きずな        琴江 由良之介

 3.11の揺り戻しは,年末から年始にかけて,相次いで押し寄せてきた。

 岩手の旧知は,あの二日後にお父さんを亡くしたという。

 山合いの町なので,家がつぶれたか?

 気仙沼出身の元同僚からは,伯父さんの訃報が……津波か?

 年が明けて,県都・フクシマ在住の後輩からは,えぐられた新興住宅街の山腹に青いビニールシートがかぶせられてあるワンショットをあしらった年賀が届いた。

 十日がたって,今度は,原発事故のすぐ隣の町に住む昔の仲間に,届くことを念じつつも,半信半疑で出してあった,その返事がきた。

 しかるべく転送されたのだろう,さっそく,その現在地宛の,便箋をひろげる。

 折節ことばを交わしていた人たち……酔って意気投合した連中……ほかにも,まだいるんだろうナ,と思う。

辰年に願いを込めて   陶久 大樹

 あけましておめでとうございます。

 昨年は大地震・大洪水など悲しい出来事が多かったですが,今年は新しい光に向けて前進できればと思います。日本全体として,そして僕自身も。

 辰という干支,龍・ドラゴンと強く発展を意味しそうな今年。自分自身で目標を込めてみました。

立つ・・・大きく立つ,自分自身を成長させる

絶つ・・・悪しき習慣を辞める。深酒や寝坊など

断つ・・・断捨離,いらない物を買わずに出費を抑える

建つ・・・こじつけですが,建築物を見に行く。お寺や神社。

龍竜・・・上昇気流にのり,龍のごとく飛躍

達つ・・・上記の目標を達成するため

起つ・・・今日から出来ることを小さな事でも

発つ・・・一念発起で取り組む

 壮大です。全部出来なくともどれか一つでも自分自身に磨きをかけられるようにしたいですね。

 それでは今年も一年,笑顔と元気が溢れますように。よろしくお願いします。

Happy X'mas 2011’  長井 宏一

 2011年12月24日クリスマスイヴ…この日は,クリスマス寒波到来で,底冷えのする寒い一日でしたが,アミコデッキ前であった,クリスマスイベントを見に行きました。ご当地アイドルのフランチェスカさん,石焼いも子さん,徳島に住みます芸人!キャンパスボーイさん,女子大学生お笑い芸人セカンドストーリーさん,などなど……徳島のイベントではおなじみの皆さんが,ステージに登場して,楽しい時間を過ごしました。

 日も暮れて,ラストのバンド演奏がはじまる頃には,みぞれまじりの雨が降り出しました。

 ロマンティックなホワイトクリスマスにはならなかったですが,徳島で頑張っている皆さんのステージを見て,心が温かくなり,ハッピーなクリスマスでした。

40年ぶりの南米  松林 幸二郎

 「コージとハイディは,いつコロンビアに来るのかい?」2000年にコロンビア人の妻マリアセシリアとポパヤンに移住し,自らコーヒー園を営みながら,最高品質のコーヒーを他より5割近い価格で買い上げることにより貧しいインディオを支援する“プロジェクト”を立ち上げ,その推進のために毎年スイスに還るハイディの弟のハンスルエディは,大好物の日本食を口にしながら尋ねたものでした。いつの間にかそう問う事を止めた義弟が,「ホームページにビデオを入れたいのだが…」という彼の願いを叶えるためと同時にハイディの“還暦祝い”にと思い切って“犯罪と麻薬の国”としてのイメージの強いコロンビアに10月末から行くことにしました。

 初めの2週間はポパヤンに住む義弟の家を拠点に,100km東(ひどい悪路で車で4時間かけて!)の谷間にある,プロジェクトに参加する,美しい大自然のなかの貧しいインディオの家族を2日間に渡って訪れ,彼らの質素極まりない生活を直に見る体験は得難いものでした。そして想像していたものと異なって,実に簡素な生活に満足し,コロンビアの地にすっかり根をおろして生きる義弟夫婦の姿に感動し,私たちに出来る事は何でもしようという気持ちにさせられました。外国からの観光客がまず足を運ぶことのない秘境と呼んでよい地や,雪の舞う4650mのプラセ火山に,薄い大気に喘ぎ喘ぎ死ぬ思いで登山した経験も,忘れられない思い出となりました。

 南米は,私にとってリュック一つで半年間一人旅をして以来40年ぶりの青春の思い出の滲んだ,ハイディにとっては初めて“夢が現実”になった土地です。ペルーには数多いマチュピチュなどの世界遺産では観光客で溢れ還りすっかり様変わりしていたものの,変化に富む雄大な大自然やそこに住むインディオの貧しい暮らしぶりは変わる事なく現代にいたっていました。この想像を絶する貧困と高失業率は犯罪を生む温床となり,特にスラムの広がる都市部では決して気が抜けないのが,悲しいかなラテンアメリカの現実です。

 コロンビアでは,ほとんどを義弟妹と行動を共にしていたお陰で遭わなかった犯罪ですが,リマでは着いた翌日比較的安全とされる新市街ミラフローレスの海岸への小道でピストルとナイフで武装した2人組に襲われました。ハイディの叫びと,高校時代していた私の“空手”に恐れをなした犯人は,幸いにも逃走してくれたものの,一つ誤れば命を落とす肝を冷やした一瞬でした。そんな経験にも拘らず,ペルーは数多く訪れた国々のなかでも,最も印象深い,忘れられない国となりました。

わが内なる阿波記(その2)
― 自然界には法則あり     門田 良實

 終戦前後生れの物理を志す者なら大抵お世話になったことがある「理論物理学教程」の著者の一人が旧ソ連の理論物理学者ランダウである。彼は粛清の嵐荒れ狂う真只中,スターリンを平然と批判した廉で投獄されるが,彼の才能を惜しむ輩(おそらくスターリンもその一人)の働きもあって一年で出獄し,その後自動車事故で研究者生命が絶たれるまで,と云うより研究者生命を失ってからも,世界に比類のない理論物理の研究者として敬愛され続けた。

 このランダウが今世紀の有名な物理学者たちをランク付けしたことがある。うろ覚えで恐縮だが,ハイゼンベルグのような著名な研究者でも1.5流,ランダウ自身は2流以下と非常に厳しいものだけど,そんな彼が躊躇うことなく一流としたのがアインシュタインただ一人だった。アインシュタインの研究は彼がノーベル賞を受賞した光電効果の研究から彼を一躍有名にした特殊相対性理論や一般相対性理論の研究まで非常に多岐に亘っている。

 その彼の一般相対性理論によれば,光の道筋は重力による時空の歪みでも曲がることから,その理論の正当性を検証するため,1919年皆既日食時の太陽を掠める星光の観測隊が編成されたことがある。その時アインシュタインは「もしこの観測により,私の理論の正当性が否定されるようなら,自分はそんな自然界には興味がないので,今後物理の研究はやめる」と云ったと聞く。そして予測通りの観測結果が得られた時には,「世の中で最も不思議なことは,自然が自分の思った通りになっているということだ」と語っている。大概の物理学者なら,自分の理論に反する実験事実が突き付けられるとすぐ引き下がるのに,アインシュタインだけはそのような実験結果をもたらす自然に対してさえ物申しかねず,ランダウはそんな彼に驚き魅せられて,彼だけを“一流”としたのであろう。

 とまあ見てきたかのように書いていますが,本当に彼らがそう言ったり考えたりしたのかと問い詰められると,それほど自信はありません。ただ,これまで仕事の合間に見聞き読んだりしたことが数十年かけて私の脳髄の中で醸し出すようになったので,今ではそれらの出処や出典も定かでなく,勘違いや間違いもあるかと思いますが,「わが内なる記」に免じてお許し下さい。