自身の人生観について

        天香具山神社宮司 橘 豊咲

 万物の霊長として,人間は北半球南半球の何処かの国に生を受けて, ( おびただ ) しい数で各々の人種が,合縁機縁で環境の異なる中,喜怒哀楽の中で,希望を ( ) って生きていて,運次第で短命長命で各自営みを続けています。春夏秋冬の異なる時季で日本列島で生息しています。無意味で一日々々何となく暮している訳では無く,各自それなりに生息に執着することが,生甲斐と言うことで,結局神仏に帰依することにつながるのではと考える 所以 ( ゆえん ) です。能登一ノ宮の鎮守の十三代目として,兄に替って,社家として,実際に無名無実の侭神主として,五十有余年卿関を出て 傘寿 ( さんじゅ ) ( よわ ) い過ぎても,大和の一人の神主として生き ( なが ) らえて来ましたが,金儲けのできる仕事を選ばずに人生の終局に近づいたことで,神明奉仕することも自問自答で決めました。

 昨年九月に入ってから,体調の思わしく無いことが判っておりました。結局,何回か検査を繰り返して,12月12日に結腸横行の重病で,大和郡山市内の社会保険病院に入院,当月14日夜までに,消化器外科の医師に依り執刀しましたが,麻酔の感覚が無く,数時間の睡魔におそわれた訳です。覚醒後,天井を眺めて「ああ」自分は生きていたのかと感動しました。

 22日の退院前日,入院中の支出の金子の盗難に遭いましたが,命との引替えと思ったら気持ちが楽になり,希望を持つことができました。

 今後,阿波古事記研究会主催の祭典行事の有る月日には万障繰り合わせて,祭典奉仕の補佐として出席致し度,その折,東大阪市東石切町鎮座の, 石切劔箭 ( いしきりつるぎや ) 神社に,共に奉仕を勤めた造田哲也氏(40代)の年令で,自家用車で便乗の約束をしていますが,笛の名手で, 伶人 ( れいじん ) の都合で代役もできますので心強いです。出身は堺市になりますが,現在(一昨年春から)奈良県吉野郡丹生川上村の,丹生川上神社の下社の神職として在籍,現在奈良県の葛城市に住居しています。

 尚ヒナの館の祭典行事の折は,造田氏に車の便乗の依頼を考えて居ります。

 末筆ですが,阿波古事記研究会の発展及び,会の皆様,ご関係の皆様のご健康とご多幸を,天香具山々麓鎮座の,2月3日の祈年祭の折ご祈念申し上げる次第です。

東北の旅で学んだこと  澤田 織世

 お正月に,突然「明日、東北に行こう」と主人が話し,驚きましたが行くなら今しかないと思い,車で15時間かけて鳥取から宮城まで行きました。

 気仙沼は,がれきの撤去がほとんど済み,予想していたより皆さんが住みやすいようになっていました。

 しかし,場所によって町の様子は随分と違いました。

 車を走らせていると,電信柱の横にとても大きな船がありました。その船を眺めながら,こんなに大きな船が本当に流されたのかと思いました。船の周辺は,家がほとんど無く,床下のコンクリートだけが残されていました。ここに住んでいた人達は,皆どこに行ったのだろう。テレビで見ていたあの状況が,ここで本当にあったのだと様々なことを想像しました。

 商店街には「復興支援村」という場所があり,お店を無くした人達が仮設の店舗で飲食店を開いていました。そこで昼食をし,お店の人達とふれあうことができました。

 お店の人達,そして宿泊したホテルの人達もみんな笑顔でとても親切でした。東北の人達の優しい雰囲気は,鳥取の人達にも少し似ているなと感じました。

 町のあちらこちらに「がんばろう気仙沼」,「がんばろう日本」の言葉が掲げられていました。

 東北に行って様々な事を感じました。たくさんの人達の支援のこころにより町が少しずつ復興していること。それによりたくさんの人達が感謝のこころをもち笑顔を取り戻していること。そして東北の皆さんが今なお困難な状況の中で力強く生きようとしていること。

 私が東北の皆さんにしてあげられる事は,ほんの少しかもしれませんが、まずは自分の周りで困っている人がいたら声を掛け,手助けをするということを今後も続けていこうと心に強く感じました。そして,この旅で学んだ事を忘れずに,子ども達に伝えていこうと思いました。

長安口ダムを訪ねて               石渡 修司

 「長安口」,中国にありそうな地名だ。長期にわたって雨が降らず,水源の貯水量が心配されると,必ず,この「長安口ダム」と「早明浦ダム」が新聞紙面に出てくる。しかし,長いあいだ,両方の地名を,私は読むことができなかった。

 「ながやすぐち」と「さめうら」と読むと知った。地元の人しか読めそうもない。それだけに,一体どういうところだろうかと興味があった。そして,ついに長安口ダムに行ってみた。

 徳島市内から国道55号で鷲敷に向かって進み,国道195号に移り,ひたすら走ること,約3時間,長安口ダムに着いた。ダム管理事務所の看板に見学可能の表示があったので,12時を過ぎていたが,声をかけてみた。すると,職員の方が休憩時間中にもかかわらず,案内してくださることになった。職員の方が,資料館(ビーバー館)から案内してくださった。パンフレットに小さな単眼望遠鏡まで付けて,渡してくださった。展示をつかって,全体を把握したうえで,現場に案内してくれた。ダム本体の上から放流口,下の川(那賀川)を覗き込む,職員の方と一緒だからできることだ。

 これだけの水量をこのダムで堰きとめる。その水圧は大変なものだろうと想像した。続いて,ダム本体内にある点検通路に移動した。円階段を降りていった。踊り場に出た。そこから,直線階段で点検通路まで更に降りていくのだが,見学者は,この踊り場までとのことだった。それでも,水面レベルまで,降りているとのことだった。常時,水圧が掛かり,漏水もあるとのことだった。

 ここに土木技術の成果を見た。人間のたくましさを知った。それでも,そこには大自然と協調しようとする姿勢を感じた。もはや自然の中に溶け込む一つの風景になっていたからである。

 「助言者が多ければ,安全である」箴言11:14

寒いから,咲き続ける花               石渡 路子

 寒さが厳しくなるにつれ,春の暖かさが待ち遠しく感じられます。「小春日和」という言葉を実感できるとき,なんて素敵な表現をしたものかと,感心させられます。季節感を益々失いつつあるわたしたちです,それだけに昔の人々の季節に対する細やかな感性に驚かされます。

 梅が咲き,桃が咲き,桜が咲くにしたがって,野の花も咲きだします。やはり,花にとっては,暖かさが必要なのだと思っていました。

 それだけに,冬のさなかに咲く,水仙や山茶花(さざんか)の花を見るたびに,寒さに耐え,よくがんばっている,けなげな花たちだと思っていました。

 ところが,ある人から,「冬に咲く花は,寒いから咲くことができ,そして寒いから咲き続けることができる」ということを聞かされ,目が開かされる思いがしました。

 寒さに耐えて,咲いているのではなく,寒さを味わい,楽しんでいる花たちなのだと知って,改めて,感動しました。

 わたしたちも日々の歩み,人生で,毎日が穏やかな一日でありますようにと,祈っています。きっと,それはそれでよいことなのでしょう。しかし,冬の寒さのような,厳しい,そして緊張するときがあってもいいのでしょう。そのようなときにしか味わえない経験ができるからです。

 寒いから咲き続けることができる花たちと知って,冬の寒さもけっして悪いものではないと思えるようになりました。この花たちが咲き続けることができるよう,もう少し,この寒さが続いてもいいかなと思っています。

 「氷と寒さよ,主を賛美し,代々にたたえ,あがめよ」ダニエル書補遺46

東京古事記研究会

      東京古事記研究会 室伏 聖司

 東京古事記研究会のmixiページを今年の元旦に作りました。出来る事をやりながら,今年も“続けて”行きますので,宜しくお願いします。三村さんには,いつもパワーを貰い,後押しして貰ってます。ありがとうございます!