prayer

「なあ、蘭。このままあと30分待ってどこからも依頼が無いようだったら、久しぶりにドライブにでも行かないか?」
「いいわね。でも、あまり期待はしないでおくね」

最近はいつもこうやってかわされているような気がする。
でもまあ、それも仕方がないかもな。今までに事件だ何だと言って、守れなかった約束は数え切れないのだから。

長かった残暑もようやく陰りが見え始めた土曜日、時刻は午前11時30分。
前日から珍しく仕事が無かった俺は、読書の秋の名の如く、昨夜から久々の読書三昧という穏やかな時間を過ごしていた。今朝になって様子を見に来た蘭が、呆れるくらいの数の本を積み上げて。

一応、探偵としての営業時間は土曜日の午前中で終了、土曜の午後から日曜日にかけては休日ということにしてある。が、実際は、平日は大学に通っているから、週末にまとめて捜査に当たることがほとんどで。こうして土曜日の午前中にゆっくりと過ごすことはまず珍しいと言ってもいい。 だからというわけでもないのだろうが、案の定、そんな穏やかな時間が長く続くことは無くて……

< ピンポーン >

「ほらね」
そう言うと、蘭は得意げに、でもどこか寂しげな表情を浮かべ、いつものように玄関へと向かった。
けれど、今回の依頼人は今までとはちょっと違った。

「あのね、新一……」
「どうした? 依頼人だったんじゃないのか?」
「うん、それは、そうなんだけどね……」

蘭が言葉を濁したのにはそれなりの理由があったからで。

「お兄ちゃんが、たんていさんなの?」
「あ、ああ……」

年の頃は小学校に上がる前ってところだろうか?
目の前に現れたのは、パステルブルーのワンピースを身に纏った女の子。
彼女が依頼人らしい。

「たんていさんって、何でも探してくれる人なんでしょ?」
「まあ、そんな感じだけど」
「だったら、お願い。ママを探して!」

彼女なりの必死のお願いなのだろう。
瞳からは大粒の涙が零れ、強く握り締められたその右手は小さく震えていた。
その姿は、まるで子供の頃の蘭を見るようで……

「新一……」
蘭が何を言おうとしたのかなんて、考える必要もなかった。
「ああ、そのつもりだよ」

俺が記憶している限り、彼女は最年少の依頼人。だからと言って、その依頼は決して子供ならではの、単純なものではないらしい。
とりあえずリビングのソファーに座らせ、俺も彼女の横に座り、詳しい事情を聞いてみることにした。

「ママを探して欲しいってのはわかったよ。でも、その前に、名前を聞いてもいいかな?」
「まなみ。倉沢まなみ」
「まなみちゃんだね。僕が工藤新一で、彼女は……」
「毛利蘭よ。よろしくね」
「う、うん」
「じゃあ、まなみちゃん。早速だけど、どうしてママを探して欲しいの?」
「3日前にうちを出て行っちゃったの……」
「そうだったのか……。それで、ママの名前は?」
「倉沢さえこ」
「さえこさんだね。そうだ、まなみちゃん、ママの写真とか持ってる?」
「うん、あるよ!」

そう言うと、背負っていた小さなリュックサックから、一枚の写真を取り出した。
ちょうど一週間前の日付で、大きなケーキを前に満面の笑みを浮かべるまなみちゃんと、まなみちゃんを優しく見守る母親の姿が映っていた。

「まなみちゃんのお誕生日の時の写真かな?」
「うん」
何と無しに写真の裏を見る。そこには、『愛海、6歳の誕生日』と書かれていた。
(やっぱり、小学生じゃなかったか……)

次の言葉に迷う俺の代わりに、ここに来て以来、愛海ちゃんがずっと握り締めていたそれについて、質問を投げかけたのは蘭だった。
「そのクジラさんのマスコット、すごく可愛いわね。ママの手作り?」
「うん。クジラさんはママと愛海の一番好きな動物なの」
「そっか。だから、このクジラさん、とっても優しい顔をしてるんだね」

いつもの蘭なら、決して依頼人との交渉中に口を挟んだりはしない。それどころか、滅多に同席もしない。けれど、今日はいつもとは違い、依頼人は6歳の女の子。俺ばかりが質問をするよりも、少しでも愛海ちゃんの緊張をほぐせればとの思いで質問したのだと思う。実際、ずっと緊張しっぱなしだった愛海ちゃんが、少しずつ笑顔を見せるようになる。
本人は決して俺の助手だとかそういった考えは無いはずだが、この辺りの臨機応変さに俺はいつも助けられているように思う。

「ところで、ここまで愛海ちゃん一人で来たの?」
「うん」
「よくこの家に探偵がいるってわかったね?」
「前にね、ママのお友達の家に行く時に、何回かこの家の前を通ったの。それで、その時にママが『ここにはすごい探偵さんが住んでるんだよ』って教えてくれたから」

愛海ちゃんのママがどういうつもりで俺を凄い探偵と言ったかはわからない。けど、少なくとも、今の愛海ちゃんには、俺がママを探してくれる救世主のように思ってるのは間違いないのだろう。

「じゃあ、愛海ちゃんのパパは今日は?」
「お仕事に行ったの。昨日までパパもずっとママを探してたんだけど、今日はどうしても休めないからって……」
「ねえ、もしかして愛海ちゃん、ここに来ること、パパには言ってないとか?」
「う、うん……」

おそらく、父親が仕事に行ってる隙に愛海ちゃんが勝手にここに訪ねてきたのだろう。そして、当の本人も、そんな自分の行動は良くないという認識があるらしく、
「だって、ママを見つけてあげなくっちゃ、パパが可哀想でしょ? それに、ママだって可哀想なんだもん!」
それは、彼女なりの言い訳であり、と同時に、彼女をここまで突き動かした真実の言葉のように俺には聞こえた。

「可哀想っか……、そうだよな。よし、わかった。愛海ちゃんのママはお兄ちゃんが探してあげるから。でもその前に、愛海ちゃんのパパにお兄ちゃんがママを探すことを許してもらわないとな?」
「うん!」
「パパは今日は仕事だって言ったよね。パパの仕事場はわかる?」
「水族館だよ」
「水族館って、南部水族館?」
「うん」
「じゃあ、今からパパのところに行こっか。ってわけで、蘭、予定とはかなり違ってしまったけど、蘭にも愛海ちゃんとのドライブに付き合って欲しいんだけど?」
「もちろん」

後部座席に座る蘭や愛海ちゃんの姿に、『念のため、ベスト型とかのチャイルドシートの1つや2つくらいは、この先の仕事のことも考えて用意しておいたほうが良いのかも』などと漠然と考えてるうちに、車は南部水族館に着く。時計の針は12時を大きく回っていた。

まずは、水族館入り口で係りの女性に取次ぎを頼んで待つこと数分、愛海ちゃんの父親は慌てた様子で俺たちの前に現れた。

「あ、パパーー!」
「愛海、どうして、お前がここに? それに、あなたたちは?」
「お仕事中にお邪魔してすみません。僕は工藤新一、探偵です。彼女は、僕の友人で毛利蘭。今日は愛海ちゃんの依頼で伺いました」
「依頼って、まさか、冴子のことで?」
「はい」
「そうですか……」
と力なく答えると、倉沢さんは水族館の併設された遊園地の休憩スペースに俺たちを案内した。

小規模ながらも子供たちが喜びそうな遊具が揃い、その上、土曜日ということもあり、遊園地は家族連れで賑わいを見せていた。
蘭は愛海ちゃんを連れ、俺たちの目の届くところにある土産店へと向かう。それは、愛海ちゃんに俺たちの会話を聞かれないようにとの配慮からだった。

「すみません。同僚たちの目もあって、こんなところでしか話せないもので……」
「いえ、お構いなく。それより、お仕事の方は大丈夫ですか?」
「ええまあ。昼休みの時間を早めてもらいましたら。それより、あなたはテレビとかにも出ているあの工藤新一君ですよね? 確か、殺人事件とかをよく解決されてる。そんな人が、どうして愛海の依頼だなんて?」
「愛海ちゃんが僕の家に訪ねてきてくれたんです。ママを探してと」
「愛海が一人でですか?」
「ええ。それだけ、愛海ちゃんは必死だったのだと思います」
「そうでしたか……」

倉沢さんは視線を愛海ちゃんの方に向け、苦笑いを浮かべた。
愛海ちゃんの話では、3日前に冴子さんは家を出たとのことだったから、おそらく、その日以来、ほとんど寝てないのだろう。目の下にはクマがはっきりと現れ、一目でわかるほど憔悴しきっていた。

「あ、すみません。名前も言いませんで。えーと、倉沢壮太です」
「あのー、早速ですが、僕は愛海ちゃんの依頼を受けたいと思ってます。と言いますか、単純に愛海ちゃんの力になってあげたいんです。奥さんを探すお手伝いをさせて頂いても宜しいでしょか?」
「そうして頂きたいのは山々なんですが、お恥ずかしい話、転職したばかりなので依頼料が……」
「ご心配には及びません。最初から依頼料は頂かないつもりでいましたし。僕はただ、愛海ちゃんの必死な思いに応えてあげたい、それだけですから」
「でも、それでは……」
「あんなに可愛い子のお願いを断るわけにはいかないですしね」
「どうもすみません……」
そこまで言うと、倉沢さんは深々と頭を下げた。

限られた休み時間を思い、倉沢さんから冴子さんの家出の経緯を要点を絞って聞きだしていく。
倉沢さんの話をまとめると、

・冴子さんは28歳で、倉沢さんより3歳年上。
・二人とも同じ施設で育ち、身内はいない。
・半年前、倉沢さんの転職を機に今の住所に引っ越してきてから、冴子さんには新しく友人が出来た様子は無く、一日のほとんどを、家で愛海ちゃんと二人きりで過ごしていた。
・冴子さんの家出のきっかけは、おそらく夫婦喧嘩。3日前、冴子さんがそろそろ仕事に出たいと言ったのに対し、倉沢さんが強く反対したことが原因とのこと。
・冴子さんが家を飛び出した翌日から、友人や知人に電話をしたり、心当たりのある場所に行ってもみたが、冴子さんの消息は掴めなかった。
・家に置いてあった現金や通帳の類は持ち出していない。荷物も必要最小限のものしか持ち出していない模様。

そして、最後に倉沢さんは今の思いを語った。

「今になって思えば、ここのところ冴子の笑顔を見ていなかったような気がします。きっと、友人も知り合いも誰もいない場所に引っ越してきて、ずっと心細かったのでしょう。そうとも知らず、俺は冴子の話をろくに聞いてやることもしなかった。俺しか、話す相手がいなかったというのに。言い訳にしかならないけど、早く仕事に慣れようと必死だったんです。子供の頃からずっと憧れていた仕事でもありましたし。冴子は俺のそんな気持ちを知っていたから、文句を言うことすらしませんでした。冴子は俺より年上だからって、変に意地を張るところがあって。それは、子供の頃からずっと変わらない癖だと、知っていたはずなのに……。自分たちに対する世間の冷たい風や刺すような空気の中でも、俺たちはずっと支えあってきたんです。嬉しいこともつらいことも、みんな分け合ってきたんです。それなのに、冴子が一人悩んでいるのに気付いてやれなかった。今はただ、冴子に謝りたい、それだけです……」

倉沢さんの言葉の一つ一つが、俺の胸に突き刺さる。
それは、とても他人事のようには思えず……

今までちゃんと蘭の本当の声を聞いていたのだろうか?
時より見せる寂しげな表情の奥に潜む思いをちゃんと感じでいたのだろうか?
俺は子供の頃からの夢に向かって今、一歩一歩前に進んでいる。
じゃあ、蘭は? 蘭の夢って? もしかしたら、俺の夢のために、蘭の夢を犠牲にしてはいないか?

――― 蘭にはもう2度と辛い思いはさせない
この言葉に、99%の自信は持てても、残りの1%の不安をどうしても消せずにいたから……

「神様がいるかどうかは僕にはわかりませんが、もし、本当に神様が人間を作ったのだとしたら、どうしてこうも男を不器用な生き物にしたのでしょうね。求める結果は同じなのに、そのプロセスはいつの間にか遠回りしていたり……」
「え?」
「あ、すみません。変なことを言ってしまって」
自分でも、なぜこんなことを言ってしまったのかわからなかった。

そのまま言葉に詰まり、何と無しに二人のいる土産店を見ると、ちょうど、蘭と目が合って。それが合図になったかのように、二人は俺たちの方へ足を向けた。

「話はもういいの?」
「ああ、大体は」
蘭が遠慮がちに確認したのは、きっと俺が浮かない顔をしていたからだろう。
横で倉沢さんに抱きつくようにして甘える愛海ちゃんの姿に、俺も蘭も何も言わずにそのまま見入っていた。

「あのー、倉沢さん、変なことをお聞きするようなんですけど、お昼ご飯はまだですよね?」
「あ、はい」
「愛海ちゃんに何か食べさせたいんですけど?」
「それならあるよ!」
と倉沢さんが答えるよりも先に、愛海ちゃんはリュックサックから2つの銀色の丸い包みを取り出した。それは、倉沢さんが作ったと思われる、野球ボール大の決して形が良いとは言えないおむすび。

「普段、料理は全くしないものですから、こんなものしか作って上げられなくて……」
そう言って、倉沢さんは苦笑いを浮かべた。

「こんなに大きいの、愛海が2個も食べれるはず無いじゃない。ホントは、ママにあげようと思ってたんだけど……、でも、やっぱりパパに一つあげるね」
「愛海……」

「ねえ、新一。私たちもおにぎりでいいよね?」
「お、おう……」
「それじゃあ、何か飲み物も一緒に買ってくるから。愛海ちゃんも一緒に行ってくれる?」
「うん」
こうして、一瞬、重苦しくなりかけた空気を元に戻したのは蘭だった。

「先ほどといい、今といい、本当に良く気が利く彼女ですよね。お二人は付き合ってどれくらいなんですか?」
「え?」
「ただの友達ってことはないですよね?」
「ええまあ……、2年近くですかね、ちゃんと彼女と呼べるようになったのは。ただ、元々幼なじみで、それこそ赤ん坊の頃からの付き合いだったんですが……」
「なるほど。それで、納得しました」
「え?」
「いえね、お二人の仲がやけに自然だったものですから。俺と冴子もついこの間まではそうだったはずなんですけどね……」
「失礼なことを聞くようですけど、倉沢さんと奥さんは今までに思うように会えなかったり、それどころか、連絡が取れなかったこととかありますか?」
「いいえ」
「僕たちはあるんです。僕の不注意が原因で半年ほどですが……。その半年で僕たちは色々と学んだんです。相手に対する本当の想いや、お互いの存在がどれだけ必要で、大切なものなのかといったことを含めて。その半年が無かったら、今のような僕たちは無かったかもしれません。生意気なことを言うようですが、きっと、奥さんもこの数日、倉沢さんや愛海ちゃんの存在の大切さを実感しているんじゃないでしょうか? 倉沢さんもそうでしょう?」
「ええ……」

ここまで言って、次の言葉に詰まってしまった。
けれど、それと反比例するかのように、何としても冴子さんを見つけ出さなくてはならないという思いがふつふつと湧いてくる。
――― この夫婦は決して別れることはない。今も昔も変わらずお互いを愛し続けている。
それだけは自信があった。
かつての自分たちと似ているような気がしてならなかったから。

その後、倉沢さんの残りの休憩時間を利用して、倉沢さん親子と俺たちは少し離れた場所で、急いで食事を取ることにした。その間に、蘭にも冴子さんや倉沢さんの基本情報は伝えておきたかったからなのだが。

そして、最後にお互いの携帯の番号を交換して、俺たちは南部水族館を後にした。
倉沢さんは、俺たちの姿が見えなくなるまで深々と頭を下げたままだった。

「ねえ、新一。これから、どうするの?」
いつもなら、すぐ隣から聞こえてくるはずの声が今日は斜め後からで。それが何だか妙にくすぐったい感じがしていた。

「ああ。今まだそこにいるかどうかはわからないが、冴子さんが向かった場所なら心当たりはあるんだ」
「え?」

俺の答えが思いがけないものだったらしく、ルームミラー越しに見る蘭はきょとんとした表情で、それが何とも可愛くて。後部座席に座る蘭と愛海ちゃんの姿を見ていると、あと何年か先には同じような光景が見れるんじゃないかなどと、思わず想像してしまう。
我ながらこの状況でそんな想像は不謹慎だと思い、思考回路を探偵モードに無理矢理戻した。

「でも、倉沢さんが心当たりのある場所には直接行ったり電話して、もう確認済みなんだよね?」
「例えばだぞ? 俺と蘭が大喧嘩して、蘭がどこかに身を隠すとしたら、一番手っ取り早いのは園子んちだよな?」
「う、うん」
「あとは、おばさんのところか、大穴で博士んちっていう可能性もあるだろうけど。まあいずれにしても、俺が電話して蘭はそこにいるか?って問い質したとしても、誰も正直に答えたりはしないんじゃねーか?」
「そっか! じゃあ、冴子さんも誰か信頼出来る人のところにいる可能性が高いってことね?」
「ああ、たぶんな。冴子さんが蘭と同じような考え方をする人だとしたら、一番心配を掛けたくない人には、必ず何らかのコンタクトを取るはずだから」
「でも、肝心のその信頼できる人がわからなくちゃ……」
「施設で二人が母親のように慕っていた人が、今、千葉県の市川に住んでるって言ってたから、おそらくそこじゃないかと思うんだ」

「それって、ひまわりのおばさんのこと?」

それまで、不思議そうに俺たちの会話を聞いていた愛海ちゃんが、見知った人が話題になってるとわかったのか、立ち上がって運転席の俺を覗き込んできた。 車はちょうど赤信号で止まっていた。

「愛海ちゃん、その人のことを知ってるの?」
「うん。愛海のお誕生日の次の日にも、ママと二人でひまわりのおばさんの家に遊びに行ったもん!」
「なるほどね。間違いないみてーだな」

目の前の信号が青へと変わる。
蘭に促された愛海ちゃんが後部座席に座るのを確認して、俺はゆっくりとアクセルペダルを踏み込む。
逸る気持ちを抑えるためなのか、愛海ちゃんの左手はしっかり蘭の右手を握っていた。

「ねえ、新一。何でひまわりのおばさんなの?」
「そいつは、施設の通称が『ひまわりの家』だったからだろうな」
「それでひまわりのおばさん、か」

「あのさ、愛海ちゃん」
「なーに、お兄ちゃん?」
「今からそのひまわりのおばさんのところに行くんだけど、もしかしたら、もうそこにはママはいないかもしれないんだ。でも、あまりがっかりしないで欲しい。そこに行けば、必ずママのいる場所がわかるはずだから」

愛海ちゃんにしてみれば、もうすぐママに会えるに違いないと思っていただけに、俺の言葉は相当なショックを受けたようで。泣くでもなく、混乱するでもなく、ただただ無表情で言葉を失っていた。

「大丈夫だから、愛海ちゃん。私からもお願い、新一を信じてあげて。新一のことはよーく知ってるけど、守れない約束をするような人じゃないから。必ず、愛海ちゃんのママを見つけてくれるから」
「ホントに?」
「うん。だよね、新一?」
「ああ。ちゃんと約束するよ」

今日何度目かわからないが、またもや蘭に助けられる。
いつもなら探偵の仕事を手伝わせようと思わないし、それどころか、出来るだけ関わらせたくないと思っているのだが、今日だけは蘭の手助けがあって良かったと思わずにはいられなかった。コナンだった時から、蘭の子供の扱いの上手さはよく知っていたというのに。

その後、市川に着くまで、蘭は愛海ちゃんの左手を離すことはなかった。

「え、どうして愛海ちゃんが?」

玄関のドアを開けたひまわりのおばさんこと、佐野さんが驚くのも無理はなかった。現れるはずのない愛海ちゃんと、見ず知らずの若者が二人、訪ねてきたのだから。
けれど、愛海ちゃんの問い掛けには心当たりがあるらしく、その表情を一気に強張らせていった。

「ねえ、おばさん。ママは? ママはどこ?」

とりあえず居間に通してもらい、簡単に自己紹介と事情を説明し、冴子さんの行方を問い質してみる。愛海ちゃんの必死のお願いもあって、数分後、佐野さんはようやく重たい口を開いた。

「すみません……、あなたがたがおっしゃるように、冴子ちゃんは確かに今朝までここにいました。ゴメンね、愛海ちゃん。あなたやあなたのお父さんに知らせなくて……」
「でも、それは、冴子さんや倉沢さんのことを思ってのことですよね?」
「ええまあ……。子供の頃から見てきましたから、あの二人の性格は良く知っているつもりです。冴子ちゃんは昔から本当に芯の強い子でした。その冴子ちゃんが3日前、私の前に現れた時には、信じられないほどに弱々しく変わっていたもので。冴子ちゃんに今一番必要なのは時間だと思ったんです……」
「そうでしたか……。ところで、その冴子さんは今どこに?」
「それが、私にも詳しくはわからないんです……」

「冴子さんが出て行ったのは、今朝のこととおっしゃいましたよね? それは、何時頃のことだか覚えていらっしゃいますか?」
「まだ朝食の前でしたから、6時を少し回った頃だと思います。冴子ちゃんは、昨夜のうちから今朝の朝食はいらないと言ってましたし」
「では、昨夜、冴子さんに変わった様子はありませんでしたか?」
「そうですね……、あ、そう言えば、昨日の夕食の時だったかしら、食べていた箸を止めて、しばらくの間、真剣にテレビに見入ってたんです。その時に確か、『クジラを見に行けば、答えが見つかるかな』と呟いてて……」
「すみません、そのテレビ番組はどういう内容だったか覚えていますか?」
「メキシコの海を紹介する番組でした。確か、そのテレビを見ながら、前にも同じような番組を見たことがあると言っていました。そうそう。その番組が終わってすぐに、冴子ちゃんはどこかに電話を掛けていました。多分、宿の予約と他にも何かの予約をしていたのだと思います。今日の日付や、一人です、というようなことを言ってましたから」
「なるほど……」

クジラ、メキシコ、宿以外の予約―――
(そうか! だから、冴子さんはクジラを!)

「突然の訪問で、本当に失礼しました。僕たちはこれから冴子さんを迎えに行こうと思います。おそらく、もうそろそろ冴子さんは答えを見つけ出してるはずですし」
「え? それじゃあ、新一、冴子さんの居場所が?」
「ああ。一応、行く前に確認は取るけど、まずあの場所で間違いないはず。愛海ちゃん、遅くなってゴメンな。でも、もうすぐママに会えるから」
「ホント? ホントに今度こそママに会えるの?」
「そうだよ」
「ありがとう、お兄ちゃん!」

そう言って、俺に抱き付いた愛海ちゃんの笑顔は、十数年前の蘭が同じように抱きついてきた時に見せたそれと同じだった。

秋分の日を過ぎてからは、何だか日没までの時間がやけに早くなったような気がする。つい1ヶ月ほど前ならまだ青空が広がっていた時間だというのに、車の左手に広がる水平線上から間もなく太陽が姿を消そうとしていた。

冴子さんが予約した旅館はわかった。
倉沢さんへの連絡も済ませた。
あとは、冴子さんに何をどう伝えるかで。
(やっぱ、愛海ちゃんのあの言葉は伝えておくべきだよな)

車が旅館に着く頃には、完全に星月夜に変わっていた。
旅館横の駐車場に車を停め、潮の香りの感じながら旅館へと向かう。愛海ちゃんは待ちきれないといった様子で、握っていた蘭の右手を強く引いていた。

「二人とも、ちょっと待った!」

俺が前を行く二人を止めたのは、もちろん、焦らすとかそういったことではなく、道路を挟んだ向こう側に、太平洋を一人望む女性の姿が目に入ったから。 暗闇の中だし、後ろ向きだから、その表情までは確認できない。
けれど、俺にはその女性が冴子さんに違いないという確信があった。

「倉沢冴子さんですよね?」
「え?」
振り向き様に月明かりに照らされたその顔は、紛れもなくあの写真の女性だった。

「ママーー!!」
「ま、愛海?」

今にも駆け出しそうな勢いの愛海ちゃんを、蘭が必死に止める。左手から車のヘッドライトが近付いていた。

「ママー、ママーー!!」

愛海ちゃんの必死の叫び声が数台の車のエンジン音にかき消され、冴子さんの姿も見えなくなる。僅か数十秒のことのはずなのに、何もかもがスローモーションに映っていた。

「愛海!!」
車が通り過ぎたの同時に、駆け寄ってきたのは冴子さんの方だった。その瞳には、溢れんばかりの涙が光っていた。

「ゴメンね、ゴメンね……」
ただただ愛娘を強く抱きしめるだけで、それ以上の言葉は続かない。
愛海ちゃんの小さな手は、しっかりと母親の服を握り締めていた。
俺と蘭はそんな二人を見守ることしか出来なかった。

「あ、あの、ゴメンなさい。えーと……、あなたたちが愛海を連れてきて下さったんですよね? 確か、あなたは探偵の……」
「はい、工藤新一です。彼女は僕の友人の」
「毛利蘭です。はじめまして」
「えーと、何だか頭が混乱してるんですけど……、あのー、どうしてあなたのような有名な方が愛海と?」
「愛海ちゃんから依頼を受けたんです。愛海ちゃんが僕の家を訪ねてきてくれたものですから。ママを探して欲しいと」
「え? 主人ではなく、愛海がですか?」
「はい。ちなみに、ご主人の倉沢さんにはちゃんと承諾を受けていますので、その点は心配なさらないで下さい」
「でも、どうして愛海が?」
「愛海ちゃん、僕にこう言ったんですよ。『パパもママも可哀想』だって」
「この子がそんなことを……」

冴子さんには俺のこの言葉は相当意外だったようで。そう、それが確信を付いた言葉だったから。

「あのー、生意気なことを言うようですけど、子供って大人が思っている以上に色々なことをわかってるし、気付いているものですよ。きっと、愛海ちゃんの目には、お二人が相当無理をなさってるように映っていたのではないでしょうか?」

遠慮がちに言った蘭の言葉は、子供の頃から喧嘩が絶えず、今尚、意地を張って別居を続けている両親を思ってのように俺には聞こえた。

「親が我が子の幸せを願うのと同じように、子供もまた親の幸せを願うものですから」
この言葉は、冴子さんにというよりは、蘭に確かめるための言葉だったのかもしれない。

「話は変わりますが、冴子さん、クジラの姿は見れましたか?」
「え?」
「今日、見に行かれたんですよね?」
「あ、はい。でも、どうしてそのことを?」
「先ほど、佐野さんからお話を伺ったものですから」
「そうでしたか……」
「で、クジラは?」
「ええ、ほんの一瞬でしたけど、確かに」
「それでしたら、もう大丈夫ですよね? あなたの幸せはすぐ目の前と教えられたようなものですから。今、ご主人がこちらに向かっています。素直な気持ちをぶつけてみて下さい。きっと、今のご主人なら、ちゃんと受け止めてくれますから」
「どうして、そこまで……」
「そ、それは、探偵の企業秘密ってことにしておいて下さい」

我ながら変なことを言ったよなあとは思う。冴子さんだけでなく、蘭ですらきょとんとした顔を浮かべた。だからといって、二人のことがかつての自分たちを見ているようだったからとは、到底言えるはずもない。

「ってわけだから、愛海ちゃん、俺たちとはここでお別れだよ」
と誤魔化し、愛海ちゃんと視線を合わせるようにしゃがむ。

「え、どうして?」
「ちゃんと約束を守っただろ?」
「でも……」
「もうすぐパパもここに来るから、今夜はうーんとパパとママに甘えてごらん。それと、また何か探して欲しいものがあったら、いつだって来てくれていいからね。ただし、今度はちゃんとママかパパと一緒に来ること」
「う、うん……」

最後に愛海ちゃんの頭を軽く撫でて。

「風ももう冷たいですし、どうぞお二人とも旅館に戻って下さい」
「でも、それでは……、お礼もまだだと言うのに……」
「宜しいですよ。僕たちはただ、愛海ちゃんの笑顔が見たかっただけですから。だよな、蘭?」
「うん」
「そういうわけですので、僕たちはこれで失礼します」
「そ、そうですか……、わかりました。では、後日、改めてお礼に伺います」

そう言って、頭を下げる冴子さんに、俺たちも軽く頭を下げてその場を後にする。ちょっと、無責任かもしれないけど、今のあの親子にはもう俺たちは必要ないように思えたから……

「ねえ、新一。どうして、冴子さんの居場所が銚子だってわかったの?」
「関東でホエールウォッチングが出来るのは銚子ぐらいだからな」
「でも、冴子さんはクジラを見に行くとだけしか言ってなかったんだよね? だったら普通、水族館とかじゃ……」
「水族館のクジラじゃ意味がないのさ」
「え?」
「あのさ、メキシコにバハ・カリフォニアってあるだろ? あの辺りでは、昔からクジラのことを神聖化してて、洋上でクジラを見ると幸せになれるって言われてるんだよ」
「それで、さっきあんなことを言ったんだ」
「たぶん、冴子さんもそのことを以前から知っていたんだと思う。愛海ちゃんのためにクジラのマスコットを作って持たせていたのも、愛海ちゃんの幸せを願ってのことだろうし」
「そっか……」

質問の答えには納得したはずなのに、なぜか隣に座る蘭の顔は何かを考えている様子で。そうなると俺も何だか運転に集中できず、少し広めの路側帯に車を停める。ガードレールの向こうはには漆黒の海が広がっていた。

「なーに、小難しい顔してんだ?」
「う、うん……、ちょっとね……」
「冴子さんが家を飛び出して、クジラを見に行った理由とか?」
「え? どうして?」
「顔にそう書いてあっから」
「何かズルイよね。新一はいつだって何もかもお見通しって感じだし」
「オメーだって、相当なもんだけどな」
「え?」
「あの二人だって、ちゃんとお互いのことをわかり合えてはいたはずさ。でも、お互いを知り尽くしているだけに、逆に余計な気を使ってお互い無理をしていたとしたら、それで、知らず知らずのうちに、冴子さんが疲れきってしまったとしたら……」
「それじゃあ、冴子さんは冷静に見つめ直す時間と、背中をそっと押してくれるきっかけが欲しくて」
「ああ、たぶん……」

俺たちだって、あの事件がなければ、同じようなことになっていたかもしれない。
あの事件で、お互い“真実の言葉”を伝えられずに苦しみ、どれだけ無理をし無理をさせたかと知ったから。
あの時、距離を置くことが出来たから、今の俺たちがあるわけで。

自責の念を込めてってわけではないけど、俺はそっと左手を蘭の頭に伸ばし顔を引き寄せ、軽く触れる程度に唇を重ねる。

「…っ!?」
突然のことに顔を真っ赤にし、白黒させてるその目をしっかりと捉えて。
「大丈夫だよ、あの二人なら。もう2度とその手を離しはしないはず」
この補足だけで、俺の思いは伝わるはずだから。

ほんの少しの間があって。

「あのねー、ここ公道だよ? そのこと、ちゃんとわかってるの?」
気恥ずかしそうな表情のまま、蘭はちょっとだけムキになって反撃を開始。

「バーロ。こんなに暗いんだし、走行中の車から見えるわけねーだろ?」
と、もう一度、少し時間を掛けて唇を重ねた。今度はおとなしく蘭も受け入れる。
それが、落ち込んだ時や迷いがある時に気持ちを落ち着かせてくれる、最良の方法だと知っているから。

「さてと、これからどうしましょうかね?」
「え?」
「このまま帰るのもなんだか癪だから、今夜はどこかのホテルにでも泊まって、明日、俺たちもクジラを見に行くっていうのはどうだ? ただし、水族館にだけどな」
「いいわね。でも、クジラは海で見なくちゃ意味がないんじゃ?」
「どうせ、来年にはロスに行かなくちゃならないだろうから、その時、ついでにメキシコに行けばいいって。ロスからバハ・カリフォルニアはそう遠くはないしな。だから、明日は予備知識を得に行くってことで」
「でも、ホテルに付いた途端、目暮警部から呼び出しの電話がなるかもよ?」
「それなら大丈夫。高木刑事に捜査依頼が入ったから、この週末は手が空かないってメールすれば良いだけのこと」
「本当にそれで新一は平気?」
「当たりめーだろ? 誰にも邪魔されずに、この週末を蘭と過ごせるんだからな」
「じゃあ、行こうかな」

半日ほど予定からズレはしたが、今後こそ、婦達きりでゆっくりドライブデート、しかも、お泊まり付きで。
こういう予定の狂い方なら悪くはないと思ったのも束の間、一転にわかに掻き曇る。

< トゥルルル… >

「このメロディーって確か、蘭の家のだったよな?」
「う、うん。そう言えば、こんなに遅くなるとは思ってなかったから、お父さんには何も言わずに出て来たんだっけ……、どうしよう、新一?」
「どうしようって言われてもなぁ……」

このまま無視し続けて後からこてんぱんにやられるか、はたまた事情を説明して外泊の許可を取るべきか。どちらにしても、耳が痛くなるほど罵声を浴びせられ続けるのは確実で……
もちろん、このままおとなしく帰宅するという選択肢はない。

設定としてはメインで、新蘭大学1年生のこの時期になります。

テーマは『人の振り見て我が振り直せ、を新一で!』 なんですけど、元々、Other で推理モノとして書こうと思っていたネタなので、あまり新蘭色が強くならなかったですね(苦笑)。

一応、補足として。作中のメキシコの鯨云々の部分は、数年前に何となく見たテレビの曖昧な記憶を頼りに書いているので、かなりいい加減です。 ちなみに、銚子の鯨ウォッチングは、これから年末までがピークのようです。

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