忌部 ( いんべ ) 雑考(その9)    三木 信夫

 古語拾遺に依ると忌部氏は,古代において中臣氏と並ぶ大族であったという。その当時の氏族制度にすこし触れてみたい。本来この氏族制度とは,父方母方を含め共通の祖先を認め合う事に依って連帯感を持つ血縁集団を云うのであるが,日本の氏族は,単なる血縁集団ではなく,政治的従属関係の非血縁関係を含む集団であり,本格的な氏族に根差したものではなかった。通常は氏族への帰属に依って,居住・協力関係・婚姻・地位継承・財産相続などが規制を受ける社会体制をいい,これらの氏族を構成する社会制度を氏族制度という。
 ヤマト王権が出来て地域の豪族達が束ねられ大和朝廷へとなると,この古代豪族に朝廷がそれぞれの氏族の有力者に対して,政治的社会的地位を示す為に与えた世襲の尊称が「姓(かばね)」である。大和朝廷の支配強化に伴い,「姓」の与奪権を持つようになるのである。しかしこの氏族制度も後に家単位が主体となり自然消滅するのである。

徳島城はなぜ小さい   天羽 達郎

 四国の城では高知城,松山城などは堂々として立派なものだ。それに比べて徳島城は極めて小さい。なぜか。高知では長宗我部の残党,一領具足の強力な抵抗勢力が残っていた。それに対抗するために巨大な威圧的なものを構築する必要があった。そして彼らを弾圧した。だまし討ちもやった。お城の完成祝いに殿の御前で相撲大会をやるといい70ヵ村に触れを出し力士を募った。土佐は相撲の好きな土地柄だ。力士には村の庄屋クラスが付き添ってきた。それを一斉に磔の刑にした。その恨みに一領具足が浦戸に集結し決起しようとした。が,裏切りが出て通報され皆殺しに逢った。ここに長宗我部は完全に滅んだ。
 一方阿波の国は長宗我部の兵火に蹂躙されすでに疲弊しきっていた。対抗する勢力など無いに等しく微々たるものだった。それで威圧的大きな城を作る必要がなかった。
 蜂須賀家は一宮に築城してからしばらく様子を見ていた。そして今の場所に城を作った。眉山頂上から見た吉野川と目の前に見える山との景色が気にいったらしい。山とは今の城山のことだ。藩主家政公は漢文の素養があった。シナ大陸には渭水という川があり,そのほとりから胡地へ旅立つ友人を見送るために作った詩,「渭城の朝雨軽塵を (うるお)す」で始まる惜別の歌がある。藩主はそれを知っていた。そして吉野川をその渭水に見立てて,自分の城のことは渭城と呼んだ。今も福島あたり城山の東を渭東地区,助任あたりから北側を渭北地区と呼んでいる。眉山を渭山ともいった。この土地はもともと渭ノ津(づ)と呼ばれていたので,こういう発想になったのかも知れないが,この広大なデルタの名を徳島と改めた。徳は美称だ。何という文化の香り高い所だろう。そしてお城の完成祝いには町の人が殿の御前で阿波踊りを踊ったという。土佐とは大違いだ。

疲れる          サイトウ シゲジ

疲れていると人に言ったところで何になるだろう
ゆうべも人のいないところで泣いていた
ところで 泣くことに意味があるだろうか
自分を憐れむことに意味があるだろうか
答えはたぶんないということになるだろう
話はそれで決まった
この道を行くには要らないものを捨てて行かねばならない
頭はいい方だと自分で思っているが
人はそう思っていないことが多い
おもちゃのピアノで君が代を弾く
おもちゃの兵隊が海を渡り戦争に勝ってきた
名前はないが墓だけはある
親不孝な子供にはなりたくなくて
石の名前だけはつけてほしくない
あんな乾燥したざらざらのベッドでゆっくり眠ることは出来ない
爆弾が破裂した後で水をかけても遅すぎる
歩くたびに喋らなければならない
予感のようなものがあって
旗はいつも持ち帰られて一度も海を渡ったことがない
だから我慢するのはやめた方がいい
ただし事が起こった後で騒ぐのは気が引ける
どんなにきちんとしたお部屋でも意味があるとは限らないのだ
本人がいないのに全てが決まっていて
僕は本当に
泣き出していた

                 中村 修

『かもだ岬温泉』イベントに参加しました! 陶久 大樹

 10月29日,阿南市の蒲生田岬の手前にある船瀬温泉が『かもだ岬温泉』に名称変更になりました。その記念イベントに参加してきました。しかも,劇団多家良塚の団員として! 特別講演「かもだ岬にワニが飛ぶって?」にオオナムジ役で参加させていただきました。この講演にむけて毎週渋野小学校で木曜日の夜七時から練習してまいりました。本当に手作り・手探りの繰り返しでしたがとても楽しく参加させていただきました。
 「賑わい創出」という言葉がまちづくりの現場ではよく叫ばれます。なにかイベントする,人がくる,賑わいが生まれる,ええじゃないか。ということなのですが,このかもだ岬のイベントもとても賑わっていたように思います。しかし,それを継続させるのが難しい。イベントが一過性のものになりどうしても定着しない・・・かといって歳々イベントばかりもできないし,たまにするからイベントの特別感がでるのであり・・・学生時代はそんな禅問答を繰り返していました。
 でも,やったら楽しいからどんどんやったらいいんじゃん。というのが今の気持ちです。参加するのもいいけど,企画して運営するのもまた面白みがあるのがイベント。これからもいろんなイベントに顔を出させていただきますのでよろしくお願いします。あと,新しくなったといっても名称が変更されただけですが,是非風光明媚な岬めぐりを楽しみつつかもだ岬温泉にもお越し下さい。