愛宕社の災禍の謎
      香具山地区十四社宮司 橘 豊咲

 「波阿波」毎号の編集は大変な仕事と思います。睡眠不足にならない様に願って居ります。第20号に私の投稿が間に合わず,御配慮ありがたく感謝しています。
 9月8日生まれの81歳です。7月28日愛宕社の災禍の事は,宮司として念頭から忘れる事ができません。

  愛宕社 ( あたごしゃ ) の 神見そなはす  御垣内 ( みかきうち )
    倒木の ( まが )  無き様祈る

 吉野山  山塊 ( さんかい ) 続き 香具の山    溶岩流の 堆積の謎

 15年前(平成8年5月下旬より),森本氏(健在)発言。
 太古の昔, 多武峰 ( とうのみね ) (六百数十メートル)の 御破裂山 ( おはれつやま ) 談山 ( たんざん ) 神社本殿上)の噴火で,溶岩流が堆積して冷却,結果として推測してみる。
 溶岩流は斜面の深い所と浅い所に一様に埋まっても,後世になり試掘もしていないので,亜熱帯の植物の苗を植え,溶岩の薄い所は木々の根が浅く不安定で,台風でも竜巻でもない不可解な謎ですね。

青石の考古学(4)
   (徳島大学埋蔵文化財調査室)中村 豊

4.青石製石器その後
 やがて,石器の消滅と鉄器の普及によって,青石の利用法は大きく変化を遂げることとなる。石器の生産停止以降は,おもに土木作業の材料として役割をはたしていく。古墳時代の代表例は,竪穴式石槨・横穴式石室や葺石の石材である。ほかにも,組合式石棺や住居の根石としてもちいられている。
 古墳の消滅する古代以降は,水利関連遺構,城郭の石垣や屋敷地の塀のほか水路の護岸,棚田や段々畑など傾斜地を平坦に造成する手段といった,土木技術として活用されてきた。さらには,板碑に代表される記念碑の石材や庭園・鑑賞用の庭石としても利用されている。
 これらをみると,おおむね弥生時代後期から古墳時代前期にかけて,段階を踏んで鉄器が普及する過程で,おもに利器としての利用から,土木資材や鑑賞用としての機能へと変貌をとげてこんにちにいたる。

古事記を学習し始めて   陶久 大樹

 ここ近年,古事記を読むようになりました。今まで知らなかったことを知るということは,良い事だと思う瞬間がありました。それは地元のお祭りでお神輿を担ぐことになったのですが,お神輿を担ぐ前に神主さんが祝詞を読みます。
つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはら〜
 としっかり聞くことができました。小さいころは「何を唱えてるんや?」と全く理解できなかったのですが,学習したことによりその祝詞が聞き取れ,さらに意味も感じれることができました。イザナギやイザナミ,スサノオ・ツクヨミ・アマテラス…神話に登場する神々が生き生きと頭の中で浮かび上がってきました。感動,といえば大げさですが嬉しかったです。
 何かを知る,学習するということはどこかで人生を豊かにしてくれると教えてくれました。これからも,少しずつですが「古事記」の学習をしていき,またその他のことにもチャレンジしようと思ったお祭りでした。神様,ありがとうございました。

本(元)につながる    近藤 隆二

 先日,ご飯を炊く為,お米を洗って炊飯ジャーに仕掛けてスイッチを押したがONにならない。おかしいなと持って調べていたら,一番本のコンセントがはずれていた。電気が通っていないのでスイッチが入らない訳である。この事で思い出したことがある。
 昔,アフリカの未開人が日本へ来て,水道の蛇口をひねると水が出るので,これは便利であると思ってお土産に蛇口を持って帰りたいと言ったという,笑い話みたいなことを思い出した。
 未開人は蛇口から水が出るのは配管が水道管につながり,そこが水源地までつながっているから蛇口をひねったら水が出ることを知らないので,蛇口を買ったら水が出ると思っている。
 電気もコンセントへ差し込めば配線を伝って電線へ,そして送電線が発電所へつながっているから,電気が流れてくる。
 電気も水道も本である発電所や水源地につながっているので,電気も水も流れてくるのです。
 人間の実生活も本である神様や仏様,ご先祖,聖人,宗教の教祖,勤務先の社長,メーカー,卸元,問屋等につながっていてこそ,私達の生活が成り立っていることを法学博士廣池千九郎先生から学びました。
 特に一番身近な両親やご先祖につながって報告,連絡,相談をしてご安心をしていただくことが,自分自身の安心につながることを教えて頂きました。

発想は「はずみ」    天田 弘之

 年が増えて豊かになるのは もの忘れ ( ・・・・ ) だ。けれど歳をとったからこそ思いついたというすばらしい発想や発見をすることがある。具体的な実例は省くが,それは,私の若い頃からの問いであった。確に存在する筈なのにわからないものとなっていた。
 私が七十歳を過ぎた頃にある災害がきっかけとなって現物を手にした時に心の奥にあった「問い」が,何かのはずみに触発され一晩中問い続けて探したあげくついに解明した。神仏が私にのり移った感がして「ああっ」と思わず声が出た。もう明け方だった。一つわかればその次へと新たな発想・発見の連続だった。その時,発想・発見は「はずみ」だと感じた。動輪は動いていてはずみが生まれる。問いを持ち続けることの大切さを知った。

香川県の豊島に行ってきました  御堂 孝

 昨年は香川県で開かれた7つの島で開かれた瀬戸内国際芸術祭で男木島に行ってきましたが,今年は豊島に行きました。豊島は産業廃棄物で全国的に有名になりましたが,今は芸術の島として有名です。島に上陸して驚いたのですが,沢山の人が作品を観に訪れているということです。平日に行ったのですが,一緒に行った友人と「休日の東新町より観光客が多いな」と笑いあいました。外国人や若い人たちはレンタルの電気自転車で急な坂道をスイスイと走りまわっていました。
 豊島は小豆島に次ぐ大きな島で芸術作品も多くありましたが,私が今回皆さんにお知らせしたい作品が2つあります。
 1つは昼食に入った「島キッチン」です。建物と周囲の庭自身芸術としてフランスから賞を得たものですが,地元のお母さんと丸の内ホテルのシェフが協力して,そこにいるすべての人が会話と食事を楽しめる笑顔溢れる場所となっています。メニューも島の何を使って作っているかを説明してもらえ,本当に美味しい食事を頂きました。
 2つ目は今回の大きな目的である「豊島美術館」です。内藤礼の水を使った作品「母型」を展示しています。建物は西沢立衛の設計によるもので,一滴の水のような形をしており,柱が一本もないコンクリート・シェル構造で出来ております。美術館の内容をお知らせしようと思ったのですが,私自身思っていた現実との差に驚きましたので,ここではあえて前触れなしに皆さんに体験して頂きたく紙面には触れないように致します。
 島としては珍しい段々の水田や懐かしさを覚える島独特の風景の中で心に語りかけてくる作品の数々が,訪れた人々の心を開放し,母なる海に抱かれた地域と人の縁を結びつけるような豊島の旅でした。