駿 河 國 (一)
(す る が の く に)
境川に懸かる「千貫樋」を過ぎると駿河國。
”旅行けば、駿河の國は茶の香り・・・・・”
ではなく、百花繚乱、花の香りだった!
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![]() 街道左の宝池寺側は復元 |
![]() 右の宝井寺側は原形 |
黄瀬川を渡る。川岸も菜の花が満開。
富士山をバックにツバメが多数、空を飛ぶ。
(静岡県沼津市)
「黄昏圖」
乗運寺:京都智恩院の末寺
境内に若山牧水の墓がある
”千本松原”どころか、十万本くらいある。
ず~~~と松林が駿河湾沿いに続いている。
駿河湾を眼前に、左に伊豆半島の大瀬崎、ずっと右端に富士山
天気が良いので外で昼飯を食べるため、コンビニで弁当を買った。
思い出す:
この旧東海道を歩く数年前、用事で静岡県に来た時のことだ。新幹線ではなく、車で来た。
用事を終わり、帰途、ここ千本松原の旧国道1号線を走っていた時、向こうから高校生くらいの男が歩いてくる。
大きなキスリング型のザックを背負って、片足をやや引きずっている。“疲れてるんだなァ。”
“しかしどこに行くつもりだろう?”と思っているうちにすれ違って、彼の後姿はルーム・ミラーに遠ざかっていく。
ブレーキを踏んでUターンし、彼を追った。追い抜いて車を停め、
「どこまで行くんだい?」
『京都まで。』
「京都ォ~!? 歩いて?」
『はい、坂本竜馬の、あの近江屋まで。』
坂本竜馬に傾倒し、両親を説き伏せて夏休みを利用し東京を出発した、という。
「じゃ、あの箱根も越えてきたの?」
『はい。』
「しかし、すごいね、ザックも背負って!」
野宿もしたし、お寺にも泊めて貰ったという。
「疲れているようだから、どこかその辺まで乗せていってあげるよ。」
『ありがとうございます、でも、竜馬もこの道を歩いたのですから僕もずっと歩いていきます。
あ、足は疲れているのではなく、幼い時の小児麻痺でこっちの足がちょっと不自由なんです。』
ご両親も心配したろう。しかし昔から“可愛い子には旅をさせよ”という。
「道中、気をつけて。成功を祈ってるぞ!」と言って分かれた。
名前も聞いていなかったが、間違いなく「近江屋」に着いたはずだ。
今頃、彼はどうしているかな? とふと思う。
JR「片浜駅」の先で踏切を渡る。
あの「彼」も、ここを富士山を見ながら渡ったろう。
富士山がいつまでもついて来る。(大体、このように右側に見える)
(静岡県沼津市原)
「朝之富士」
「松蔭寺」に着いたら、祭りの列が来た。松蔭寺ゆかりの”白隠さくら祭”だそうで、
写真を撮ったりしているうちに山門に残る”摺鉢松”を見るのをすっかり忘れてしまった。
淡嶋神社
(静岡県富士市吉原)
「左富士」
道がぐっと北向きに折れると、この絵のように富士山は左手に見える。(左富士)
しかし、すぐまた道は西に向かうので、この先はいつものように右手に見えるようになる。
曇りで「左富士」、見えず
「平家越えの碑」:治承四年(1180)源氏と平家はこの辺りで対峙したが、
早暁、水鳥の一斉に飛立つ羽音を源氏の攻撃と勘違いした平家の軍勢は、戦わずして逃げたとされる。
岳南鉄道踏切「吉原本町駅」近く
吉原本町の「鯛屋旅館」:天和二年(1682)創業
一泊二食5500円 素泊り3960円 と書いてある
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10時半、旧道をはずれて 「吉野家」に寄る 牛丼(並)400円×2 卵 50円×2 お新香 90円×1 安いし、うまかった~! ※その後(並)は280円になった |
富士川の度重なる洪水のため築かれた「鴈堤(かりがねづつみ)」
富士川を渡る。往時は街道一の急流と言われた。
富士川を渡り丘陵地帯を登ると間の宿:「岩淵」だ
本陣跡の脇の「秋葉山常夜灯」
この辺り「秋葉山常夜灯」が多数残っている
間もなく「岩淵一里塚」
岩淵一里塚:榎の大木が両側に残る
通り過ぎてから、振りかえって見る
富士川町中之郷辺り
「新坂」を下ると蒲原宿だ
(かんばら)
(静岡県庵原郡蒲原町)
蒲原宿東見附跡(宿場の東=江戸側の入口)
「夜之雪」
あまりにも有名な絵だが、この絵のような場所は「蒲原宿」にはない。
当時の新潟県・蒲原の絵で、これと酷似するものがあり、廣重はその絵を見て静岡の「蒲原」と勘違いし、
手本にしてこの絵を画き上げたようだ。
そもそも静岡の「蒲原」は、冬、雪がこんなに積もるようなことはないし、宿場内にこのような坂道もない。
一方新潟県・蒲原はこのように冬、雪が積もるのだろう。
この絵も廣重は実際東海道を歩いていなかった、という証拠の一つ。
旅籠:「和泉屋」
天保年間(1830~44)の建物
同上:「和泉屋」の正面
西本陣跡
蔀戸(しとみど)のある家:
安政元年(1854)の大地震の翌年に改築された家
「へぇ~!」
我々の後から来て、あっという間に追い抜いて行った。
この人、”同好の士”だったんだろうか?
5月下旬の陽の中をカッカッと歩いて行ったっけ。
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蒲原名物 ”いるかのすまし” 別名「蒲原ガム」 イルカの背びれを薄く切り、水にさらしたあと茹でて加工したもので、子供のおやつとして食べられてきた。 蒲原で是非買おうと思っていた物。 乾燥しているものと生があり、 これを買った魚屋さんで 「初めて食べる。」といったら 「ちょっと待って、素人用を持ってくる。」 と、これを持ってきてくれた。 鯨のベーコンのような味で、 酒の肴にピッタリだ。 もう一袋買えばよかった。 |
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