「えっ、うそでしょ? 何で?」
気が付くと、シンク内が赤く染まっていた。
「だって、私、普通にグラスを洗っていただけだよね? それなのに急に割れるってどういうこと!?」
誰が答えるでもないのに、次々と頭をよぎる疑問が言葉になって出てきてしまう。
右手にはスポンジ、左手には割れたグラス。
自分の身に起こっている状況に納得できず、その場に立ち竦んでしまった。
「どうかしたのか、蘭?」
不意に背後から問いかけられた新一の言葉によって、私はようやく我に返った。
「あ、うん。シンクが……」
「って、シンクじゃねーだろ? ったく、何をボーとしてるんだよ。ほら、右手を貸してみな」
「……うん」
半ば呆れられながれも優しく、手際よく応急措置をしてくれる新一の姿を、なぜか照れくさくって直視できない。
(そういえば、私が新一のケガの手当てをしてあげることはよくあるけど、こうして私がしてもらうのは滅多にないかも?)
そう思うと何だか急に可笑しくなって、クスクスと笑い出してしまった。
「オメーさあ、ちゃんと状況をわかっているよな?」
「うん、一応ね」
「じゃあ、何で急に笑い出すんだよ」
「だって、子供の頃はしょっちゅう私が新一の手当てをしてあげてたのにって思ったらね」
「思ったら何だよ?」
「さあ」
「あのなあ……、まあいい。それより、コレに懲りてさ、せっかく備え付けになってるんだし、食洗機を使えよ、な?」
「確かに食洗機は便利かもしれないけど、私はやっぱり手で洗うほうがいいな。ホラ、みるみるうちにきれいになっていくのって、気持ちよくない? それに、グラスが割れたのは私の不注意とかではないと思うんだけど」
「はあ?」
「だってね、私、本当にいつも通り普通にグラスを洗っていただけだもん。力を入れすぎていたわけでもないし、急にお湯をかけたわけでもない」
「最初っから、ひびが入っていたとか?」
「それもないと思う。使っているときは気が付かなかったし」
「なるほどねえ……」
「何か言いたげそうだけど?」
「いや、別に。それより、蘭。オメーはリビングに行って、少し休んでな。残りの食器は俺が洗っておくからさ」
「でも……」
「それに、今はそれほどでなくても、これから痛みが出てくるはずだからさ」
「それじゃあ、ここは素直に甘えておきます」
リビングのソファーに座ってはみるものの、何だか落ち着かない。結局、キッチンへと戻り、新一が食器を洗う姿を見つめている。何でもソツなくこなし、しかも、様になってしまう。そんな新一が誇らしくもあり、羨ましくもあり、それに、ちょっと悔しかったりもする。
その後、新一の淹れてくれたカフェオレを渡され、半ば強制的にリビングのソファーに座らされる。もちろん、嫌な気持ちはしないのだけど。
私のそんな気持ちを知ってか知らずか、新一が突然、一人で出かけてしまう。時間は夜の10時過ぎ。こんな時間にどこにと思うのだけど、行き先は告げないままで。
30分後、戻ってきた新一の手にはどこで買ってきたのか、コップを洗う専用の長い柄の付いたスポンジ。
「これからは、コレを使って洗えよ」
素っ気無く発せられた言葉だけど、新一のさりがない優しさが嬉しくって。心配してくれた新一には悪いけど、たまにはケガをするのもいいかもって、そんな風に思えてしまう私って、やっぱり幸せ?
このお話の急にグラスが割れたという部分は、留意の実体験に基づいて書いたんですが、この時は本当に、痛みよりもただただびっくりしました。
ちなみに、この時以来、留意もコップ用ブラシを愛用しています。