?それとも強運の持ち主なのか??なんという親孝行なことをしてくれたのでしょう。
 マーチングでは,白い衣装を身にまとい立派な姿で登場。ピシッとした迫力のあるガードの演技は格好良かったです。
 主人は,仮装競技でミッキーマウスに変身。
 幼稚園最後の運動会は,家族みんながめいっぱい楽しみ,思い出深い1日となりました。

運動会,がんばりました
文・絵  幼稚園 年長組 澤田 優志

 今年の運動会は,走るのが全部1番でした。
 始めにしたのは,サッカーの服を着て,ボールを蹴ってゴールする競技です。ピストルを撃つ人が「パーン」と撃ってから走りました。服を早く着ることができたので良かったです。
 リレーでは,ぼくのチームが優勝しました。ぼくは始め2番だったけど,女の子を抜いて1番になりました。みんなが走っている時,「がんばれ!がんばれ!」と手を叩きながら応援しました。
 今度は,マーチングの話です。ぼくは,ガードの旗がかっこいいのでガードを選びました。他にも,ドラムメジャーやシンセ,大太鼓や小太鼓とかがあります。ガードは難しかったですが,友達が分からない時に教えてあげました。
 練習の時,走るのは3番くらいでしたが,本番では全部1番でおもしろかったです。運動会の前に,公園でママと一緒に「よーいどん」の練習をして良かったです。線から出ないとか,足と手は反対の方を出すとか,体重を前にかけるとかを練習しました。
 運動会は,楽しかったです。

人間も大自然の恩恵の中に生かされている。
                    山田 章

 昨年の事です。広域神社の祭りの当家が廻って来ていたのを引き受けるべきか迷っていたが,させて頂く事とした。それも,「本当家」を受ける事とした。
 9月10日午後1時,当家祓いを行いました。
 其の後,氏子の家を70軒程廻った。「お札」の申し込みを頂けたのが17軒であった。非常に気になった。
 先日,感謝の集いの当番発表に,M先輩が。昨今の世の中の情勢で気になることとして,次の様な事を並べていた。
(1)自殺者が13年連続で毎年3万人を超す。
(2)離婚率が高くなり,3組に1組が離れている。
(3)平均初婚年齢が毎年上って来ている。(例)平成20年には男子30.2歳,女子28歳と。
(4)独居世帯が平成23年は31.2%とある。独居高齢者が平成17年は7.9%で,平成35年には14.7%と予想されている。家庭内独居が増えて来ている。無縁社会の現実,無縁死=身元不明の自殺,生き倒れ,餓死,凍死が1年に3万2千人と云う。
(5)消えた高齢者。100歳以上は戸籍上23万人が生存状態にある。直葬,遺体引き取り拒否。
 他者を思いやる心の欠如,絆の途切れた社会,家族の絆,地域の絆,心の絆の崩壊を考えると,今回の秋祭りに気付かせて頂く事,人間社会も,神宇宙での出来事の一部と考えて互敬の心を持って恩に報ゆる心を,身近な所から育てて行きたいものです。

               橋本 純平

聖書の読書会に参加して   橋本 節子

 今日もどこからともなく金木犀の香りが漂って来ました。この一瞬とても幸せだと感謝し,思わず神様に“ありがとうございます!”と手を合わせて……。
 こんな感謝の念で一称になれるようになったのも,毎月の聖書の読書会で学ばせていただいたお陰です。今まで何げなく,ごくごく当たり前だと愚かに過ごしていた日々が恥ずかしいです。
 でも,これからは,すべての事に感謝し,常に喜んでいようと思えるように変わって来ました。