一、宿泊
 昨日の夕方、同じサークルの嵐慈(らんじ)が智津雄(ちずお)の家に泊まりたいと言ってきた。急なことだったので智津雄は最初、断ろうとしたのだが嵐慈の一言で気が変わり、泊めてあげることにした。
 まわりの奴らには聞こえない程度に声を絞り、智津雄だけに聞こえるように言った嵐慈のその言葉は智津雄の気を変えるには十分すぎる一言だった。
 サークルが終わるのは午後八時。まだ終わるまで二時間はある。けれど八時まで待つ必要はない。智津雄は今すぐにでも家に帰りたいと思った。急にそわそわし始めた智津雄を見て嵐慈は、智津雄を軽くにらみつけた。
 「智津雄…あきらかに怪しい匂いを漂わせてるぞ…。ここは八時まで待って、いつも通り帰るふりをした方がいい…。俺はお前の家を知ってるし、別々に帰っても追いつける…。わかったな?急ぐ気持ちは分かるけど、今は我慢しろよ…。」
 嵐慈の声は静かだった。これでは周りの奴等にも何をしゃべっていたのか気付かれはしないだろう。
 智津雄は無言でうなずくと、何もなかったように別の話題を話し始めた。このまま無言でいることは逆に怪しまれるだろうと思い、智津雄なりに気を配ったつもりだった。
 しばらく雑談すると嵐慈は帰ると言いだした。みんなが「お疲れ〜」と言うと、嵐慈は帰って行った。
 それから数分後、智津雄の携帯が鳴った。画面には新メッセージあり、と表示されている。きっと嵐慈からのメールだろう。智津雄はボタンを押してメールを開いた。思ったとおり、それは嵐慈からだった。
 『八時になって、サークルの解散時間になったらいつもどおり帰るんだ。バスに乗って帰るんだろ?俺はそれまで時間を潰してるから、後でバス停に集合ってことで。んじゃ。』
 智津雄は『OK』と返信すると携帯をしまった。
 時計を見ると7時45分になっていた。あと15分で8時になる。自然と体が熱くなり、汗がにじみ出てくる感じがした。嵐慈に言われた手前、妙な仕草はできない。智津雄は気を紛らわせようと、先ほどから雑談している仲間の元に行って、無理矢理時間を潰すことにした。あと15分が異様に長く感じられた気がしてならなかった。
 他愛のない話しにうんざりしていた頃に、クラブ長の口から解散の言葉が出た。
 「お疲れさまでした〜!」
 元気はあるが、やる気のない挨拶が部屋に響いた。挨拶が終わるとまた騒がしくなった。
 飲み会に行こうと騒ぐ者、そそくさと帰る者、相変わらず下ネタを連発している者などもいたが、智津雄は目もくれず、「お疲れー」と言うと、荷物を持って急ぎ足で部屋を出ていった。
 8時5分…もうすでに嵐慈はバス停で待っている頃だろうか。智津雄はそんなことを考えながら、さらに急ぎ足でバス停に向かった。
 バス停は駅のすぐ近くにある。1〜8つに分けられていて、智津雄はいつも5番のバスに乗って帰宅している。この時間帯になると仕事帰りの人達が多いため、バス停には長い列ができている。
 嵐慈が早くバス停に並んでいて欲しいと思いつつ、智津雄がバス停に着くと、嵐慈が一番最初に並んで待っていた。
 「おう、智津雄。待ってたぜ。」軽く手を上げながら智津雄に気付いた嵐慈が言う。
 「わりぃな、少し遅れちまった。それよりさっきの話は本当だろうな?」
 「お前も疑い深い奴だなあ、智津雄。本当じゃなかったらお前んちに泊まらせてくれなんて言わねーよ。ほら、バスが来たぞ。」
 「お、おお…。」
 智津雄は嵐慈を疑っていたわけではないのだが、そう言わないと興奮が抑えきれないと思った。
 智津雄の家はバスに乗って8つめの座駆山(ざくざん)というバス停を降りて、数分歩いたところにある。バス停の近くにはコンビニや本屋、CD屋などがあり便利な所だ。
 智津雄と嵐慈はコンビニで夕飯を買い、今日のサークルでのことを話しながら智津雄の家に向かった。智津雄の家に着く頃にはもう9時をまわっていた。
 「しかし、相変わらずこの辺は静かだな。ちょっと歩いた所はコンビニとかあって賑やかなのにな。」
 嵐慈は靴を雑に脱いで部屋の中に入りながら言った。
 「まぁな、俺は静かな所が好きだからな。日当たりは悪いけど、夜はうるさくないからゆっくり寝れるしな。」
 そう言って荷物を降ろすと、ちらかったテーブルを少し綺麗にして、コンビニ弁当を広げた。
 智津雄に続いて嵐慈もコンビニ弁当を広げる。
 弁当を食べながら、智津雄はさっそく嵐慈に本題を持ち込んだ。
 「おい、嵐慈。早く例の奴を見せてくれよ。俺はもう待ちきれないぜ。」
 口をくちゃくちゃさせながら弁当を食べる智津雄に、少し嫌な感じを覚えたが、嵐慈はそのことには触れずに、
 「まあ待てよ、飯を食べ終わったらにしようぜ。そんなにあせらなくても逃げないからな。なんたって今日は俺、泊まるんだし。」
 「ん、まあそうだな。時間はまだあるし、楽しみは後に取っておくってのもいいしな。」
 そう言いながら智津雄はすでに半分以上弁当を平らげている。
 「早食いの奴は、早漏だっていう説があるんだぜ。もう少しゆっくり食べろよ。」
 嵐慈は少しインテリぶって智津雄にそんなことを言ってみた。しかし、思ったより智津雄の反応は薄く、「ふーん。」くらいの態度であった。


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