忌部 ( いんべ ) 雑考(その11) 三木 信夫

 古語拾遺での天地 開闢 ( かいびゃく ) は,日本書紀を要約したようなもので簡単に書かれているが,古事記神代編の天地開闢は,天つ神による国土創生の物語として,混沌(=カオス)の中から全てのものを造りだしてゆく生命力に満ち溢れた様子が描かれている。

 神代編自体は,生と死,愛憎,さまざまな災厄,性の葛藤など諸々の事が描かれており,現代のロマンにも通じるものがある。

 古事記の神々は,聖書の様な神の力を誇示する事や峻厳さを感じさせない為に,当時の人々は神々に対して親しみを感じていたのであろう。生活の中で自然と渾然一体化した生命感から,自然と共存しあらゆる自然を神とした日本独自の思想がうまれ,更に「木の文化」が育ってきたのではないだろうか。

 今年は古事記編纂1300年にあたり,あらためて読み直してみたいものである。

免疫ってなに?(その2)天羽 達郎

 1度かかったら2度とその病気にはかからないのは,抗原に対する抗体ができたからです。抗体とは外界から侵入した非自己的物質すなわち抗原(この場合は病原菌)に対して免疫性,すなわちこれを排除あるいは中和する作用,を有するタンパク質のことをいいます。これが人体にプラスに働く場合をその病気に対して免疫ができたといいます。マイナスに働く場合があります。1度目はよかったが2度目にはじんま疹がでたりひどい場合は低血圧呼吸困難うっかりすると死ぬという場合です。これをアナフィラキシーショックと呼びます。抗生物質を使うと時々これが起こります。抗生物質はタンパク質ですが,ある感染性疾患に使って病気は治したが,抗生物質を抗原とした抗体ができてしまい,間を置いてもう1回使うとショックとなるというやつです。抗原は病原菌とは限りません。外部から侵入する微生物,有害な異物,異種タンパク(例えば抗生物質),あるいは自己の生体内に生じた異常物質,老廃物なども抗原となり得ます。すべて自分自身のタンパクすなわち自己とは違うもの,非自己的物質がそうです。免疫ができるのもアナフィラキシーになるのもメカニズムは同じで,これを抗原抗体反応あるいは免疫応答ともいいます。抗生物質の出現以前から血清療法というものがあります。ワクチンの応用編と考えていいでしょう。ジフテリア毒素を抗原としてウマに感作したウマ抗血清をジフテリアにかかったヒトに移入し毒素を中和する療法です。ジフテリアは治りましたがウマの血清を抗原とする抗体ができてしまい,ウマの血清成分を含む製剤は2度と使えません。例えばマムシ抗血清,破傷風抗血清などはそうです。アナフィラキシーが起こってしまいます。以下次号。

電話            サイトウ シゲジ

風の音が ぼくときみを遠ざけている

ぼくは何もしていないのに

ひっきりなしに電話がかかる

でてみると相手はだまったまんま

手をひろげてみても

きみは信じてはくれない

だからもう夜なんかこないかもしれないと思ってきた

誰もが自分に電話をかけている

そんなに心配なら

はやくおうちに帰りなよと言われて

ますますぼくは不安になってきた

ところで今夜はいい男がラウンジでうたっている

ぼくとみまちがえている訳じゃないだろうね

近くにいるから会えないんだ

二人でいると

考えていることが手に取るようにわかるんだから

風の音が ぼくときみを遠ざけている

ぼくは何もしていないのに

ひっきりなしに電話がかかる

狭っくるしい部屋だよここは

ここにはきみとぼくしかいない

逃げ出すのならいまのうちかもしれない

電話じゃちょっと遅すぎるって思うんだ

カルチャー・ショック(1)               天田 弘之

 昨年暮れより製作中の鍛金銅壷の均し打ちにはいる。工房に入ると自分の世界で,槌の音も楽しくて気がつけばまたたく間に二〜三時間が過ぎている。手を休ませながら一息いれる。壁に掛けている退官記念展で撮った恩師高橋武先生の写真を見ていると,四〇年前の記憶が蘇ってきた。生れて初めて見る鍛金の銀製の加飾(彫金)した壷である。その時,カルチャーショックとも言える何とも言いようのない震えるような感動を味わったことを思い出す。徳大を卒業して十六年後のことであった。神技のような作品を拝見して先生が神々しく見えた。東京芸大金工(彫金)科ご卒業でいつもさっそうとしておられた。

 この機会に私が鍛金にとりつかれた動機について前後のことを自分のために整理してみたいと思う。

 私が感心して興味を持ったのは,一枚の金属板が金槌一本でどうして壷のような形になるのかという点であった。考える程わからなくなった。(つづく)

Osamu no e-nikki  中村 修